第1話 青葉昴は主人公……ではない【後編】

「お、やっと来たか。こんな時間に登校なんて珍しいな。

 

 声の主は額に滲んだ汗を拭いながら席の方へと歩き出す。

 黒髪黒目、身長も百七十三センチ程と、パッと見特徴のない容姿。


 ――朝陽司。俺とコイツは子供の頃からの……いわゆる幼馴染ってヤツである。

 

「まったく……そんなこと言うなって。大変だったんだぞ俺……」


 うんざりした様子で司は席に座る。


「大変? なんだお前、ひょっとして見知らぬ女子と曲がり角でぶつかったのか?」

「いやいや、そんなことあるわけないでしょ……どこのラブコメ?」

 

 俺の質問に渚は呆れたようにツッコミを入れる。

 

 俺はそのツッコミに対して心の中で『やれやれ……分かってないな』と呟いた。

 たしかに言葉だけ聞くとラブコメの定番イベントにように聞こえるだろう。


 ベタ中のベタ。あらゆる読者が見てきた超が付くほどのテンプレ展開だ。


 とはいえ、現実ではそんなことは起こらない。

 

 女の子とぶつかってみろ? そのまま通報されて警察行きだぞ。多分。


 ――とはいえ……だ。


 この男、朝陽君の前では話が変わってくる。


「いやー……まぁ……」


 司は引きつった笑みを浮かべながら頬をポリポリと掻いた。


 ………。


 ……え、本当にそうなの? え?

 自分で言ったのはいいもの、俺は内心引いていた。


「……マジ?」


 ドン引きしている俺の言葉を聞いて、司は慌てた様子で否定する。


「ち、違う! あ、いや別に違くはないんだけど……!」


 違くないんかい。


「そんなラブコメ的なノリじゃなくて……あー、なんて言えばいいのかなぁ」


 ……コイツなんなんマジで。はぁ?

 渚も渚で「……マジ?」と俺と同じように引いていた。そりゃそんな反応にもなるだろう。


 詳細を聞くべきか……触れないでおくべきか……。

 

 どうしたものかと考えながら、ふと俺は司の右隣に座る蓮見の顔を見てみた。


「―――」


 ………。


 うむ。完全に戦闘不能状態の顔になっていた。


 真っ白に燃え尽きてやがる。

 予想外の展開に思考がショートしたのか、目を見開いたまま口をパクパクさせていた。


 ――南無。


 合掌。


「晴香、戻ってきて」


 見かねた渚が蘇生を試みる。

 うおおおお甦れ! 蓮見!


「――えっ、あ! ご、ごめん!」

 

 あ、ほんとに甦った。

 意識を取り戻した蓮見だが、未だに驚愕の表情を浮かべていた。


 俺はとりあえず咳ばらいをして周りを落ち着かせ、状況を整理してみることにする。

 

「コホン。……あーっと、なんだ? つまりお前は、登校中に謎の美少女とぶつかった。んで、そこからいろいろあったせいで遅刻しそうになった……と?」

「うん。まぁ……そんな感じ」


 まるで何事もなかったのように頷く司。

 俺は優しくフッと笑みを浮かべて席から立ちあがった。


 昔からの親友が大変な目に遭ったんだ。ここは俺が慰めてやらねぇとな――。


 俺はゆっくりと司の方へと向き直り――。

 机越しにヤツの胸倉を両手で掴んだ。


「はぁ!? てめぇ人が真面目に登校してるときになにラブコメしてんだオラァ!」

「うぉっ!?」

「気にするとこ、そこなんだ……」


 渚が呆れているが気にしない!


