第2話

 言葉で人が死ぬ世界が訪れるなんて、百年前、一体誰が思っていただろう?

 なにもあたしは、ペンは剣よりも強し的世界を言っているわけではない。本当に言葉で人は死ぬ。去年、あの戦闘で死んだのは、七割が英語圏の人間だったという。今年も英語圏の人が沢山死ぬのだろう。もちろん、あたし達が勝てばの話だけれど。

 CVWが初めて実戦投入されるところを見た時、あたしを含めて、みんなが震えあがったのを覚えている。英語を喋った瞬間、顔を赤くし、間もなく倒れる敵兵。訳もわからないまま叫び、その次の瞬間には息絶えている敵兵。その異常な光景の中で、あたし達は誰も何も喋れない。微かに漏れる息の音、それは遠い銃声と砲撃の轟音で掻き消された。

 いくら英語と切り離された生活を送っていても、単語の一つや二つ当然に知っている。うだるような暑さが続く夏だったけれど、あたしは寒さを感じ、やがてそれが恐怖だと気が付いた。知っている言葉を口にした瞬間自分は死ぬ、という恐怖に、あたしの身体は支配された。ハローで死に、弔いのグッドバイで死ぬ世界が、目の前にあった。

 言葉には独特のアクセントがあって、CVWはそのアクセントに寄生し爆発するわけだから、一応のこと、あたし達が英単語を喋ることは問題ない、らしい。らしい、というのは、今やあたし達の誰も英語なんて喋らないから、本当のことはわからない、という意味だ。CVWは音ではなく、発音の際の舌の動きを感知する。だから、そこに訛りがある以上、音は概ね同じでも、反応はしない。だけれど、もしも何かの間違いで、兵器のネイティブ判定に引っかかれば、CVWはあたしの喉で炸裂する。わざわざ英語を使うのはリスキーすぎる。

 だから、あたし達は定められた言語体系の中で敵を撃つと決めた。

 つまり、英語本来の音を排除した、新たな言葉の枠の中で。アルファベットが全てひらがなに変換された、特殊な戦場の言葉の中で。作戦中、あたし達の中でCVWは、「しーぶいだぶりゅ」だ。やれやれ、なんて馬鹿らしいんだろう。幼児退行した兵士が、兵器と銃で虐殺を行うなんて、あまりに滑稽だ。

 とにかく、そのネイティブを判断する機能が、敵味方の判別方法なわけだけれど、これにはちょっと問題がある。それは、敵の雇った外国の傭兵を殺せない、というものだ。敵の傭兵はコミュニケーションのために英語を使うけれど、付け焼刃の訛った英語だから、兵器はそれを察知出来ない。

 そして、そういう敵を撃つために、あたし達がいる。

「スミカ」と誰かがあたしに声をかけた。「ねね、さっきの、見た?」

「さっきの?」

 興奮しているユキに、あたしは聞く。肩にかけたライフルが揺れて、あたしのお腹に当たるから、それを腕で制止した。

「虹だよ、虹」

「虹い?」

 呆れて、あたしは言う。虹に興味を持つ銃殺隊なんて彼女くらいだろう。もちろん、それが彼女の長所で、愛されている所以なわけだけれど。

「奇麗だったよ、すごく。超でかいし」

「ふうん、そう」

「……なんか反応薄くない?」

 ユキはあたしの目を覗き込みながら言う。彼女の奇麗な翡翠色の目に見つめられると、あたしはいつもどきりとした。見透かされている感じ、というと少し違うような気がするけれど、大体そんな感じだ。ババ抜きでババを持っている時に、ジッと目を見つめられるアレ。微かな後ろめたさが心の裏側を這う感じ。

 あたしは、「だってさ」と言ってユキの頭を両手で持ち、遠くに見える大陸の方に向けさせた。「ごらんよ、あれ。……今からあたし達は、あそこに住む人をみんな殺しちゃう。その大きな虹を一緒に見上げていたかもしれない人達を、完膚なきまでに皆殺しにするんだよ。……気が滅入るな、あたしは正直」

 するとユキは、腰に手を当てて小さく息をついた。

「うん、わかってるよ、わたしも。……二日前から、眠れてないの。また、あの時の光景と同じものを見るって思ったら……怖いよ。だから、奇麗なものを見て気を紛らわすの。昨日は星を見たよ。知ってる? 昨日通った辺りは、どの島からも離れているから、明かりが全くなくて、星がちょっとも隠れないの」

