5 焼かれた肖像

「やっぱり、信じてもらえないよな」


 少年はため息をつくと、私から見て向かい側の席に座る。


 『焼いてしまった肖像画に描かれた女が、人間と、なって帰ってきた』


 少年が語った話はこの世界に来る前の己の常識から測れば信じがたい話であるが、ここには魔法存在がする。

 即ち、可能性は十分にある。


「分かりました。では、詳しい事情と、貴方について教えて下さい」

「信じてくれるのか?」

「信じる、信じない、という話ではありません。確かに貴方の話は信憑性に欠けるかもしれしれない。しかし、可能性が完全に否定されているわけでは無いでしょう」


 世の中にゴーストと呼ぶべき物が本当に存在するか。

 それは誰も証明できない。

 しかし、同時に、存在を否定することも出来ない。

 この理論と同じだ。

 私は彼の話を信用している訳でもなく、否定するつもりもない。

 ただ、計るだけ。


 彼の表情が明るくなる。


「ありがとう。僕はシアン。ステファニーの兄だ」


 恐らく夕食の際ステファニーちゃんが呼びに行ったのは彼だろう。


「少し話が長くなるけど……母さんが戻ってくるまでに終わらせるよ」



*



 一年前の話。

 丁度、父さんが亡くなったばかりであった我が家はの家計はあまり良い状態とは言い難かった。

 母さんは、僕とステファニーの為に、一日中、精霊師マギーズの家庭教師として、働きに出ていた。そして、肝心の僕は妹の面倒を見るためにずっとやりたかった一つ事を我慢していた。


 その一つのことが何か分かるかい?

 あー。手についている絵の具のせいでバレちゃったか。

 そう絵を描くことだった。

 勿論その辺の木版とかじゃなくてね、質の良い画材とキャンパスで一つの傑作を作りたかったのさ。

 無論それは叶わぬ願いだったよ。

 理由は単純に時間が無かったのと、もう一つ。

 絵の具なんて高級品は手が届かない代物だった。


 さて、そんな僕の人生に転機が訪れる。

 ベアトリーチェという一人の少女と出会った事がキッカケだ。


 それは、母さんに頼まれて魔法用具店へ、荷物の受け取りに行った時の事。

 いつもこのお使いは、店長から商品を受け取ってさっさと帰るだけだからすぐに終わるんだけど、あの日は違った。

 他の都市から来たと思われる客が店長にクレームを入れていたんだ。

 そいつは、良質な布地の黒ローブを着た中年の男で、まあ、典型的な金持ちの精霊師マギーズだったと思う。茶髪の可愛い女の子を連れていて、彼女は退屈そうに周りの風景を眺めていた。

 この様子を見て、しばらく経ってから出直すことも考えたけど、その日は暖かい春の日だったし少し時間があったから近くのベンチで待つことにしたよ。


 最初はなんとなく周りの風景を眺めていただけだったね。

 なにげも無い近所の風景。

 その中に、突然一つの黒い影が横切った。

 猫だ。可愛らしい黒猫。

 それを見た途端、僕は反射的に側にあった木の枝を拾った。


 何故って?


 突然『描きたい』という衝動に駆られたからさ。


 そして、描いた。

 砂の上に一匹の猫を。


 気づいたらそれを一人の少女が、眺めていた。

 さっきのクレーマーと一緒に居た少女だ。

 彼女がベアトリーチェ。


「素敵な猫ね。もし、貴方が私の肖像画を描いてくれるのならば、良い値で買いたいわ」


 ベアトリーチェはそう言った。

 突拍子もない要求に僕はうろたえたよ。

 そして、僕にはあなたが満足する様な高級な画材を用意する金は無いと、正直に答えた。

 その言葉を聞いた彼女はしばらく何かを考え後、再び口を開いた。


「要するにスキルはあるけど道具が無いのね。なら私に任せて」


 彼女はそう言うと隣の店へ姿を消した。

 なんとその店は画材屋だ。

 そこで彼女は絵を描くのに必要な物を全て揃えてくれた。


「一週間後に、またこの店に来るわ。だから、それまでに私が満足する物を用意してね。あー、これを買っちゃたから報酬は少し減るけど、別に問題無いわよね」


 なんだその理不尽な要求は。


 今なら、そう自信を持って言える。

 でも、その時の僕は二つ返事で承諾してしまったんだ。

 まあ、もう既に必要な物は揃えてもらっちゃたから断るわけにはいかないよね。


 それから、彼女は、自身の名と、出身地であるログレシアについて教えてくれた。そう、あの悪名高い『神立聖魔法学校』があるログレシアだよ。あの都市の人口の七割は留学生らしいから、彼女の様な人は相当レアだ。


