8  蝶の様に可憐な貴方

「ほれ、若者、市場はあっちじゃ」


 和服、漢服、サリーの様な服、そしてドレス。異国情緒溢れる町並みの中で私は、珍妙な狸に誘導される。

 溢れかえった人混みの中を駆ける小さな獣の姿は、少しよそ見をしてしまえばきっと見失ってしまうだろう。


「ありがとうございます。狸さん」

「狸さんという呼び方はやめてくれ。儂の名はラペーシュ、狸ではない」

「そうなのですか」


 彼の風貌はどこからどう見ても狸である。

 しかし、本人が自身を狸ではないと言うのならば、こちらは彼の主張に従うしかない。


「ラペーシュさん。もしかして、別の世界で神霊の精霊核オドを落としませんでしたか? 」


 病院の中庭に落ちていた精霊核オド。それが全ての始まりだ。


「市場から導くついでに聞きたいことがある。若者よ」

「話聞いていますか? 」


 声が届いていないのか全く関係の無い答えが返ってくる。

 もしかして、通行人のざわめき声のせいだろうか。


「ナビゲートの代わりに、情報を渡せというわけですか。なるほど、たしかに、無料ほど高い物は無いと言いますね」

「儂を悪徳業者の様に扱うな。お主誰から祝福を受けた? 」


『祝福』

この世界に来てから何度も聞いた言葉。

 今まで、なんとなく聞き逃してきた言葉。

 今ラペーシュからその言葉が出てきた事によって私は一つの疑問を持つ。


「祝福とは何でしょう? 」


 狸……ラペーシュが沈黙する。


「では、質問を変えよう。お主が借りているのはどの神霊の精霊核オドだ?」

「裁定神アルシエラ様です」

「ほう、月宫天伯帝ユェオンティエンブォーディーか」

「家の盆展望ティー?」

月宫天伯帝ユェオンティエンブォーディーだ。もはや、原型が無いぞ」

「なんですかそれ」

「あやつの、古き名だ。昨今では、あまり呼ばれなくなってしまったが……」


 古き名……もしかしてアルシエラという名前は、後世の人々が付けた物か。

 アルシエラと出会った際、彼が纏っていた服を思い出す。たしか、中華風の物だった。

 そういえばフランドレアの通行人にも、彼と同じ雰囲気の服装の人間がいる。この世界の中にも複数の文化圏があるのかもしれない。


「なぜ、その様な質問をするのですか?」

「お主が受けた呪いの強大さを感じたからだ。凄まじい、魔力を帯びている割に、被害を最小限に留める為に……」

「ちょっと、待ってください。言っている意味がわかりません」


 うっかり、大きな声を出してしまう。

 露店で、宝石を売っていたおじさんが、驚いたらしく、手元に抱えていた、鉱石を落としそうになった。


「すまんすまん。確かお主、祝福が何かもわかっておらんかったな。祝福というのは、精霊師マギーズが神霊と契約を交わした際に授かる……奇跡の様な物だ」

「奇跡?」

「さよう。例えるならそうだな、死にかけている妹を助けてほしいとか、好いている男と結ばれたいとか、不治の病を直して欲しいとか、世界で一番美味いアイスクリームが食べたいとか、契約する人の子が一番欲している物を神霊は授ける、即ちそれは、祝福なり」


 具体例の規模が段々小さくなっていくのは、気の所為だろうか?


精霊師マギーズになった時に『なんでも願いを叶えてくれる』という事でしょうか?」

「なんでも、では無いな。神霊ごとに出来ることには限りがある」

「そうですか。では、呪いとは何ですか?」

「『呪い』は『祝福』とほぼ同義だ。両方、道理をねじ曲げて奇跡を起こす神霊の権能……」


 市場のアーケードが見えてきたその刹那。

 ラペーシュの体を一人の女性が捉える。


「あら、ラペーシュちゃん。そんなに怖がらせちゃ駄目でしょ」


 美しい花柄の刺繍を施されたワンピースを纏った赤毛の女性。

 シャナさんに似ているが、一カ所だけ違う部分がある。

 瞳の色だ。彼女はオッドアイでは無い。


「あの、もしかしてティナさんですか?」

「半分正解で、半分間違いかなあ」


 なんですか、その、曖昧な返答。


「ほわわ。どうして貴方がここに」


 体を拘束された小動物は、慌てた様子で体をよじらせる。


「ごめんなさいねえ。この子、いつも不要な事ばっかり言って皆を怖がらせるの。ところで貴方は、市場にお使い?」

「そうです」

「まあ、偉いわ。頑張ってね」


 そのまま女性は人混みの中に姿を消そうとしたが、何を思ったのか歩みを止め振り返る。


「もし絶望が貴方の道を塞いでも、安易に奇跡に頼ろうとしないで。大丈夫、人間には希望を掴める程の力があるから」



*



 籠一杯の食材を抱えて、家に戻る。

 二階への階段を上ろうとすると、ダイニングから賑やかな話し声。

 扉を開けてダイニングに入る。

 中に居たのはシャナと一人の小さな少年。

 金の瞳と、星の模様があしらわれたフードが特徴的なその少年は私の姿を見るや否や驚いた様に眉をつり上げた。


「おやおや、この少女が君の話していた。才媛かね?」

「そうですよ。先生」


 先生。今シャナは先生と呼んだのか。この少年の事を。


「お帰りなさい。コハクさん。折角お使いに行ってもらって申し訳ないけど、先生が予定より早く到着しちゃったみたいで……紹介するわ。こちら私の恩師のメルラン教授」


 教授。今シャナは教授と呼んだのか。この少年の事を。


「初めまして。陽火琥珀と言います。ヨウカが名字で、コハクが名前です」

「やあ、初めまして。コハク殿。私は『神立聖魔術学校』の教師をしている者だ。メルランと名乗っている。君の才能はシャナ殿から聞いたよ。君ならマケンを簡単に合格パスできるだろうね」

「マケン? エクスカリバーとかそういう名前の格好いい武器ですか?」

「それは、魔剣だろう。私が言っているのは、魔検の事だ。魔法検定」


 魔法検定。どこかで聞いたことがある響きだ。客室にあった本のタイトルに書いてあった気がする。


 記憶の扉を叩こうとするがその行為は、一匹の獣の声に遮られた。


「キューーーーイ」

「モフたん。何処に行くの」


 聞き馴染んだ鳴き声と少女の声が響き渡る。

 階段から現れたのはモフモフと、ステファニー。

 先に降りてきたモフモフは、私に駆け寄る。


「キューイ」

「モフたん。どうしたのですか?」

「この子、コハクお姉さんの事ずっと探していたんだよ」


 私を探していた?

 

「コハクお姉さんが目覚めた後、この子、ずっと鳴きながら、家の中を駆け回っていたの」

「そうなんですか」


 目覚めた後に探すなら、二度寝しなければいいのに。

 モフモフの前足の下、人間で言う脇辺りを掴んで持ち上げる。

 小さな神霊様は、ご立腹らしくずっと唸っている。


 後でこの神霊に聞かなくてはいけない事がある。

 『呪い』と『祝福』とは何か。

 きっと、彼は何か隠している。

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