「んで、肝心の見た目は!? どんな美少女だったんだよオイ! オオオオオイ!」


 掴んだ両手をグラグラと前後に揺らす。


「お、おい昴! 痛いって! そんなこと別にどうでも――!」

「よくねぇわ! 早く教えろ!」

「わ、分かったから! 教えるからとりあえず離してくれ。な?」


 ケッ、と俺は吐き捨てるように胸倉から手を離した。

 

 「ったく……」と司は襟を整えながら俺たちを見渡した。

 

「……。えっと、金髪のロングヘアーでなんかこう……見た目はお嬢様っぽい感じで……だけど――」

「あーいい! もういい! これ以上お前の主人公エピソードなんて聞きたくないやい!」


 あまりにも素敵なラブコメ主人公エピソードの前になすすべ無しな俺は両耳を塞いだ。


「お前が教えろって言ったんだぞ!?」


 うるさいうるさい! なんで俺は朝からファンタジー(現実)な話を聞かないといけなんだ!


 金髪ロングなお嬢様女子と登校中にぶつかっただぁ?

 ほんとこいつは昔っから――!


 はぁ……と心の中で深いため息……をしたところで。


 ――待てよ?


 よくよく考えてみれば……俺なんかよりよっぽどダメージを受けているヤツがいるのでは?

俺は耳から手を離し、その人物……蓮見晴香をチラッと見てみる。


「びしょうじょ……きんぱつ……おじょうさま……サマ……らぶ……コメ……」


 あーこれはダメですわ。まーた故障してますわ。

 どうやらあまりにも受け入れ難い情報の羅列に、蓮見の脳のCPUが破損してしまったらしい。


 こうなったらもうどうしようもない……。どうか安らかに……。


「おう渚、お前の大事な親友がショートしてるぞ。修理してやってくれ」

「うん、無理。これはわたしの技術じゃどうしようもない」


 専門家が匙を投げたようです。お疲れ様でした。

 すまねぇ……と首を左右に振っていると、渚が「……それにしても」と話し始めた。


「まだ二人とは去年からの付き合いだけど……朝陽君、多くない? 

「え? 渚さん、そういうのってなんだよ?」

「あー……朝陽君は分からないかもね……で、どうなの青葉」

「それより、なんで俺だけ呼び捨てなのっていう疑問は――」

「お断り」


 ですよねぇ……。

 コイツ、他の男子は君付けなのに俺だけ呼び捨てなんだよなぁ……。

 ――なんて今更すぎる疑問は置いておいて。


 とりあえず今は渚の疑問に答えてやることにしよう。


「超多いぞ。なんなら小学生のときからこんなんだぞコイツ」


 俺は胸を張り、ドヤ顔で答える。


「なんであんたが得意げなのよ」


 さっきも言ったが、俺と司は幼馴染で小さい時からよく一緒に遊んでいた仲だ。

 そのときからまぁ……なんというか、司は女子から一定の人気があった。


 別に司にその気があったわけじゃない。

 モテるためにアレコレいろいろやっていたわけではなく、むしろ司自身は女子にモテたいという願望はないのだ。


 なのにも関わらず、司はとにかく女の子を引き寄せてしまう。


 さきほど言っていた曲がり角で女の子とぶつかるイベントもそうだが、複数の女の子が司を取り合っていたり、司の何気ない一言で女の子を意識させてしまったりなど……。

 

 とにかくまぁ……そんなラブコメ的なアレコレに事欠かないのだ。


 なのに女子の好意に気づかない鈍感系男子だしコイツ。


 いわばそう……朝陽司は『ラブコメ主人公体質』なのである。


 そして俺、青葉昴はそんな男を昔から一番近くで見てきている『主人公の親友ポジション』なのである。


 ――なんか自分で言ってて悲しくなってきたなオイ。


「やっぱり……そうなのかなって薄々思ってたけど……」

「ん? お前らなんの話してるんだよ?」

「「いや別に……はぁ」」


 おぉ、シンクロした。


「……あれ? 私なんで……」


 あ、やっと帰ってきた。

 ショートから自動復旧を果たした蓮見はキョロキョロと周囲を見渡し……そして司と目が合う。

 

 ――そして顔を赤くしてすごい勢いで目を逸らした。

 うーん青春。


「お? 蓮見さん、なんかヘアピン変えた?」


 おいなんか言い始めたぞこいつ。


「えっ?」

「え、うそ」


 頭にハテナマークを浮かべる俺と渚。

 一方で蓮見は突然の質問に驚いていた。

 

 司の言葉を受けて、俺はジッと蓮見のヘアピンを見てみる。

 ……え? いつも通りメロンパンだよな?


