第5章 これまでと、これから
5—1 静かな艦内、沈む心
医務室にて、医療ドロイドに囲まれたメイティがため息をつく。
「私は怪我なんてしていないのです。心配は無用なのです」
いくらそう言ったところで、医療ドロイドは何も答えない。何も答えないまま、黙々とメイティの診察を続ける。
少し頬を膨らませたメイティは、再びため息をついて黙り込んだ。
そんな彼女に対し、僕はかすれた小さな声で話しかける。
「ごめん……僕のせいで……」
医療室の端で小さくなり、頭を下げる僕。
メイティがこうして医療室にいるのは、ゲブラーに殺されかけたからだ。
ゲブラーがメイティを殺そうとしたのは、僕が〝神の子〟だからだ。
なら僕は、こうして謝罪するしかない。
僕の謝罪を聞いたメイティは、プイッと顔を背けた。
この反応、いつものことのはずなのに、今ははっきりとした拒絶のように感じる。
僕が人間ではなく、そのせいでメイティの命を危険に晒したという事実。
拒絶されるのも当然か。
「もう僕のこと、信用なんてできないよね」
マゾクに作られた存在を、マゾクと戦い続けるメイティたちが信用できるはずがない。
耐えきれなくなった僕はメイティから目を背け、医務室を後にした。
空中戦艦は重苦しい沈黙に包まれている。
行く当てもなく、ただフラフラと艦内を歩けば、視界にはいつの間に格納庫の景色が広がっていた。
格納庫の床には6つの黒い袋が並べられている。
中身は全て、体に穴をあけ、二度と笑みを浮かべることのない騎士たち。
並べられた袋の前には、唇を強く噛み締めたシェノの姿が。
袋を見つめるシェノは凛とした瞳を曇らせ、今にも崩れてしまいそうな様子。休憩室で話をしたあのときと、まるで同じ。
――これも僕のせいだ。僕が〝神の子〟だったから、ゲブラーはここにやってきて、騎士たちを殺したんだ。シェノをあんな表情にさせたのは、僕なんだ。
とてもじゃないけど、シェノに声なんてかけられない。
声をかけられず、僕はじっと黒い袋を見つめる。
そしてすぐに、僕は袋から目を逸らした。なぜなら袋の隙間から、旧文明時代の文房具の遺物がのぞいていたから。
頭に浮かぶのは、文房具の遺物を手にシェノと楽しげに会話する昨日の騎士の笑顔。
――全部僕のせいだ。
罪悪感だけが僕の心を支配していく。
――僕がみんなと一緒にいたから、悲しみが生まれたんだ。
自分で自分が嫌になってくる。
――みんなに悲しい思いをさせるなんて、僕は本当にマゾクと同じような存在なんだ。
僕が人間でなく〝神の子〟である限り、悲劇は何度だってシェノたちに襲いかかるはず。
人間ではなくマゾクと同じような存在である僕にできることは、ただひとつ。
――僕はみんなと一緒にいちゃいけないんだ。
* * *
騎士たちを乗せた空中戦艦は『虚無』を抜け出し、草木の生い茂った起伏のある大地に降り立った。
夕陽に照らされ、微かに魔力の霧が漂う中で、シェノたちは昇降口に集まり空中戦艦を降りようとしている。
馬を連れ、白銀の鎧を輝かせる彼女たちを、僕は一人で見送った。
「みんな、じゃあね。短い時間だったけど、みんなと一緒にいられて楽しかったよ」
たった3日きりの、一瞬だけの付き合い。
でもその一瞬が、僕にとってはとても楽しい時間だった。
本当はこんな時間がもっと続けばいいのに、と僕は思っている。
――でも、みんなに迷惑はかけられない。みんなを危険な目に遭わせるわけにはいかない。
だからみんなとは、ここでお別れ。
別れの挨拶を聞いて、アヴェルスを担いだシェノは首をかしげた。
「レンはこれからどうするの?」
「……伝説の空中戦艦は、旧文明が滅んでから1100年間、都市遺跡サンラッド上空からほとんど動かなかったんだ。僕もそうするよ」
答えてはみたものの、詳しいことは何も決めていない。1週間後にはヘットが迎えに来るらしいけれど、それに対する答えも、まだ決めていないんだ。
せめてシェノたちが安心してくれれば。そう思って捻り出した苦し紛れの答えに、シェノは何も言わなかった。
いよいよ騎士たちは空中戦艦を降り、僕の前に残るのはシェノとメイティだけ。
僕は足元でくつろいでいたミードンを抱え、メイティに差し出す。
「ミードンをよろしく」
「にゃ~?」
「なぜなのです? なぜミードンを私たちに渡すのです?」
「ミードンはメイティにすごく懐いてるみたいだし、シェノたちと一緒にいるのが一番安全だと思うから」
元々、ミードンはいつの間に僕に懐いてくれていた野良ネコさんだからね。
せっかく懐いてくれたミードンを危険に巻き込みたくないし、幸せに過ごしてもらいたい。
それを叶えてくれるのは、メイティとシェノだと思うんだ。
ちなみに、ミードンの首輪にはメイティから渡された特別な遠話の魔道具――鈴をつけておいた。
首輪に気づいたメイティは何か言いたげな顔をするけれど、シェノの前では口を閉ざし、何も言わないまま僕を睨みつけ、ミードンをギュッと抱いた。
ミードンは耳を立て、じっと僕を見ている。
言葉は途切れ、沈黙に包まれた空中戦艦の昇降口。
洞窟から回収した『タキトゥスの針』を運ぶ騎士たちを眺めていたシェノは、両手で頬を叩き、ようやく口を開いた。
「あの〝石の棒〟の回収、手伝ってくれてありがと。すごく助かった。じゃあ、また、ね」
別れの挨拶を終え、軽く手を振ったシェノは、空中戦艦を去っていく。
一方のメイティは僕を睨みつけたまま。
困った僕は、黙ってメイティに背を向け、空中戦艦の操舵室へ。
これでいいんだ。
僕はマゾクの作り物。僕は常にマゾクに求められる存在。となれば、僕のいる場所にマゾクが現れる。
そもそも、僕がマゾクの一員になる可能性だって否定はできない。
暴走した魔力によって姿形が変わったあのときの僕は、マゾクそのものだったんだから。
そんなマゾクの作り物である僕がみんなを守るには、みんなから距離を置くしかない。
だから、これでいいんだ。
* * *
静まり返った操舵室。
中央にある椅子に座った僕は、ガラス板に映し出された空を見つめていた。
夕暮れと闇夜の混ざり合う空の色は、とても不安定で、どこか不安を呼び起こす。
僕はこれからどうなるの? 僕はこれからどうするの?
