夕暮れにたどる望み

 * * *


 夕暮れ時の王都を、いつもよりゆるやかに歩く。

 視線がやたらに刺さるのは、やはり隣にリネッタがいるからだ。道行く人が慌てたように一歩引いて、ほぅ、と夢でも見るようなため息をつく。


 クウィルの容姿は珍しさで目立つが、リネッタも負けていない。特にシルバーブロンドの髪は歴代聖女の象徴として詩人に歌われるほど。令嬢がたがどんなに苦痛に耐えて髪色を抜いても、この夜の雪景色のような色は再現できないらしい。


「わたし、今度からかぶり物でもします」

「参考までにお聞きしますが、どのようなものを?」

「鳥の羽が山のように刺さった帽子などを。わたしより帽子に目がいって、聖女とは気づかれません」


 生真面目にリネッタが言うからおかしい。

 聖女とは気付かれないかもしれないが、逆に注目の的だ。


「人目が気になるのでしたら、セリエス嬢だけでも領地に移られますか」


 将来、兄ラルスが爵位を継ぐときに分割ぶんかつされる予定の地だ。昔から避暑地として使っているだけあって、緑豊かで気候も穏やかな良い土地である。こじんまりした屋敷があり、専属の使用人がいる。あるじ不在でもしっかりと屋敷を守ってくれる気のいい人たちだ。そこにニコラを連れていけば、リネッタが不自由することはないだろう。


 まるで、自分の元から遠ざけたいというように聞こえただろうか。言った直後からその可能性に気づいてリネッタを見れば、彼女は全く違う理由で首を横に振った。


「王都に留まらねばならないのです。聖剣の番人として」


 聖女は聖剣とともにある。

 聖剣を聖堂から動かすことは、二年の浄化の旅を除いて禁忌きんきとされてきた。古くからの決まりで、そこにどのような根拠があるのかクウィルは知らない。聖剣が何なのかさえ王家と聖女にしか知らされていないのだ。


「この先もずっと聖剣の元へ通われるのですか」

「少しずつ期間を空けていけば、ひと月ほど避暑に出かけるぐらいはできるようになるそうです」

「巡礼を終えても務めは続くのですね」

「ええ。わたしが生きている限り」


 沈黙を避けたくて口数を増やすが限界がある。どうしても途切れがちになる会話がつらい。


「やはり、今からでも馬車を手配しましょうか」


 徒歩で行くにはタウンハウスはやや遠く、リネッタの足ならなおのことだ。

 騎士団の訓練が終わるまで待つという彼女の言葉に従ったので、すでに日も沈みかけている。


 しかし、リネッタは首を横に振ると手帳を取り出した。

 そこには、今はもう失くしてしまった彼女の望みがびっしりと記されている。真白な指が、そのうちのひとつを指して止まった。


 ――自分の足で歩きたい。


 望みというにはあまりにもささやかな言葉だ。


「我儘とはわかっていますが、お付き合いくださいませんか」


 彼女の感情はある日突然消えたのではない。少しずつ夜闇やみが下りてくるように、興味や関心が見えなくなっていったのだと。湧きあがったものがすぐに霧に隠れてしまう。それに気づいてから、リネッタは手帳に今望むことを書き残した。


 デビュタントとなったばかりの令嬢らしい、どこそこの仕立て屋に行きたいといった華やかなものは初めのうちだけ。彼女の望みはページをめくるにつれてささやかなものになっていく。歩きたいだとか、誰かと食事をしたいだとか。最後には、花を美しいと思いたいなどということが書いてある。最後の一枚がやぶられているが、リネッタは今日もそのことには触れずに手帳を閉じた。


「どこへ行くにも白騎士様がついて、馬車が来て。わたしの足で自由に歩くことは少なかったのです。体力もずいぶん落ちてしまいました」

「お転婆てんばだったとおっしゃいましたね」

「自然の中を走り回るのが好きだったはずです。両親はあまり旧派の復権ふっけんに関心が無くて、田舎の小さな領地で満足していて。令嬢と名乗れないぐらい自由にさせてもらっていました」


 セリエス伯爵家の領地は、王都から馬車で五日ほどのところにある。帰るのにそれほど構えずともいい距離だ。


「聖剣のことが落ち着いたら帰郷なさってはいかがです? せっかく聖堂を出られたのですし、どうぞ我が家に気を遣わずに。ご自身の持ち物もまだご生家せいかに置かれたままなのでしょう?」


 すると、リネッタは足を止めた。


「ご存知なかったのですか? 両親はすでに亡くなっています」


 淡々とした声にクウィルも立ち止まった。


「聖女は代々、家族を失った者が選ばれると決まっていますから。てっきりご存知だとばかり」


 リネッタに対してそこまでの関心が無かったと白状するようなものだ。もしかすると、父からの手紙にはそういったことも記されていたのかもしれない。


「では、セリエス伯爵は」

「伯父です」


 リネッタはシルバーブロンドの髪を掬って、手のひらに乗せた。


「引き取るドレスも無いのです。髪も、瞳も。父と母から譲り受けた色とは似ても似つかないものになりましたから。ちっとも映えないと思います」


 どういうことだ、と首を傾げると、リネッタがすぐに察して説明してくれる。


「変わってしまうのです。これまでの聖女も皆この色です。血縁でもなんでもないのに同じ色」


 リネッタが伏せたまぶたに、長い睫毛が揺れる。それは髪と同じシルバーブロンドで、その下の瞳は深い深い青。


「どんな、色でしたか」


 なかば無意識に尋ねた。それが彼女にとってこくな問いだとわかっているのに。

 リネッタは微笑を貼り付けて、ゆっくりと首を横に振った。


「もう忘れてしまいました」


 嘘だとわかっていて、クウィルは追及しなかった。

 代わりに、リネッタの手帳を受け取って頁を開く。

 並んだ望みの中の『誰かと手を繋ぐ』に目を止めた。


「この誰かは、私でも務まりますか」

「もちろんです」

「では、今日の勝利の御礼に」


 リネッタの手を軽く握る。見た目よりもっと小さく感じる手を、自分の武骨ぶこつな手の中に閉じ込めた。


「クウィル様。人が見ています」

「そうですね。私が壁になれればよかったのですが」

「日傘を広げましょうか」

「日も落ちたのに?」

「干しているのだという顔で、堂々と広げれば目立たないのでは、と」


 それはどんな顔だ。そしてどうしたって目立つだろう。

 あえてとぼけているのか、でこうなのか。相変わらず読めないリネッタの隣で、クウィルだけが感情をもて余して笑う。

 クウィルが笑うと、リネッタの左手が小さく上がる。快、と。

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