10、裏切りの騎士

さえずり集え――『纏風マトイカゼ羣雀ムラスズメ』」


 サフィールが詠唱を完了させると、翠嵐から放たれる無数の風が、背後のルクスリアの周囲で巻き上がる。

 炎の壁とシンとの戦闘の余波からルクスリアを守るための防風壁ならぬ暴風壁。

 件のサフィールは迫るシンの猛攻への対応に、自慢の宝剣を用いない。

 刃がかち合う。


「ぐぅッ……!」


 体格差ではシンに軍配が上がる。だがそれだけではない、見かけの体躯の差だけでは説明の出来ない膂力の差がそこにはあった。


「その程度かァ!」


 受け止めきれず、サフィールの身体は吹き飛ばされ、先ほどまで彼が立っていた石床が激しい音を鳴らしながら叩き割られる。


「クソッ……『二つ』でこんだけ違うか」


 直撃こそ避けたはずのサフィールの腕は、骨が軋んでいた。

 『七玉昴結プレアデス』、五感、呼吸、四肢の計十の生命機能から七つまで縛るごとに、自身の筋力を底上げする。強化型の能力。

 恵まれた体格と、それを存分に生かせる能力。基本が整っているがゆえに強化幅も大きい。数ある能力の中でも相性だけは最高クラス。

 今、シンが自分に課している『縛り』は行動制限が少ない、味覚と嗅覚あたりだろうか。

 たったそれだけの縛りで、生身の人間が剣で石造りの建材を破壊できる。


「並みの剣だったら、今ので頭ごと叩き割っていたんだが……流石は宝剣だな」


 更にシンは自らを縛る。

 一回、地面を足掻く。


「三つ結び」


 呼吸音が止む。

 地面を抉り、さっきよりも早い速度で、巨大な鉄球のような身体でサフィールに襲い掛かる。


「押し付けろ――」


 かすかなそよ風が、サフィールを包む。

 姑息な抵抗、気にするまでもないと、威力の上がった剣を振り下ろす。


「『惑風マドイカゼ春呼ハルヨビ』」


 叩き潰したサフィールの姿は、落とした卵のように飛び散り霧散する。

 本体は、既に回り込んでいる。


「贄を貫け――穿風ウガチカゼ百舌モズ


 反撃の隙を与えないために、最小の動きで仕留めようと、霞に構え、風で加速を載せた突進を放つ。

 だが浅い。

 腕へのダメージが心臓への狙いを外させ、切っ先はシンの脇腹を掠めるに留まってしまう。


「ちょろまかと……」


 仕留め損なうも、肺付近へのダメージで、呼吸の縛りを一時的に解く。

 まともに打ち合うと不利を背負わされるサフィールは、一定の間合いを維持しながら、絶えず動き回る。

 捉えられたら一巻の終わり、だが、猛攻を掻い潜りながら、刃を打ち込み続ければサフィールの勝利。


「洛中に火を放って回っていたのはお前だな」


 惑風と穿風を併用し、ヒット&アウェイの戦法を取るサフィールは最初の一撃以外のシンの攻撃をまともに受けることなく、有利に立ち回っていた。


「だとしたら?」


 縛りを一つ剥がされ、素早い動きと幻惑に翻弄されている状況だと言うのに、シンは不敵な笑みを浮かべている。


「無辜の民を混乱に陥れ、その態度、犬畜生以下の外道が」


 連続で何度も突きを放っているせいか、腕の痛みのせいか、サフィールの攻撃は回数を増す度に精度を落とし、段々とシンに刃で受け流され始めている。


「外道……外道か、上等!」


 突きに対応し始めたシンはついに、受け流すのではなく、剣で打ち払おうとする動きを見せた。

 鍔迫らせてはならない。

 それがサフィールの踏み込みを躊躇させた。そして、その判断が致命的な一手となる。


激昂衝波レイジング・インパクト!」


 真剣勝負の場で、相手の隙を見逃すのは二流以下。

 シンは一流の騎士だった。

 一瞬足を止めてしまったサフィールに、再度、巨弾の猛進。


「『惑風マドイカゼ――』」

「遅いッ!」


 豪腕が放つ石材が薄っぺらい板に見えるような、一刀割断。

 直撃すれば頭蓋など、それこそ、力任せに割った卵のようにいとも容易くぐちゃぐちゃになる。

 その予感を的中させてはならないと、パワー不足を承知の上で、サフィールは翠嵐で受けてしまう。


「砕けちまいなァ!」


 翠嵐は折れない。いや、折れてはならない。

 サフィールは砕けない。砕けてはならないし、砕けない。

 己が真に忠義の騎士であるならば、悪逆非道をなす、この叛逆の騎士ごときの一撃など、児戯に等しいと、外道が何をしても無意味であると証明せねばならない。

 叫びも呻きもしてはならない、たとえ、腕が折れたかもしれなくとも。