 それから、数分後、彼女はクレーマー客と共に去っていた。

 僕もさっさと用事を済ませて帰ったんだけど絵の具をもらった事は家族には伏せた。優しいあの二人が、これを売ってしまう事は無いだろうけど、少し背徳感があったから。


 その次の日。

 早速僕は試し描きがしたくなった。

 期限までには時間があるしキャンバスを作るための布には少し余裕があったから、試しに一枚描きたくなったんだ。

 その際参考にしたのは、フランドレアで一番大きな美術館にあった一枚の絵。

 ああ、きっとこれが過ちだった。

 全ての始まりだった。

 

 それは髪が乱雑に切られた少女の肖像画。

 白いドレスを着ていて、物静かに座っていた少女はどこか物寂しげな表情をしていた。


 これを、見た時、僕は再び、描きたいという衝動に駆られた。

 猫の時とは比べられない強い衝動に。


 そして、家に帰り一枚の肖像画を描いた。

 重厚なデザインの白い服を纏った少女の肖像を。

 

 描き終わって気づいた。

 この絵の少女は誰かに似ている。

 ベアトリーチェだ。

 多分、無意識の内に似せてしまったのだ。

 今思うと、実に忌まわしい事だ。


 後悔する事になったのはその数日後。

 美術館の館長から、あの絵のモデルになった女性について教えてもらった。さっき、僕は、純白のドレスを纏っていた絵画の女性は髪を乱雑に切られていたと言ったね。


 何故だと思う? 


 えらそんな事も知っているの?

 賞賛に値するよ。

 そう、君の言うとおり首を刎ねやすくする為だ。

 つまり、あれは処刑前の女性の肖像画だったのさ。


 ああ、なんて罰当たりな事をしたんだ。


 そう思った僕は、すぐに家に帰って、あの絵を廃棄しようとした。

 パレットナイフを使ってズタズタに引き裂いてしまおうと思った。

 でも、ためらったよ。


 引き裂いた部分から、赤色の暖かい液体が流れてくる様な気がしたから。


 結局自分が正気ではない事に気づいたあの日の僕は、そのまま眠ってそして、次の日には、また新しい肖像画を描いた。


 そういえば肖像画の制作に当たってスケッチは描いていたのかって?

 そんなもん描いてないよ。 

 僕は凡人とは違って記憶力が良いから、一度見た物は忘れない。


 それから、数日後。

 彼女と約束した日になった。

 丁寧に包装した肖像画を持った僕は、足を弾ませながら例の店へと向かった。しかし、約束の時間になっても彼女は現れない。

 現れたのは彼女の父親。

 あの男は僕に彼女の写真が印刷された紙を渡してこう言った。






 この女の子を見ませんでしたか。五日前から行方不明なのです。

  

 





 絶望した。深く。深く。深く。深く。

 冷静に考えたらこの事件の原因に僕が関わっている訳が無い。

 それでも、自分があんな絵を描いたせいで彼女に不幸が舞い込んだ気がしてならなかった。


 それも、つかの間だったけどね。


 夏が過ぎて、秋が過ぎて、冬の寒さも去って、そして一年が経った。

 暖かな日常が戻って、その頃には一年前の事件の事などすっかり忘れかけていた。母さんの魔法教室が繁盛してきて、生活が楽になってきたから余計に。


 あの肖像画は焼いてしまった。


 それが一番良いと思ったから。


 もし、彼女が死んでいるのなら供養になるかもしれないし。


 あぁ……。あぁ……。


 その日常も、数日前に途絶えた。


 一人の客人が来たんだ。


 僕が一人で家に居るときにね。

 彼女の姿を見て驚愕したよ。

 なぜなら例の肖像画の女性に似ていたから。



*


「キューイ」


 モフたんの声と呼応した様にシアン君が口を塞ぐ。

 そして、玄関が開く音。


「どうやら、母さんが帰って来たらしい」


 ヒールが床を叩く音がこちらに迫る。


「はーい、たっだいまあ。あら、シアン、夕食は食べたのかしら」


 姿を現したシャナさんは背を覆う程大きなケープを脱ぐと左手で抱えていた籠をテーブルの上に置いた。

 布が被されており中身は見えない。


「まあ、シアンが女の子と話しているところを初めてみたわ。いつからここで話しているの?」


 どうやら誤解が生じているようだ。


「キュー!」

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