五人目 キツネカクシ

 私が幼い頃です。可愛がっていた猫が帰って来なくなって、祖母に泣きついたんです。そしたら祖母は待っていなさい、と言って、半紙を用意して、墨をすって、筆で何かを書いたんです。そうして、可愛がっていた猫の使っていた器を寄越しなさい、と言ってね、そのままどこかへ行ったんです。

 そして祖母は帰って来てから、油揚げを煮込み始めたんです。甘辛い匂いが漂ってきてね、私は泣きそうになりながらも、祖母に問うたんです。

 どこにいってきたの、と。

 祖母は私を見て微笑むだけで、何も答えませんでした。

 その次の日でした。

 夜明け前の冷たい風の吹く朝に、猫の声が聞こえて来たんです。私は布団から飛び起きて、家族を起こさないように廊下を走り、玄関に向かいました。

 鍵を開けて、引き戸を開けると、そこに居たんです。猫が。

 大きな目で私を見て、なあう、と鳴くんです。呑気に泣くものですからね、それまで堪えていたものがふつり、と切れたのでしょうね。私は猫を抱き上げると、わんわん泣きました。

 もうね、家族がなんだなんだと集まってきましてね。

 後から来た祖母が一言、言うんです。


 ――帰って来ましたか。


 そうして猫をもう外に出さないように家族に言って、私を着替えさせました。私は何か何だが分からずに祖母に言われるままに着替えました。そして祖母が居るであろう台所に向かうと、祖母は既に身なりを整えていて、手には白いお皿。その上にお稲荷さんが五つ、ありました。


 ――さ、行きましょうか。


 家族が不思議そうな顔で私たちを見守る中、祖母に手を引かれて外に出ました。

 家の裏にはちょっとした森がありまして、私の住むところでは、かくしの森と呼んでおりました。子どもは入っていけないと言い含められている場所でしてね、祖母と一緒とは言え、怖かったのです。

 私が怯えているのに気付いた祖母が、優しい声で言ってくれたこと、今も覚えています。


 ――何も、怖いことはない。ここに坐すのは、私達を見守ってくださる神様です。


 祖母の言葉に私はなんだか安堵しましてね、細く、それでも妙に明るい道を奥に進んでいくんです。……途中で私は息を呑みました。道の端で、狐が死んでいるんです。

 それでも祖母は動じることなく静かな声で言いました。


 ――後で供養します。行きましょう。


 私は頷いてそのまま歩いて行きました。

 そうしましたら、祠があるんです。そう。小さなやしろ。神様を祀る祠です。祖母は私の手を離して、ゆっくりと腰を下ろすと祠の前にある、猫の器と半紙を取って、その場所にお稲荷さんをのせたお皿を置いたんです。

 そして私を呼ぶと、御礼を言いなさい、と言うんです。

 私は頷いて、祖母の言う通りにしました。

 ちよを見つけてくれて、ありがとうございます。

 ちよ、というのは可愛がっていた猫の名前です。声を出してお礼を言ってね、帰りは同じように祖母に手を引かれて帰りました。帰りも同じ道を通るものですから、私は怖くて、祖母に抱きつくようにして帰りました。

 家の中に入ってから、私は祖母が書いた紙を見せてもらったんです。幼い私には読めなくてね、祖母が口で言ってくれたんです。


 ――たち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む


 百人一首の句です。

 そして祖母はよくお聞き、と厳しい声で私に言うんです。


 ――いいですか。今後一切、ちよを外に出してはなりませんよ。……絶対に。


 祖母は家族にも言い含めましてね。その後、祖母は狐の供養の為に神主さんの所に向かいました。

 その後ですか?

 ちよは、ずっと家に居て、家の中で亡くなりました。あの時代にしては珍しかったかもしれません。ちよは時たまに窓の外を見つめては、なあう、と恋しそうに鳴くのですけどね、外には絶対に出しませんでした。

 ……絶対に、出さない方が良いと、思ったのです。

 その後、私は祖母と同じことをしました。

 半紙に祖母の字とは違う、拙い字で、あの句を書いたんです。


 ――たち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かば今帰り来む


 そうしてかくしの森に入り、半紙を娘の椀と共に祠の前に供えました。

 どうか、娘が無事に戻ってきますように、と必死に祈りました。

 娘は、あの日のちよと同じように玄関先に立って、大きな目で私を見て、お母さん、と言うんです。その声の呑気さに私はわんわん泣きましてね、その後、病院で検査してもらってね……どこにも怪我がなくて、本当に良かったです。

 あの後、私は白いお皿にお稲荷さんをのせて、かくしの森に入り、祠に向かいました。御礼を言う為です。

 でも、不思議なのは一度、入っている筈なのに雰囲気があの日と同じだったんです。そう。祖母に手を引かれ入ったあの日です。

 ……ただ、あの日と違うのは、狐は死んでいなかったことでしょうか。

 私は娘の椀と半紙を取って、その場所にお稲荷さんが五つのった白いお皿を供えました。

 娘を見つけてくれてありがとうございます、と声に出してお礼を言って、それから元の道を帰りました。

 娘はあの後、健やかに育ってくれました。

 来月、結婚式をあげるのですよ。

 ……そうすると、色々と思い出すことが増えましてね、そうそう。あの頃、家の近くに娘とよく遊んでくださったお姉さんが居ましてね、残念ながら若くして亡くなってしまったんですよ。もうすぐ、結婚式という時に、でしたから、親御さんの悲しみを思えば今も胸が痛むのです。亡くなった日のこと、よく覚えていますよ。

 ――そうです。娘が見つかった日のことでした。

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