「所詮…………外道の、悪あがき……だ、な」

「へぇ、そうかい」


 腕はまだ振るえる。左手はぐしゃぐしゃかも知れないが。

 足もまだ走れる。一歩地面を踏むごとに激痛が走るが。


「さ、サフィール……」


 ルクスリアの不安そうな声がサフィールの耳に届く。


「ご安心ください。殿下……殿下が背に居られる限り、このサフィールは、帝国の剣は、折れません」 


 まだ翠嵐の切っ先は、シンを見据えている。


「何が殿下が背にいる限りだよ。馬鹿馬鹿しい」

「……んだと?」


 シンはもはや嘲りを通り越して、憐れみのような表情でサフィールを見ている。


「この場に殿下さえいなけりゃ、お前がそんなボロボロになることもなかった。それどころか、手傷一つ負わなかったろうよ」

「え……」

「黙れ」

「折角の翠嵐の風をほとんど殿下を守るために使ってよぉ、残りカスみたいな風で俺を本当に殺せると思ってたか?」

「そんな……僕を守るために……また……」


 暴風壁の内側で、ルクスリアがへたり込む。


「そもそも、お前が本気だしゃあ、こんな城ごと吹き飛ばして、俺を挽肉に出来た! そうしないのは、お前がご大層に掲げている、『忠義』ってやつが邪魔してるからだろッ! それとも、やっぱり兄弟は殺せな――」


 サフィールは片手で剣を強く握り、布から血が染み出す足で力強く踏み込み、穿風を放つ。

 狙いは粗いが、その速度はまだ十分に戦えることを証明するように突風を起こし、シンの頬を裂く。


「忠義を失くした痴れ者が、下らない戯言で殿下を愚弄したな? 『黙れ』と言った、二度目はない」


 サフィールは口が悪いが、怒りを前面には出さない。

 ただ、静かに瞳の奥で、怒りを燃やし原動力に変える。


「まだ動くのかよ!」

「お前の間違いを全て正してやる」


 サフィールはもう、回避の惑風を使っていない。

 ただ、繰り返し、突き打ち、駆け抜ける。


「一つ」


 シンの足の腱が貫かれる。


「殿下を守ることは、最優先事項だ。貴様ごときの命を散らすために、蔑ろにしていい御方ではない。身の程を弁えろ」

「な、んで」


 突きを繰り返す。砕けた足でありながら、それは徐々に、速度を増していく。


「二つ」


 迎え撃とうと構えたその手首を、斬り裂く。


「城に傷一つ付けずにお前を挽肉にすることなぞ造作もない。俺が求めているのは、お前の首だ」


 シンに切り傷が無数に増え続ける。

 精度を度外視し、ただ執拗に致命傷にならない傷を増やし続ける。


「三つ」

「お、前は……俺の……」


 シンの息が荒くなる。

 どれだけ呼吸を深くしても、肺に酸素が回らないように、何時間も走り続けたあとのような疲労感。


「お前はもう兄弟じゃない」


 絶えず繰り出される刺突、迫る死に自然と緊張した肺が、呼吸を浅くさせる。徐々に削られ減らされていった血液が、酸素を減らす。

 炎が燃える地上の世界で、シンは

 嵐が巻き上げた物が、海に流されるように。シンの目の前には、もう、岸はない。


「シン・アルデバラン。騎士道不覚悟により、その首、貰い受ける」

「まだ、だ……」


 サフィールはこれまでも、そして、これからも、おそらく自身の能力を口に出すことはないだろう。

 なので、この場を借りて、彼の能力の名を告げさせてもらおう。


 『鯉目燕跡リモクエンセキ』、鯉は蒼穹を翔る燕の軌跡を眺める。


「もう、黙らなくていいぞ。二度と、喋れなくしてやるから」


 サフィールは片手で霞に構える。

 霞むシンの視界、されど、構えた剣は下ろさない。


「盗人を許すな、代償を差し出せ――『纏穿風マトイウガチカゼ舌切リ雀シタキリスズメ』」


 二節の詠唱と共に、刀身に群を成す雀の如く羽撃く風を纏い螺旋を描く。

 踏み込み、打ち返そうとする剣など見向きもせず、己が技量を以って一手三撃。

 三段突き。腹を、剣を、そして胸を、その刃が貫く。


「がはッ……」


 剣は吹き飛び、炎の壁に消え、シンは血を吐き、頭を垂れるように跪く。自ら首を差し出すように。


「……介錯してやる。その首で、団長の墓の前で、己が行いを懺悔しろ」


 サフィールは何も感じ入ることなく、ただ、これまで通り、騎士道に背いた騎士の首を刎ねる剣を振り下ろす。

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