 なにが違うの?


 ここはやはり彼女の親友になんとかしてもらうしかない。

 

「おい親友」

「うるさい。ちょっと今本気で見てるから」


 見せろ親友の意地!


「いや、俺も細かい部分もよく分かってないんだけどさ。なんだろう……網目の細かさとか?」

「えっ! 正解!」


 ……は? 網目の細かさ?

 普通そんなの気付く?


「……最悪、全然分からなかった。ごめん晴香」

「あ、謝らないでよ! むしろ私もビックリだし……よ、よく分かったね朝陽くん」

「本当にパッと見た時になんとなく思っただけで……ほら、蓮見さんのヘアピンって個性的だからさ」

「はーん? なんだお前、もしかして普段から蓮見のことジロジロ見てんのか? だったらヘアピンの違いに気付いてもおかしくないな、うん」

「ちょっ、やめてくれよ昴! ……いやでもたしかにちょっとキモいな、ごめん蓮見さん」


 からかうつもりで言ったのだが、司は蓮見に向き直り小さく頭を下げる。

 いやー……真面目なヤツだなぁ。


「う、ううん! 全然! むしろその……見てくれてて嬉しいっていうか……なんていうか……」


……。


「えっと……」

「ん? なに蓮見さん」

「な、なんでもない!」

「そ、そう? ならいいんだけど……でもやっぱり蓮見さんといったらメロンパンのヘアピンだよな。似合ってるし」

「……あ、ありがとう……えへへ」


……。

 ………。


 おい、なんだこれ。


 息を吐くように司は蓮見を褒め、その蓮見本人は頬を赤くして嬉しそうにはにかんでいる。


 俺は……、いや俺たちはいったいなにを見せつけられているのだろう?


「……」


 何気なく渚に視線を向ける。

 

 渚は二人の甘酸っぱいやり取りを見て小さく微笑んでいた。

 

 まぁ……蓮見が司のことをどう思っているかなんて誰が見ても分かるし、親友の恋路を見て嬉しく思っているのかもしれない。


 しかし。気のせいだろうか。


 ――その微笑みからはどこか寂しさを感じたのだ。


「あーほらほらお二人さん、そういうラブコメは二人きりの時にやってくれ。胸焼けでどうにかなりそうだ」


 最も、この二人のこんなやり取りは今に始まったことではないのだけど。


「ラ、ラブコメって……! あ、青葉くん……!」

「やめろって昴。そういうのは蓮見さんに失礼だろ?」


 お前マジでホント……。

 蓮見さんも大変だな……。


「もう……相変わらずだね、この二人」


 渚はいつも通りの表情に戻っていた。

 先ほどの様子については……まぁ、今は考えなくていいか。


「だな」


 ため息混じりに言葉を交わす。


「にしても司、その例の美少女って何者だったんだよ。ほら、どこの高校の制服だったーとか、そういうの」

「あーそれなんだけどさ――」


 キーンコーンカーン――。


 司が説明しようと口を開けたとき、タイミングよくチャイムが鳴り響いた。

 

