第2話 生きる意味

 宏斗ひろとくんと同じ時間を重ねて5月20日に近づく。そんなある日の放課後。

「なあ、愛紀。俺はお前が好きだ。付き合ってくれ」

「……うん。ありがと。よろしくお願いします」

 ペコリとお辞儀をすると、宏斗くんは私をギュッと抱きしめてくれる。

 その角張った手。暖かい温もり。筋肉質な胸板。

 ときめいちゃう!

 私は嬉しさと恥ずかしさで目を回す。

「あ。ごめん。我慢できなくて」

 申し訳なさそうに呟く宏斗くん。

「ええと。うん。ありがと」

 それでも嬉しい気持ちが、幸福感がこみ上げてくる。

 嗚呼。こんなにも私は宏斗くんが好きだったんだ。

 つーっと涙がこぼれ落ちてくる。

「ご、ごめん。いや、だったよな……」

「違うよ。嬉しい。だから――」

 言葉にならずに涙を流し続ける私。

 慌てふためく宏斗くん。

 やっぱり優しい。

 ようやく落ち着くと、私は宏斗くんの頬にキスをする。

「え。へ?」

 困惑する姿、可愛いな~。

 私は嬉しくなり、宏斗くんと一緒に帰り道を歩く。

 スキップをしてしまうのはやはり彼が好きだからか。

 とにもかくにも晴れて恋人になったんだ。

 これで事故さえ回避できれば、なんの問題もない。


 来る5月20日。

 今日はデートの予定もいれていない。

 電話でもしてみようかな。家からでないようにしないと。

 スマホを操作し、宏斗くんの電話番号にかけてみる。

『どうした? 愛紀』

「今、家にいる?」

 なんだろう。宏斗くんの息づかいが荒い気がする。

『いや、おふくろが風邪引いた。食事を買いに来ている』

「え……」

 私はすーっと目の前が暗くなるような気がして、宏斗くんの声が遠のく。

 血の気が引いていき、一気に世界が凍えてしまったかのように冷たく感じる。

「すぐに家に帰って!」

『大丈夫だよ。近くのコンビニで買うだけだから』

 コンビニ。

 確か事故のあったときもコンビニに向かっていた。

 南吉成金の閑静な住宅街。脳梗塞を起こしたシロネコ便のトラックが暴走する時間。

「いけない――!」

『え』

 電話越しで聞こえてくる衝撃音、途切れる言葉。

 地面を転がる音。

 タイヤに踏まれたのか、途切れる音声。

 スマホは雑音を残すばかりで、何も聞こえなくなる。

「宏斗くん?」

 そんなはずない。

 彼が死ぬなんて。

 それも二度も。

 そんなのいや。

 私は彼を助けるためにタイムリープしてきたんだ。

 だから――。

 今度も助ける。

 お願い。

 タイムリープして!!!!

「タイムリープしてよ!!!!」

 大声を上げて、泣き叫ぶ。


 気がついたら、私はまた宏斗くんを失っていた。

 葬式に呼ばれて、彼の遺体を前に何もできなかった私を呪った。

 そんな自分がどんどんと嫌いになっていく。

 一緒にいれば、トラックを避けられたかもしれないのに。

 でも、そんなことすらしなかった。

 ここまで頑張ってきたのに、全然だめだった。

 自分を呪い、世界を呪う。

 なんでこんなにも優しくて頼りがいのある彼がこんな形で死ななければならない。

 トラックの運転手も、脳梗塞で死んだ。

 恨みをぶつける相手もいない。

 返してくれ。そんな言葉すら言える場がない。

 恨みを憎しみをぶつける相手もいない。

 握りこぶしをふり下ろす先すらない。

 なら、誰を恨めばいい?

 誰を責めればいい?

 私にはそれすらも許されなかった。

 事故。それも病気で。

 何も言えない。

 私はどうやって生きていけばいい。

 タイムリープも一度きりだったのかもしれない。

 もしかして、私は神に見放されているのかもしれない。

 枯れ果てた涙も、すさんだ心も。

 もう何も戻らない。

 帰れない……。

 タイムリープしたこと自体が奇跡だったのかもしれない。

 神様の気まぐれなのかもしれない。

 もしくはこの世の心理にでも触れたのか。

 理由は分からない。

 でも私は二度も愛する人を失った。

 この経験になんの意味がある?

 何も悪いことをしていないのに理不尽に愛する人を、命を、奪われる。

 こんなのっておかしいよ。

 トラックがなければ良かった。

 物流がなければ良かった。

 みんな苦しめばいい。

 そうであれば、どんなに心地良いか。

 ――いや、違う。宏斗くんはそんなの望んでいない。

 なら、私のこの気持ちはどこにぶつければいいの?