 あたしは大陸を見つめながら語るユキの手を握った。手袋越しに熱は伝わらない。けれど、その下の肌は暖かいんだろうな、と感じる。

「ユキは撃たなくていいから」とあたしは強く言った。「あたしがやるよ、全部」

「ダメだよ、そんなの」

「いいんだよ。ユキ、きみは去年、あたしが何人殺したか、知ってる?」

「二十三人、だっけ」

「それは確認戦果。何人かのタグは回収できなかったから、本当は三十人以上」

「でも、わたしも――」

「きみは五人。しかも、そのうち三人は、味方を人質にしようとした兵士を、仕方なく撃ってる。あたしとは違う。きみまで手を汚さなくていいよ」

 ユキはあたしの手を握り返して、こちらを向き、首を振った。薄い空気が揺れるように動き、彼女の髪の匂いがした。

「……人数じゃないよ、そんなの」

「ねえ、ユキ」

 あたしはユキの手を離した。あたしの手の支えを失った彼女の手が、だらん、と下に垂れる。力の入っていないその腕は、とても人を殺せると思えない。本当に五人も殺したのかな、と疑問に思うほどだ。それと比べて、あたしの腕は随分汚れている。見えない血の汚れ、殺した人の怨嗟、地面を這いずり回った時の泥……そんなあらゆる汚れを、あたしは自分の腕に感じずにはいられない。

「聞いて」とあたしは言い、ユキの髪に指をからめた。「あたしはね、とてもひどいことをしたんだ。残酷な方法で、何人も殺した。兵器の存在に気付いた兵士に、無理やり喋らせて、自ら死なせたりね。……そうしたら、自分の手は汚れないと思ったんだ」

「・・・・・・うん」

「でもね、それは勘違いだった。気付いた時、あたしの手は血みどろだったんだ。銃で脳天を撃ち抜き、ナイフで首を掻っ切るよりずっと、あたしの手は血で汚れた。もう、綺麗でなんていられない・・・・・・」

 その時、何か弾けるような音が大陸の方から聞こえた。あたし達の船を待ち構えていた連合国軍が、砲撃を開始したのだ。彼らの持つ情報部隊は優秀だから、空軍による急襲なんて意味がない。それなら、鼻から相手は準備しているものだと高を括って、艦隊による総攻撃を開始する、というのがあたし達の方針だった。案の定、彼らは最大限の守りの布陣を展開している。

 あたしはユキの手を引いて、船の中へと戻った。レーダーと迎撃システムでほとんどの砲撃が落とされるこの時代の戦闘で、今の時間あたし達の出る幕はない。これは、お互いに吠えあって牽制し合う、あくまで形式的なものなのだと言っていい。

「海を眺めるにしては、うるさすぎるからね」とあたしは言った。

   

 ○


「二二世紀の人類は、一つの壁に阻まれていた」とあの時教官は言った。「つまり、我々は暴力に理性を持たせることを欲していたが、どうしてもそれは叶わなかった。核は技術で威力を増したが、理性的ではなかった。百万人を一斉に殺す核は作れても、特定の人間のみ十万人殺す核は存在しないからだ。そのような核を用いた戦争が、人類の存続に危機をもたらすのは、はるか前から危惧されていたわけだが、戦争は確実に現実味を帯び出していた。経済のブロック化が進み、再び戦争の時代に近づいている中で、我々は核戦争を回避しなければならないという、矛盾を抱えていた」

 あたしはノートを取りながら、横をチラッとみた。すると、ユキとミハルがこくりこくりと、ゆりかごのように揺れていて、あたしは慌てて二人を起こした。

「そこで我々が、殺害の対象を選別する方法として見出したのが、言語だった」と教官は続けた。「最初は、周囲の人間の使う言語を音で把握し、音源を目掛けて機銃を掃射する、戦闘ドローンの開発から進められた。しかし、音で判断する兵器は精密ではなく、理性的とは言えなかった。それにドローンは、大量殺戮を可能とする、という前提の構想から外れるものだ。我々はドローン兵を却下し、新たに別の観点から開発を始めた。それが、舌の動きから言語を判断する新たな核、『CVW』だった」

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