 なんだよ……せっかく一番聞きたいところだったのに……。 

 しかしチャイムがなってしまったのなら仕方ない。


「話の続きはあとで聞くわ」

「おう」


 司を除く俺たち三人は、モヤモヤを抱えながら前方の黒板へと身体を向ける。

 その美少女転校生とやらの話をもう少し聞きたかったが……。


「――ねぇ、青葉」


 小さな声で渚が呼んできた。


「おん?」

「ラブコメでよくある話ではさ、朝ぶつかった謎の美少女が自分のクラスに転校してくる……なんて話があるあるだけど……」


 正直、それは俺も思ってきた。

 多くのラブコメあるあるを現実にしてきた男だ。


 もしかしたら……なんて気持ちは実際にある。


「ああ、朝転校生が来てばったり再会――なんてあったりしてな?」

「いやいや……まさか……」


 ありえない、と渚が苦笑。


 俺自身半信半疑ではあるけど……。

 いやいやいや……本当にまさか……ね。


「おーし、お前ら揃ってるな」


 低く、そして教室内のよく通る声。

 ガララっと前方の扉が開かれると同時に、スーツ姿の男性教師が入ってくる。


 無精ひげがよく似合う濃い顔立ち、高身長、そして整髪料でしっかり固められたオールバック。

 男が憧れる漢。


 それが我らが担任、イケオジ先生こと大原おおはら純一郎じゅんいちろうである。

 ガタイがよく、よく体育教師と勘違いされがちだが担当科目は国語である。


 ちなみに今年で三十四歳らしい。


「朝のHRを始めるぞー。細かい内容はここに来るまでに忘れたからカット!」


 ハハハッと笑い声に包まれる。

 この先生は今日もユーモアたっぷりだ。


「そんなわけで大事な連絡事項が一つある」


 先生はバンッと教卓を両手で叩く。

 

 大事な連絡事項……?

 内容の想像がつかない俺たちは先生の言葉を待つ。


「フッ、喜べお前ら。――特に男子諸君」


 ニカッと白い歯をのぞかせ、かっこよく笑った。

 

「……あ、これマズい」

「……青葉?」


 イヤな予感が一気に俺を襲う。

 思わず口からこぼれた言葉に、隣の渚が反応していた。


 これは……俺の内容が正しければ――。


「今日からこのクラスに転校生が来る! それも美少女だ!」

『おおっ!』


 突然の報告に、クラスの男子が沸き立つ。

 女子も女子で「どんな子だろうね!?」とソワソワしていた。


 ――いや、正直俺も一緒に盛り上がりたいさ。


 


「そんじゃ、サクッと紹介するぞ。入って来てくれ」

『はい』


 凛と通る美しい声が扉越しに届く。

 

 姿はまだ見ていないが、俺はもう確信していた。

 誰が転校してくるのかを。


『失礼します』


 ――扉が開かれる。


 瞬間。


 教室内の時が止まった。


 トッ……トッ……。

 彼女が歩く音だけが響く。


 腰まで伸びた美しい金髪。堂々と、美しく、そしてどこか冷たさを感じさせる横顔。空をくり抜いたかのように透き通った青色の瞳。

 高校指定の紺色のブレザーを着用した姿は、まるでモデルのようにスラっとした体形で――。

 身長は……百六十くらいだろうか。

 

 その女子は教壇に立ち、俺たちに身体を向ける。


 その存在すべてが――俺たちの目を奪っていた。


「初めまして。今日から皆様と共に勉学に励むことになりました。月ノつきのせ れいと申します。何卒、よろしくお願いします」


 深く、頭を下げる――美少女転校生、月ノ瀬。

 気品漂う所作に対して、俺たちはどう反応すればいいか戸惑っていた。


「――あ、お前やっぱり」


 たった一人を除いて。


 俺の後ろの席から聞こえた声。

 朝陽司の声。


 冷や汗が俺の頬を伝う。


 ――あぁ、なんということだろうか。


「……ん? あなたは――」

 

 司の声に反応した月ノ瀬。

 彼女の視線は俺を貫き、司へと向かった。


 そして。


「ふふっ」


 ふわりと、綺麗に微笑んだ。


「はぁ……」

「……マジ?」

「え? ……えっ? ……え?」


 朝ぶつかった謎の美少女。

 クラスにやってきた美少女転校生。

 今行われた二人のやり取り。


 すべてを察した俺、渚、蓮見は思い思いの反応を見せていた。

 

 ――ここに、改めて宣言しよう。


 これからお送りする学園ラブコメディの主人公は俺ではない。 

 これは、朝陽司と美少女ヒロインたちが織り成すハーレム物語である。

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