答えの出ない疑問が頭に浮かび続け、僕は空を見るのをやめた。
視線を下ろせば、いつの間に僕の隣にイーシアさんが。
「みんな、行っちゃったわね」
遠い目をしたイーシアさんは、そう言って寂しそうに笑う。
けれどもすぐに優しい笑みを取り戻し、いつも通りの口調で僕に尋ねた。
「お腹、空いたかしら?」
「……うん」
「なら、ご飯はもうできてるから、一緒に食べましょ」
そうして僕は、イーシアさんに引っ張られ食堂へ向かう。
無人の食堂に到着し、一人で席に座れば、すぐに料理が運ばれてきた。
対面に座ったイーシアさんの微笑みに見守られながら、僕は料理を口へ運ぶ。
美味しい。やっぱりイーシアさんの料理は、すごく美味しい。
ただ、食器の音だけが響く食堂は寂しさに溢れていた。
シェノやメイティ、騎士たちだけでなく、ミードンすらもいない食堂。僕とイーシアさんだけの、二人きりの食堂。空中戦艦は、こんなにも静かだったかな?
特に会話をすることもなく食事を終えると、イーシアさんは頬杖をしながら言う。
「洞窟探検で疲れたわよね。今日は早く寝ちゃいましょう!」
少しも普段と変わらない口調だ。
僕はイーシアさんと一緒に食器を片付け、言われた通り自室に向かった。
自室に入れば、にっこり笑ったイーシアさんが尋ねる。
「一緒に寝る?」
「ううん、今日はひとりになりたい」
「そう、分かったわ。それじゃあ、おやすみなさい」
イーシアさんは優しくそう言って、僕の部屋を後にした。
てっきり無理やりにでも一緒に寝ようとしてくると思ったから、これにはちょっとびっくりだ。
とにもかくにも、ここからはひとりの時間。僕はベッドに横たわり、目をつむった。
目をつむったところで、眠れるわけじゃない。
自分の両親と生まれ故郷を見つけ出すという願いを叶えた結果、受け入れがたい真実を突きつけられ、それでもぐっすり眠れるほど、僕は強い人間じゃないんだ。そもそも、人間じゃないんだ。
それに、1週間後にはヘットが僕を迎えに来る。ヘットが迎えに来た時、僕はいったいどうすればいいのか。それすらも分からない。
——このまま僕は世界の災厄になるの? 僕はみんなを守るどころか、みんなを苦しめる存在になっちゃうの? そんなの、怖いよ。
正直な気持ちは脳をかき回し、目をつむったままの時間が無情に過ぎ去っていく。
* * *
気づけば7度目の朝を迎えていた。
この1週間、僕は部屋から一歩も出ず、ほとんど眠りもせず、ぐちゃぐちゃの思考に迷っていた。
イーシアさんとも、食事を運んできてくれるとき以外に顔を合わせていない。
今日はヘットが迎えに来る日だけど、きっと僕は今日も部屋を出ないで迷い続けるんだろう。
なんて思っていた直後だ。僕の部屋にイーシアさんが飛び込んできた。
「おはようレンくん! さあ、ついてきてちょうだい!」
「え?」
唐突な展開に困惑する僕を尻目に、イーシアさんは僕をベッドから引きずり出した。
そしてそのまま、僕はイーシアさんに引っ張られ艦内を歩かされる。目的地は分からない。
迷いなく廊下を歩くイーシアさんは、小さな声を絞り出した。
「……ごめんなさい、私が間違っていたわ」
そうしてうつむいたイーシアさんは、言葉を続けた。
「真実を話すのはまだ早すぎると思って、私はレンくんの出生について黙って――いいえ、違うわ。私はレンくんが自分の真実を知って傷つくのが怖かった。だから、私はレンくんに真実を伝えられなかったのよ」
一瞬、イーシアさんの表情に自嘲が混ざる。
「そのせいで、レンくんをもっと傷つけることになっちゃった。レンくんを守ると誓ったのに、私はダメな空中戦艦ね」
とても申し訳なさそうな横顔に、僕は何も言えない。
ただ、次の瞬間には、イーシアさんは勢いよく宣言した。
「私、決めたわ! 私が知っているレンくんの真実を、きちんと教えてあげる!」
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