(37)暴走

 ――目が虹色になるのは、トリオンの力に精神をむしばまれた暴走状態。

 確か、そうだった。


 覚醒して敵を倒した後、トリオンに飲み込まれ肉体を失った主人公の精神が行き場を失い、暴走をはじめる。

 劇中ではこの状態で、地球を滅亡寸前にまで破壊した。

 そして、それを止められたのは、ヒロインの演説で世界が一丸となり、現存する全ての核ミサイルを撃ち込んだから。


 ……この世界ヘルヘイムには、当然ながら、核ミサイルは存在しない。


「…………」

 誰も声を発さなかった。

 『甲鉄機兵フォートリオン』の物語を知らなくても、絶望的な状況な事は理解できるだろう。


 フォートリオンはビームソードを引き抜いた。


 ――キィヤァー!!


 その時、ファルコンが戻ってきた。

 森じゅうの鳥たちを追い立てて。


 無数の鳥が、フォートリオンを取り囲む。

 だが暴走状態では、緊急停止システムは作動しない。

 鬱陶しそうにビームソードを振り回すと、鳥たちは衝撃波で吹き飛んだ。

 木々が激しくしなり、俺たちは木陰に身を隠した。


「逃げよう」

「これは無理よ」

 バルサとエドが訴える。


 だが、俺は動かない。

「どこに逃げたって、こいつ相手じゃ助からない」

「ならどうすれば……!」

「ファルコンが戻ってきた。――マヤを呼びに行ったファルコンが」

「――――!」

「彼女に、託すしかないよ」


 すると、足音が聞こえた。

 全力疾走するヤクだ。


 その首筋にまたがり、長い角を両手で掴んだマヤが叫ぶ。


「お兄ちゃん! もうやめて!!」


 急停止したヤクから飛び降りて、マヤはフォートリオンの正面に立ち塞がった。


「もう、他の人を巻き込むのはやめて」


 すると、ハヤテが返事をした。

「おまえまで、そんな事を言うんだな」


 マヤの目に涙が光る。

「私は、お兄ちゃんのする事を、何も反対しなかった。……私も、お兄ちゃんと一緒だったから」


 ――友達がいなくても、園芸係として植物と向き合っていれば、ひとりぼっちを誤魔化せた。

 ハヤテの場合は、フォープラに対する熱量が誰とも合わずに孤独になった。

 けれども、ひとりぼっちの先にあるものは、決して希望ではないと、二人は知っていた。


「お兄ちゃんは、私がいじめられると助けてくれた。なのに私は、お兄ちゃんを何も助けられなかった。……お父さんとお母さんが、お兄ちゃんのフォープラを捨てるのも止められなかったし、お兄ちゃんが、部屋に火をつけるのも……」


 そう言って、マヤはフォートリオンを見上げる。


「私が『一緒に死ぬ』って言わなければ、お兄ちゃんは、火をつけたりしなかった。そうでしょ?」


 フォートリオンは、虹色の目をマヤに向けたまま動かない。


「だから、せめてこの世界では、お兄ちゃんを助けたいの! お願い、もうやめて!」

「……遅いんだよ、何もかも」

 フォートリオンは一歩退がる。

「もう戻れない。放っておいてくれ」


 虹色の翼が強い光を放つ。

 そして、足が宙に浮こうとした時。


「――それならば、今度こそ、お兄ちゃんを、私が止める」


 マヤの手にした植木鉢が光る。

 小さな素焼きの器は大きく膨張し、そこから無数のつる螺旋らせんを描くように伸びだした。

 太い蔓は捻じれ絡み、瞬く間にフォートリオンの脚に巻き付く。


「…………!」


 ビームソードが薙ぐ。だが、斬るよりも蔓の伸びるスピードの方が早い。

 蔓の網に雁字搦めに捕らえられたフォートリオンはもがくが、しなやかで強靭な蔓はほどけない。

 腰に、肩に、腕に絡み付いて、巨体の動きを封じた。


 俺たちはただ、それを見ている事しかできなかった。

 その先に続く『筋書き』は、もう止められない。


 その後も蔓は成長を続け、まるでジャックと豆の木のように、天高く伸び上がる。

 フォートリオンはそれに飲み込まれ、腕の先と顔の部分が隙間から見えるだけになった。


「……やめろよ。知ってるだろ? 俺はもう、真っ当には生きていけないんだ。それとも、俺に死ねと言うのか?」


 ハヤテの声に、マヤは答えた。


「もう、お兄ちゃんが誰も殺さなくて済むようにしてあげる」


 ――フォートリオンの姿が、完全に蔓の中に消えた。

 そして、ギシギシときしむ音。


「………………」

 俺は言葉を発せられなかった。

 だが目も離せなかった。

 それが、原作者ストーリーテラーとしての責任だと思った。


 植物とは、限界まで成長すると、ゆっくりと枯れていくものだ。

 やがて蔓は、緑から茶色に変色して、地面に崩れていく。


 ――その隙間から、ねじ切れたフォートリオンの破片がバラバラと崩れ落ちた。


 無言だった。

 なるべくしてなった結末だと頭では分かっているのに、それが最悪の結末だと理解しているから、心に受け止められない。


 その沈黙を破ったのは、マヤだった。

 彼女は、枯れた蔓の隙間に転がる、元の形に戻った植木鉢を拾い上げると、ポツリと言った。


「今度は、私が、お兄ちゃんを殺しちゃった」


 俺は一歩前に出た。

「それは違う。――僕が、書いたんだ……原稿用紙に」


 厳密に言うと、「マヤがハヤテを殺す」とは書いていない。

 でも、こうなる事を分かって、マヤをここに呼んだ。

 そして、彼女の能力が失敗なく発動するよう操作した。


 ――結末エンディングの実行者を彼女に託しただけで、ハヤテは、俺が殺したのだ。


 マヤは乾いた目で俺を見た。


「ありがとう。……でも、私はもう、生きていけない。お兄ちゃんを助けるって願いが、叶えられなかったから」


 その反応は予想を超えていた。俺は焦った。

「待って! それは……!」

「もういいの。――さよなら」


 マヤの手から、植木鉢が落ちた。

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