3章 ブロンズ級ベリー売り

第9話 家族を引き裂いた者

 さて、クランに対してカッコつけて出発したものの、いざ森に入ってみると緊張感は凄まじいものだった。

 故郷のトワイライトの森にだってグリズリーはいるものだし、里帰りしてから再び旅立つ際には遭遇の恐怖と戦いながら歩いているものなのだが、今回は特にグリズリーたちがピリピリしているという背景がある。

 そう、状況が違うのだ。


 一応、ブルーが一緒にいる分、頼もしいという点はある。

 グリズリーは計算高いとも言われている。心優しいが見かけだけはオオカミであるブルーを見て、わざわざ襲い掛かってくる者は少ないだろう。

 それに、私にはベリー銃がある。いざとなれば、このポイズンベリー弾が私とブルーの身を守ってくれるはずだ。

 それでも、気が立ったグリズリーという存在はその字面だけでも恐ろしい。そう思ってしまう理由は、やはり父ローガンのことがあったからだろう。


 父が亡くなったのは、私とクランが本当に小さな頃の話だ。兄ブラックと姉グースを連れてベリー狩りに向かった先で、興奮しておかしくなったグリズリーと遭遇し、深手を負ってしまったのだ。

 父は兄と姉を守るために戦い、そのグリズリーは仕留められた。しかし、父の負った傷もまた到底助かるようなものではなかったらしい。

 私とクランはその光景を見ていない。それでも、このような経緯で父を失ったという体験は、片手で数えられるほどの年齢の私たちにはあまりに重たすぎた。

 それゆえに、子どもの頃は全てのクマを恐れてしまうほどだった。


 そして、悲劇はそれだけじゃなかった。

 グリズリーによって失ったのは父の命だけではない。その事件こそが、兄ブラックの心をおかしくしてしまったのだ。

 ブラックは音信不通のまま旅を続けている。その理由は、父の命を奪ったグリズリーをおかしくした犯人──怪人コヨーテと呼ばれる存在を突き止めるためらしい。

 怪人コヨーテなんておとぎ話の存在に過ぎない。そうは思うのだけれど、彼はどうやら本気のようで、どんなに追いかけても待ってくれないし、ドラゴンメイド各地に伝言を残してみても、手紙一つよこしてくれないのだ。


 それもこれも、あの事件のせい。

 あの事件さえなければ、父が生きていれば、こんな事にはならなかったのに。


 グリズリーどころかすべてのクマが憎いと感じたことだってあったし、実際に旅をするベリー売りになってみて、グリズリーや野生のクマに襲われかけて恐怖を感じたこともあった。

 私にとってクマは、悪い意味で特別な存在だった。

 今だって、タイトルページの住人であるクマ族にすら驚いてしまう自分がいる。彼らは人間であり、グリズリーとは違うのだと分かっていても、その大きな体、大きな口と牙、鋭い爪に恐ろしいと思ってしまう瞬間がある。勿論、思うに留めて表に出さないように努めてはいるけれど、それがグリズリーともなれば、尚の事だ。


 だが、私だっていい大人だ。母や祖母、そして事件に遭遇した姉もまた、幼い私とクランに対して大事なことをたくさん説いてきた。そこから得られた学びの一つが、グリズリーという存在自体が悪であるわけではないことだ。

 大きくなればなるほど、視野は広がっていく。それは勿論、武器に頼らずとも分かり合えると根拠もなく妄信することではない。

 ただ、少しでいいから相手を信じるという希望を捨てないことだった。

 だからきっと、私もまたじっとしてはいられなかったのだろう。

 かつての私のままだったら、グリズリーが理由も分からず駆除されるかもしれないという気配に対して特に焦りを覚えなかったはずだから。


 とはいえ、である。

 幼い頃から蓄積された恐怖心は簡単に拭えない。

 バーナードはまだ祖父がグリズリーというだけだった。そんな彼ですら、一瞬だけでもビビッてしまった。

 幸い、今ではバーナードに怯えるなんてことはない。しかし、これから会いに行くアーサーは違う。

 生粋のグリズリーと言っていた。大丈夫だろうか。正直心配になってしまう。とにかく今のうちに覚悟を決め、恐れているということが顔に出ないように努めなければ。


「ねえ、ラズ。あれじゃない?」


 ブルーに声をかけられて、はっとした。

 そこは、確かにバーナードから教えてもらった場所と一致した。ベリー畑よりも手前の、少し道を外れた先にある開けた場所。

 小屋は二階建てで、グリズリーが暮らすことを前提としているので、かなり大きい。

 ブルーと共に目の前の小屋を見つめ、私は静かに肯いた。確かに間違いないだろう。ヒト族のサイズではない。


「行きましょうか」


 緊張を押し殺し、私は小屋へと近づいた。

 クマの形をしたドアノッカーすら、私が背伸びをしてやっと届くという位置にある。どうにかノックをしてみれば、程なくして扉は開かれた。

 扉を開けて現れたのは、覚悟していたよりもさらに大きく見える赤毛のクマだ。間違いない。グリズリーだ。

 ただ幸いと言っていいのか、そのグリズリーは服を着ていた。タイトルページの町の人たちの着ているような、しっかりとした服ではない。見るからに古いボロボロの服である。それでも、服を着ているだけで少しは安心した。


「あ、あの……アーサーさん……ですか?」


 問いかけると、彼はじっと私の顔を見つめてきた。表情は読みづらい。明らかに、タイトルページで暮らすクマ族とは違う。

 それでも、私は怯まずに懐からガマ口ポーチを取り出して、バーナードから預かったスピリットベアの欠片を手に取った。

 差し出してみると、彼の表情が少し変わったような気がした。そこへ、私はさらに声をかけたのだった。


「絵本作家のバーナード=ブラックさんの代理で来ました。この森のグリズリーたちの件で、お訊ねしたいことがあるんです」


 すると、彼は器用に腕を組みながら少しだけ考え、そして深く頷いた。


「分かった。中へどうぞ。そちらのマヒンガ君もね」


 見た目に反してその声は、バーナードに似て穏やかな印象だった。

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