友と呼ぶには面倒な男

 * * *

 

 王宮図書館を出て、宿舎に戻るザシャと別れる。ザシャの照れとクウィルに蓄積した疲労により、いつもよりずいぶん早い解散となった。


 まだ陽が高い。薄暗い禁書庫とは別世界の明るさの中、クウィルの気持ちは晴れない。リネッタを解放する良案は見つからないまま五日が過ぎてしまった。


 まっすぐラングバートの屋敷へ帰ればいいものを、クウィルの足は今日も聖堂へ向かった。すでに彼女はそこにいないだろうとわかっても、訪ねずにいられない。


 門前広場に立ち、聖堂を見上げる。


 ここで、リネッタの独白を幾人もが聞いた。

 彼女が何を課され、巡礼の二年をどう生きてきたのか。安寧あんねいの影に何が隠されていたのか。


 聖堂は何も明かさない。アイクラント建国前からずっと秘されてきたものを聞かされて、皆、どうしていいかわからずにいる。


 聖女の力を讃える声の中に、今は違うものが混じる。

 同情と、そして非難だ。


 門番がクウィルに気づいて目を逸らす。

 悪意の渦から一転、今は腫物はれもののように扱われている。雨の中のリネッタの叫びがそう仕向けた。

 クウィルは聖女に振り回された憐れな男になり、リネッタは運命を呪い人を踏みにじった聖女となった。

 

 いつもいつも、彼女は大胆に、ひとり勝手に突き進む。婚約者として初めて顔を合わせた日から、ずっと。


「ラングバート、卿!」 


 突然の呼び掛けに振り向くと、ややこしい色男が立っていた。


「クラッセン卿?」


 謹慎処分以来となるマリウス・クラッセンは、以前よりも敵意のない顔で近づいてくる。あの一件が原因で巡礼の護衛を外れたのならば、クウィルに食ってかかりそうなものだが。


「……よくここに現れると聞いたもので」

「それはつまり。私をお探し、という?」


 クウィルの問いに、ああいやそのなんだと手足をばたつかせる。しばらくそうしてから、マリウスはダダァンと足踏みし奇怪な動きをようやく止めた。


「ラングバート……卿、には、報せるべきだと思ったのだ」


 慣れない敬称をつけ、もったいつけた言い方をする。クウィルは首を傾げ、マリウスとの距離を詰めた。

 すると、マリウスはクウィルにだけ聞こえるよう、さらに距離を詰めて小声で話し出す。


「巡礼に、出られていない」


 クウィルは眉を跳ね上げた。マリウスはそんなクウィルの反応を見て、慌てたように周囲を確かめた。


「聖女さ……リネッタ様がここで聖剣を鎮めていると聞く。魔獣も鎮まっているなら、このまま巡礼は立ち消えになるかもしれない」


 クウィルは聖堂を振り仰いだ。

 あれからすでに五日だ。まさかその間ずっと、リネッタは感情を持ったまま聖剣と向き合っているというのか。

 穢れを寄せ付けないような真白な聖堂。その中で、ひとり。彼女が戦っている。


「行かせてやってくれ」

「なに?」


 クウィルのつぶやきに、マリウスが顔をしかめた。思わず彼の肩を掴む。動揺するマリウスの肩を揺らし、クウィルは声を張り上げた。


「頼む! セリエス嬢を巡礼へ連れ出してくれ。卿ならできるだろう!」

「お、おい! 落ち着け、ラングバート!」


 巡礼は呪いだ。

 あの笑顔も、涙も。ベツィラフトの呪術が彼女からすべて消し去ってしまう。ラングバートの屋敷に迎え入れた日の、人形のような彼女に戻してしまう。


 けれど同時に、巡礼は彼女を守る。

 理不尽な運命に。抗えない慮辱りょじょくに。彼女のすべてを食いつくされてしまわないための残酷な救済なのだ。


「そんなこと、耐えられるはずがない」


 堪らず、あのマリウス相手にすがりついてしまいそうだった。


「巡礼を止めているのはリネッタ様なのだ。聖剣の声を聞き、王都に留まるべきと進言された。私は、その……それは言いわけで、おまえの傍に残りたいのかと思ってだな」

「は……」

「あれから反省した! おまえがリネッタ様を大切にしていることをちゃんと理解した! だからこうして、伝えに……きた、のだ」


 マリウスが口の中でもごもごと言葉を結ぶ。クウィルは、三つ数える間、思考を止めた。それから飛び出したのは、自分でも聞いたことがないほど大きなため息だった。


「大々的に誓約錠を切られた身では、お迎えどころか面会も叶いません。クラッセン卿ならば、おわかりでしょう」

「言われてみれば、その通りだが……不思議なことに、どうも婚約破棄の実感がわかない。なぜだ?」

「いや、私に訊かれましても」

「ラングバートをおいて、他の誰に訊けと言うのだ」


 マリウスは呆れたように、クウィルの胸を叩いた。


「リネッタ様のことを一番わかっているのはおまえだろう?」


 とん、と胸を打たれたまま。クウィルはマリウスを凝視した。


「わかって、など……」


 何もわかっていなかった。聖女リネッタ・セリエスが抱えるものなど。クウィルが知っているのは、婚約者として迎え入れたリネッタ・セリエスだけだ。


 夜這いをかけ、修練場におしかけ、クウィルを守り、勝手に誓約錠を断ってしまった彼女しか。


 ――そうだ。


 聖女という肩書を最大に利用する、強かなリネッタのことしか、クウィルは知らない。


 その強かな彼女が、あえて聖堂にとどまると決めた。それが、クウィルの傍に残りたいなどという、感傷的な理由であるものか。


「……なんだ? 何を隠している?」

「お、おい。ラングバート。大丈夫か?」


 冷静さを取り戻した頭は、芋づるを引くように大切なことを次々と思い出していく。禁書庫に眠る記録が全てではない。クウィルに出来ることはまだ他にあるはずだ。


「クラッセン卿!」

「お、ほぅ!? どうしたラングバート!」

「クラッセン卿は素晴らしいかただ。私の霧を晴らす力をお持ちだ。貴殿を見込んで、頼みたいことがあるのです」


 クウィルが肩をさすさすと撫でると、マリウスは照れ顔で目を逸らした。


「お、お、おまえには返すべき恩もあるからな。聞いてやろうとも!」

「侯爵家のご令息ともなれば、やはり宝飾の商いに顔が利きますか? 探して欲しいものがあります」

「……なぜ今、宝飾?」


 不審げに眉を寄せるのに、彼の眉間には皺ひとつ入らない。この美貌を損ねずに済ませておいて良かった。おかげで無茶な頼みごとができる。そう、クウィルは過去の自分に感謝した。

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