第5話 辺境伯


 翼竜ワイバーンは速い。

 輸送に使われ、また戦場で乗用にされる馬竜ギータの5倍は速度が出る。

 なので、歩けば20日掛かるセビエの王宮までの距離を、たった1日で飛ぶ。

 この時間短縮を必要とし、王の使者にモイーズ伯を立てたことで、大将軍フィリベールから見て王の狙いは明確である。

 また、魔法省フォスティーヌ、財務省パトリスにとっても、それは同じであろう。王の意思を読み取れなくて、各省の長が務まるわけがない。


 呼び出された3人が駆けつけてくるまでの時間も惜しく、大将軍フィリベール、魔法省フォスティーヌ、財務省パトリスは、細かく部下に指示を出し、各所に齟齬が生じぬように図っていた。



「辺境伯モイーズ候、天眼通クロヴィス、他心通レティシア、御前に罷り越しました」

 儀官の声とともに、玉座の間に3人が入ってきた。

 相当に焦って駆けつけたのか、モイーズ伯は軽く喘いでいるし、クロヴィスの額には汗があった。


 辺境伯モイーズは、そろそろ白いものが頭に交じる中背中肉の男で、その容貌に有力貴族であることを感じさせるような押しの強さはない。むしろ、市井の居酒屋で安酒でも飲んでいそうな、茫洋とした雰囲気を身にまとっている。

 だが、これが擬態であることは、玉座の間の誰もが知っていた。無能だとしたら、自分の領地の街を国内第二の規模まで育て上げられるはずがない。


 ただ、今はその顔はげっそりと落ちくぼみ、目の下には隈が濃い。

 10万の単位の領民を、街ごと1日にして失ったのだ。その衝撃は、わずか1日にしてここまで消耗するほどに大きかったに違いないし、生き残った領民のこれからの生活への対応にも追われ続けていたはずだ。

 先ほど玉座の間にいた諸侯たちに混じれないほどに、である。

 領地がクレーターと化したという報告に対し、「ああ、そうですか。仕方ないですね」では済まぬ立場なのだ。


 天眼通クロヴィスは若く、背が高く、ローブを着ていて体型が見えないにも関わらず、ひょろりとした痩せぎすな印象を受ける。

 天眼を能くする魔術師は、皆痩せこけているか、極端に太っているかのどちらかだ。中間はない。

 これは、普通に生きていれば見なくても良いものを、あまりに数多く見続けているからに他ならぬ。魔術師といえど人である。過度のストレスは絶食か、過食か、どちらかに人を振れさせてしまいがちなのだ。

 そして、国家公認魔術師である以上、見ることは任務である。「見ぬ」という選択は許されない。


 そして、その目は今は床に注がれている。

 特に女性と同席するとき、彼が視線を上げることはない。これも実のところ、意味はない。別室にいても、それどころかこの星の裏側にいたとしても、見ようと思えばいつでも見ることができる。この星をめぐる月を越えれば別だが、天眼の魔術から逃れるには魔素を通さない魔法防壁が必要なのだ。

 だが、見えぬ振り、見ぬ振りも、師匠から伝授された要らぬ諍いを起こさぬための心得であった。


 そして、他心通レティシア。

 彼女も魔法を使う者としてローブを身にまとっている。束ねた長い金髪は、右肩から前に流れ、臍のあたりで終わっている。

 血色の良い、透明感のある顔には一面に紋様が描かれており、碧の大きな目と通った鼻筋としかその相貌はわからない。この紋様は、魔素の力をスポイルし、他人の心がわかるという魔法の力を封じ込めるためのものだ。


 レティシアが素顔を晒すということは、封印が解かれ己の得意とする魔法を使っているということになる。そして、この術は天眼の術より周りの人々から忌避されるがゆえに、視線を向けない程度の方法では周囲の不安は拭えない。

 なので、この術に才能を持つとされた12歳の時から4年、彼女は紋様なき素顔を人前で晒したことはない。


 魔法省の長、母のフォスティーヌは複数の術に精通し、その才は絶大なるものがある。その血を受け継ぐ娘がどれほどの才を持つか、そしてどれほどの術を使いこなすかは、他心通と共に魔素の力を封じ込まれてしまったレティシア本人すら知らない。

 術こそ様々に学んでいるものの、魔素の発動なき修練を続けるのは甚だ虚しいものではあった。とは言うものの、裏を返せばクロヴィスのように見なくても良いものを見続けなくて済んでいる幸福は、その全身からの生命感の迸りに現れていた。



「よく来てくれた」

 王は玉座から立ち上がり、3人に声を掛けた。

 これは、王の期待を示すものであった。同時にこれは、これから話す任務の重さをも物語っていた。


「辺境伯、モイーズ殿。

 此度のことは重ねてお見舞い申し上げるが、そのモイーズ殿でなければ頼めぬ仕事があってお呼びさせていただいた。

 貴公の領地の復興について、王家が直接に尽力することを約束する。替わりと言っては申し訳ないが、力を貸してはくれぬか?」

 王の言葉に、モイーズは片膝をついた。


「不肖、このモイーズ、微力を尽くしましょう。

 して、そのご用件とは?」

「2日後、北の隣国セビエの第二の都市ネイベンに、再び天より大岩が落ちる。

 それについては、すでにセビエの王宮でも掴んでおろう。

 そして、そのネイベンに対し、ゼルンバスの王としてセビエの王に依頼する。

 領民の避難は良しとしても、大岩の落下自体は魔法によって防がずにいただきたい、と。

 モイーズ伯には、その使者を頼みたい」

 モイーズは返事をしなかった。

 そのまま、沈黙の時が流れる。玉座の間の温度が一気に下がっていくような、緊張感だけが増していく。


「どういうことでございましょうか?」

 口を開いたのはクロヴィスである。

 通常、許しを得ない限り、臣下の者から王に話しかけるのは不敬に当たる。だが、この場の凍ってしまった空気に耐えられなかったのだろう。


「ではクロヴィス、今回の件で見えているものについて話せ」

 王は、自らの口で説明するより、聞いたクロヴィス本人に説明をさせることを選んだ。

 辺境伯からの、要らぬ疑いを晴らすためである。

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