十五人目 白昼夢

 いつ見たかも定かではないのです。何故なら、遠い日の夢でしたから。

 私は二・二六事件の渦中に居た人間でして、あの事件を境に、当時の家族からは敬遠されるようになりました。実は私、あの時、何か起きていたか分からないんです。

 上官が鼻息荒く息巻いて、さぁ、行くぞ、と言うものですから従いました。

 下士官なんて、そんなものです。それに、国民の皆様が目をきらきらと輝かせてましてね、そうだ、そうだ、と拳をあげる様を見てね、ああ、今からすごいことをやるのだと、淡い夢を見ました。

 でも、夢が覚めれば悪夢でした。

 はは。反逆者ですよ。でも、酷いお話だなぁ、なんて今、思うんですよ。上官の命令が絶対の下士官に何が出来たと言うんです。

 私含め、何も知らないまま参加した下士官たちは、わざと最前線に出されて死んで行きました。

 日本万歳? そんな高尚な精神を私は持ちえませんよ。そうです。あの時から、です。

 少しは物を考えれば良かったのでしょうが、あなた、絶対に命令に逆らってはいけないと言われている軍隊において、命令に逆らえますか?

 あの時、ああすれば良かったのでは、と問えるのはあなたが当事者ではないからなんです。

 歴史にもしもはあり得ません。あり得るのならば、皆、誰もが思うでしょう。あの時、ああすれば、と。

 過去には戻れません。

 私は知らないまま反逆者となった。その真実が歴史の片隅にあるだけなんです。

 ああ、そうでしたね。夢のお話でしたね。

 先ずは私の身を知らねば、あなたにとっては何の夢だか分からないと思いましたので、あえて説明させていただきました。少々、恨み言が入ってしまいましたね。

 ええ。戦争が終わって、十一年程、経った時のことでした。

 二月二十六日。そう。あの日に私は夢を見ました。

 赤坂の町を歩いていてね、ホテルのあたりでしょうか。そのあたりで、いきなり、ふっと、景色が一変したんです。

 建物が変わったとか、別の場所に居たとかではないんです。ただ、一変したんです。

 どこか、幻想的というのでしょうか。とにかく、何かが違う。

 そうしますと、前の方から見知った顔がぞろぞろと、歩いてくる。一糸乱れぬその行進に、私は息を呑みました。

 何故なら、その人たちは、私が居た連隊の人間だったのですから。

 そうして彼らは私の前で立ち止まりました。

 全員、目隠しをしておりました。

 私はその姿を見て、芯から震えました。何故なら、二・二六事件の首謀者、または関わった人たちは銃殺だったのですから。頭に麻袋、或いは布で目を隠されて……。

 勿論、その後、銃殺される彼らが見えるのだと思いました。でも違った。

 よくよく考えれば彼らは銃殺ではなかったのですから。皆、それぞれの場所で、戦争で死んだ人でした。

 それなのに彼らは目隠しをされて、そのまま私の前に立ち尽くしていたのです。何かを言いたそうに口を開きかけたのですが、私は何も聞くことが出来なかった。今も昔も変わりなく、何も聞けないまま終わるのでしょうね。

 私は何も、聞けなかったのです。

 そうして彼らは十一年毎に私の前に現れます。

 ……いえ、現れるというのは適切な言葉ではありませんね。

 私が彼らに会いに行ってるのです。

 私は彼らが何をしたかったのか知りたかった。

 知りたくて、ならなかった。

 でも、同じなんです。

 彼らが口を開きかけた時、私はいつもの場所で立ち尽くすのです。

 ……今だから言えるんです。

 今だから……言いたいんです。私、二・二六事件の最中にいたことを、後悔など、本当はしていないんです。

 分かって入った。分かっていてあの最中にいたんです。

 それでも知らぬふりをするしかなかった。

 生き残った私に残ったのは恥という言葉ただひとつ。嘘をつかねば耐えられませんでした。

 周囲もそうですよ。

 何も知らない人はいますよ。そりゃあ。

 でも私のように知っている人もいた。でも、私の周囲は知らないふりがうまかった。本当に、何てことない顔をしていた。それに私は傷ついていたのに、知らないふりをすることを選んでしまった。知らないふりをすることで私はただ、なけなしの矜持を守りたかったのです。

 御国の為に。

 ああ、本当に、本当に私は、御国の為に生きたかったのに。御国の為だったというのに……。

 何故、あの日から……。


 そう言った男性は翌年の春に息を引き取った。

 みとった家族の話によれば穏やかな死に顔で、最後に言葉を残して死んだのだという。


 しかし不思議なことに誰も男性の言葉を覚えておらず、二月の末が近づく度にひ孫があの、ホテルに行きたいとせがむのだそうだ。

 あまりにもせがむので理由を聞くと、ひ孫はにっこり笑って言うのだそうだ。


 じいちゃが、そこにいるの。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る