狭間の章2

マゾクたちの宴

 分厚い魔力の霧に包まれた地。『人間界』から遠く離れた『虚無』のどこか。

 人の居場所ではないこの場所に、裸にリボンを巻いただけの真っ白な少女――ヘットと、灰色の鱗に覆われたドラゴンのような男――ゲブラーはいた。


 2体のマゾクの前には、〝欠けた月に太陽が重なるマーク〟が描かれた黒のローブに身を包む、マモノに連れられた3人の人間が。

 人間たちは頭を地面につけ、興奮した口調で叫ぶ。


「か、神よ!」

「なんと神々しい……!」

「これが真の神の姿!」


 喜びと崇敬を胸に平伏す人間たち。

 一方のヘットは、細く透き通った裸体を岩の上に横たわらせ、首をかしげた。


「ねえねえゲブラー、そいつら何~?」


 聞かれて、ゲブラーは腕を組み、低音を響かせ答える。


「俺たちを神と崇める、世界の理を正しく理解した者たちだ」

「あっそ」


 興味なさげにヘットはリボンを振り回した。

 そんな彼女に呆れながら、ゲブラーは鈍く赤く光る瞳を3人の人間たちに向ける。


「して、なぜお前らはこの俺のところに?」


 低い声が響くと、人間たちは一斉に顔を上げた。

 自らが神と仰ぐ存在に尋ねられ、彼らは体を硬直させる。

 だがすぐに信仰心を爆発させ、人間たちはゲブラーにすがるように口を開いた。


「邪教の者たちであるギムレー王国に怪しい動きがありました! 我らはそれを、いち早く神に伝えに参ったのです!」

「詳しく」

「あの恥も知らぬ邪悪なる王女が、神に対抗するための〝針〟を『虚無』で探し出してくるよう、野蛮な騎士共に命令したのです! ああ……なんと蒙眛なことか!」

「騎士団はベルティアから出発し、すでに『虚無』に到達しているやも知れませぬ! 神よ、無知な藁人形共に鉄槌を!」


 神への矢継ぎ早な懇願。

 怒りと畏敬に満ちた人間たちは、憤怒と悦びを表情に共存させ、再び頭を地面につけた。


 懇願を聞き、ゲブラーは考える。

 ヘットは上体を起こし、口に指を当てつぶやいた。


「その騎士団ってさ~、ワンちゃんが率いてた昨日の~?」

「間違いなかろう」


 ゲブラーに肯定されて、ヘットはニタリと頬を歪ませる。

 人間たちの報告を楽しむのはヘットだけではない。ゲブラーもまた、感心したようにうなずいた。


「やはり世界は正しき道を行くか」


 そう言って、ゲブラーは平伏す3人の人間に再び声をかける。


「お前ら、よくやった。褒美をやろう。希望は?」


 言われて、人間たちは顔を見合わせると、子供のように無邪気な笑みを浮かべ答えた。


「我らの望みはただひとつ!」

「強大な力を、我らにも!」

「〝針〟の在り処は我らが掴んでおります! 力を得た暁には、人間界の浄化の先陣を切りましょう!」


 いくら仰々しい言葉で飾り付けたところで、それは単純な望みである。

 ただ、世界の魔力化を果たそうとしているマゾクにとって、彼らの望みは好都合だ。

 ゲブラーはゆっくりと首を縦に振る。


「良かろう」


 そして魔力の霧と同化した腕を伸ばし、一人の人間の頭を鷲掴みにした。

 魔力は一人の人間の体内に大量に染み込み、人間の体は波打つ岩のように変貌していく。


「ああ……声が聞こえる……これが神の力……!」


 目を見開き、よだれを垂らし、歓喜する一人の人間。

 その間に、ゲブラーはもう一人の人間の体にも大量の魔力を染み込ませた。

 大量の魔力を得て、もう一人の人間の体は水風船のように膨らむ。

 岩のように変貌する人間、水風船のように膨らむ人間。2人の声は軋む鉄のように。


「声が聞こえ、魔力と一体に……全ての魔力が肉体を包んでいく……魔力が、私の、世界の、力が、ひとつになっていく……神の力が、神の、神の、力、力、力が……」

「見える! あらゆるものが! あらゆる世界が! これが強大な力! 力だ! 力! 何もかも! 力! 私の! 力! 魔力と、世界と、私は、ひとつに――遘√?驕ク縺ー繧後@閠!」