 嗚咽をもらし、涙を流す。

 空っぽになった私はいつの間にか自宅に引きこもっていた。

 宏斗くんが亡くなって一週間。

 チャイムの音が聞こえてくる。

「愛紀ちゃん!?」

 美子ちゃんの声が聞こえる。

「こないで!!」

 かすれた声を上げる。

 痛い。

 久々に使った喉が悲鳴を上げる。

 痛い。痛いよ。

 胸がギュッと締め付けられるように痛い。

 タイムリープは一回だけのチャンスだったのかもしれない。

 もう帰れないんだ。


 一年後。

 私は高校二年になっていた。

 笑顔を貼り付けて会話をする毎日。

 全てに冷めてしまって、心がすり切れていくのを感じた。

 周りの人が言う青春とはほど遠い生活。

 あの頃のときめきを返して!

 そう言っても誰も応えてはくれない。

楠本くすもと、こい」

 担任の男性教諭が話しかけてくる。

 言われるがまま、職員室に向かう。

「お前だけだぞ。進路調査表をだしていないのは」

「すみません」

「……人生は理不尽で溢れている。それでも人は生き続ける。なぜだと思う?」

 意味の分からない問いに私は疑問を覚える。

「さあ? 死ぬ勇気がないから、ですか?」

「いいや。生き続けて、周囲に影響力を与え続ける。それが未来を切り開くからだ」

 青山先生は一口コーヒーを飲み、続ける。

 私には水すらないのに、理不尽な。

「生きる人が、その力で理不尽をなくしていく。それは義務であり、責任でもある。同情を誘え。命という力を信じろ。人の心理をつくんだ」

「それは外道のすることでは?」

「いいんだよ。同情も、心理もないならこの世界はすでに終わっている。そんな世界で生きている価値なんてない。でも、今はまだ希望がある」

「よく、分かりません」

「そうだな。今は分からなくていい。でもその胸に刻んでおけ」

 そう言って青山先生はコーヒーを飲み干す。

 やはり理不尽だ。

「話は終わりだ。次の授業をちゃんと受けるように」

 最近、サボっていることもバレているらしい。

 でも勉強なんてしたって宏斗くんは帰ってこないもの。

 私、抜け殻になっちゃった。

 授業に戻ろうと教室の椅子に座ると、隣の席の美子ちゃんが話しかけてくる。

「どうしたの?」

「あー。なんでもない」

 先ほどのやりとりになんの意味がある。

 もう私の幸せは訪れないのだから。

 もう何もかも無駄なのだ。

 それでも生きるのが辛くて、首をくくろうとした。でもそんな勇気がなかった。

 心臓が痛い。目がチカチカする。

 それは私が弱いからかと思っていた。

 世界中で苦しんでいる人がいるのはニュースを見ていれば分かる。

 そんなの関係ないと思っていた。

 でも、私と同じ境遇の人もいる。

 だから――。

 だから?

 だから何をしたいと?

 分からない。

 私はもう幸せになれない。

 もう戻れない。

 青春も、恋も終わったのだ。

「愛紀ちゃん? 大丈夫?」

 心配そうに顔を覗き込んでくる美子ちゃん。

「ええと。ははは……」

 乾いた笑みを浮かべて、親友の心配そうな目から視線を外す。

「ちょっと保健室行ってくる」

 美子ちゃんの視線に耐えられなくなり、私は保健室に向かう。

 タイムリープ。

 あれは奇跡だった。

 あれ以来一度も起きてはない。

 もう事故から一年が経つ。

 私は弱い人間だから。

 保健室につくと先生がいないらしく、私はいつも通りにベッドに潜りこむ。

 疲れた。

 疲労感で目を閉じると、すぐに眠気が襲ってきて、夢の世界へと飛び込む。


「愛紀、おい。愛紀?」

 瞼を開けると、そこには彼がいた。

「授業中だぞ!」

「宏斗くん!?」

 私は驚きで立ち上がり、宏斗くんを見やる。

「楠本、うるさいぞ!」

 青山先生がこちらにチョークを向ける。

 授業中?

 私保健室のベッドにいたはず、なのに。

 ああ。この感覚。

 私、またタイムリープしたんだ。

 隣に座る宏斗くんを見やる。

「楠本、この問いが分かるか?」

 青山先生は意地の悪い笑みを浮かべて難しい数式を叩く。

「分かりません」

「なら、黙って授業を受けろ!」

「……はい」

 怒られた。

 でも嬉しい。

 また宏斗くんと出会えた。

 今度は間違わない。

 絶対に助けてみせる。

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