第1話 心の色

 人に色を付けるとしたらどうだろう。

 私は自分の色を外向けに「オレンジ」としているが、元は「黒」である。


 黒って300種類あんねん!てことではなく、可視光の吸収率に僅かな差異はあるものの、黒は黒一色と捉えている。


 人間の第一印象というのは外見が9割だろう。

 黒一色だとホストや黒服、ヤクザしか思い浮かばないが。


 見た目の次に会話だ。

 言葉を発し、声の質やトーン、会話の中の知識量、言葉選び、聞くタイプか話したいタイプか、身振り手振りはあるか、テンポ感(起承転結)なども重要視する。

 そして最後に目線などを注意深くみる。

 私はこれらを約1分くらいでざっとみて相手を判断する。


「内向型・外向型」

「感覚型・直観型」

「思考型・情緒型」

「柔軟型・決断型」


 ポール・D・ティーガーと、バーバラ・バロン・ティーガーが著者の【16の性格】という1999年に発売された性格分析にド嵌まりして、この分析方法を中学生で完全記憶していた。

 だがその一方で、この本の欠点も見つけてしまった。

 これは海外の著者である。

 つまり日本人の性質には当てはまらないのだ…

 しかしながら全体の8割は私の体感上あっていると思う。


 二十代でやらかしがちなのは、啓発本や専門誌を読んで、それをそのまま発してしまうところである。

 無色である自分が不安で、何色かに属さなければいけないと思ってしまう若気の至りだ。

 もちろん私も一通り地雷は踏んできた。


 私はよく「教科書は教科書だ」と一蹴する。

 勿論大切なことも入っているが、大事なのはそれを抽出する力だと思っている。


 例えば学校の勉強などだ。

 ぶっちゃけ学校の勉強が社会で役に立ったと思ったことはない。

 おそらく勉強に取り組むプロセスが大切であって、その取り組む力を表したものが学力という数字ではないだろうか。

 

 学校というのはある種のカースト制度で成り立っている。

 学力、部活、容姿、その他の才能、様々なジャンルに色分けされている。

 私は持ち前の明るさというもので、敵対する人間はいなかった。

 この時の私はマーブル色だったのだろう。


 さて本筋から大きく逸れてしまったが、あなたの周りの人間に色をつけるとしたらどんな色を塗るのだろうか。


 やはり色というのは性格を表すものだろう。


 私独自の『色遊び』がある。


 まず、ノートか画用紙かその中心に自分の色を塗る。

 そして自分にとって身近な、親しい間柄の人間の名前を順に、心の距離で円を描くように書いていく。そして色を塗る。


 私の場合、自分に近しい人ほど異なる色になり、遠いひとほど同系色になる。


 人間にはパーソナルスペースがあり、異色であればあるほど「侵食されない」という前提で近くに置けて、同族嫌悪なのか、同系色であればあるほど遠くに置くらしい。


 おそらくそれが《心色》ということなのだろう。

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