 直後、鈍い音と共に無数の肉片が飛び散った。膨らむ人間が破裂したのだ。

 バラバラと飛び散る人間の成れの果て。

 肉片を浴びた、未だ力を与えられていない残りの一人の人間は顔を歪ませる。


「か、神よ……これは……?」

「強大な力を得るに足らぬ弱者の終末だ」


 表情を変えないゲブラーの答えに続き、岩のように変貌する人間の金切り声が響いた。


「あああ! 神の力だ! 神の力が、私の体を――蜈ィ縺ヲ繧堤・槭↓謐ァ縺偵∪……」


 歓喜に包まれながら、岩となった体を崩壊させ、一人の人間は砂となった。

 風に吹かれ散っていく、人間であった砂の山。


 ゲブラーは気にせず、残りの一人の頭に魔力と同化した腕を伸ばした。

 ここで、残りの一人は声を震わせる。


「お、おおお、お待ちを! わ、私は、神の力を得るに相応しき者なのでしょうか!?」


 情けない声に対し、ゲブラーは理解を示さない。


「何を恐れている? 力に相応しき強者であれば、力を得る。弱者に過ぎぬのであれば、終末を迎える。ただそれだけのこと。全て世界の理、世界が正常である証ではないか」


 それこそがゲブラーにとっての当たり前。

 自分が標的になってようやくマゾクの異常性に気がついた人間は、今まで以上に頭を地面にこすりつけた。


「わ、私はまだ……まだ修行が足りませぬ! 今少し! 今少しだけ修行を積む機会をお与えください!」


 精一杯の〝言い訳〟であった。

 これを聞いて、ゲブラーは伸ばした腕を戻し、代わりに口を開く。


「ヘット、この者の修行を手伝ってやれ」

「はいは~い」


 跳ねるように立ち上がり、ヘットは人間の前へ。


「じゃあ~、さっそく修行を~、は~じめ~るよ~! ほい!」


 楽しげな口調と同時、人間の指に絡みつくリボン。

 すぐにリボンは人間の指を締め付け、肉に食い込んだ。


「あ……あ……あああああ!!」


 痛みに人間が叫ぶ頃には、10本の指が地面に転がっている。


 続けてヘットのリボンは人間の腕や足に絡みつき、サラミでも刻むように人間の手足を細かく輪切りにしていった。

 手足が短くなるにつれ、人間の息は絶え絶えに。


「ヒィ……ヒィ……ああ……あああ!」

「アッハハ! ねえねえ~、修行はまだ~、はじまったばかりだよ~? ほらほら~、神の奇跡だぞ~。アッハハハ!」


 治癒の魔法を使い、ヘットは刻まれた手足を人間に繋げ直した。

 そして、再び手足を細かく輪切りにしていく。

 

ヘットはリボンが人間の肉に食い込むたび息を漏らし、恍惚とした表情に。

 ついには地面に広がる人間の血液で裸体を濡らし、また舌を伸ばして地面の血液を舐め、刻まれた肉で自らの体を撫で回した。


「ああぁ……もうこんなに血肉が……いっぱい出しちゃったねぇ……アハハッ!」


 劣情と鮮血にまみれたヘットの笑い声が響く。

 対する人間は、叫ぶことも忘れて虚空を眺めていた。


「そんな顔して~、もっと笑いなよ~」


 言いながら、ヘットは人間の口に自らの両手の人さし指を突っ込む。続けて無理やりに口角を持ち上げた。持ち上げすぎて、人間の頬が裂けた。


 もはや限界である。人間は残された力を振り絞り、舌を噛み切った。

 口からこぼれ落ちた舌を見て、ヘットは大きなため息をつく。


「あのさ~、そういうの興醒めするから~、やめてくんないかな~」

「ああ……あ、あ、あ……」

「もういいや~」


 真っ赤に濡れた体を立ち上がらせ、口を尖らせるヘット。


「ねえねえゲブラー、こいつダメ~」


 死に行く人間に背を向け、ヘットはそう言い放った。

 興味なさげに遠くを眺めていたゲブラーは、ふと笑う。


「ふむ、其奴も強大な力を得るに足らぬ弱者であったか。しかし、この人間は弱者に相応しき死を、自ら選んだのだ。最後まで世界の理を正しく理解した、良き人間であった」


 満足げな表情のゲブラー。

 彼にとって、弱者の死は当然の帰結、むしろ絶対の掟であり、喜ぶべきことなのである。


 さて、無残な肉片を遊ぶように投げながら、ヘットは尋ねた。


「で~? ワンちゃんたち騎士団と~、あのウッザい空中戦艦、どうすんの~? いつ神の子ともう一回、気持ちいい~ことさせてくれるの~?」

「俺に任せろ。空中戦艦と合流した奴ら、利用させてもらう。神の子は渡さん」


 マゾクのさらなる躍進。世界の魔力化への大きな一歩。

 世界の〝正しい姿〟を思い浮かべ、ゲブラーは魔力の霧となり、神の子のもとへと向かった。

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