ネバーランドには行けない

寧々子

第1話

 辺りは真っ黒だった。コンビニの店内から漏れる光だけが、私を照らし続けている。駐車場の、店の入り口に一番近い車止めブロックの上に座って、地面に置いた、何も入らないような小さな鞄から煙草を取り出す。ライターから出た火が、私の顔を浮き上がらせて、ジジッという音を発しながら、銜えた煙草を燃やした。

 ふう、と吐き出した息とともに、白い煙が風にさらわれていくのを眺め、目を閉じる。

 私は、二十五にもなって何をしているんだろう。

 今日はつまらない日だった。体の線が浮き出るような黒いタイトのワンピースに、赤いピンヒールを履いて、友達がセッティングをした飲み会に連れていかれ、知らない男たちのつまらない武勇伝を永遠と聞かされた。地獄のような時間だった。男たちの、自分をなめるように見つめる目が、いまだに忘れられない。女たちの、嫉妬を含む目が、今もどこからか光っているような気がする。私の知らないところで、私に関係のない感情が渦巻きまとわりついてくるあの空間が、気持ち悪くてたまらなかった。

 お酒の入った女を持ち帰ろうと躍起になる彼らを交わし、一人終電間際の電車にぎゅうぎゅう詰めにされながら、やっとここまで帰ってこれた私を、誰か褒めてほしい。いつも行くコンビニで缶ビールと煙草を買い、初めてこんな、誰も助けてくれない世界で足掻くヤンキーのような真似をしている。それくらい、今は一人でやさぐれていたかった。

 目を開け、煙草を吸いながらぼんやりと辺りを見回す。歩道から、コンビニに向かって歩いてくるカップルが、ちらりと私を見て、ひそひそと何かを言うのが見えた。それをじろりと睨むと、途端に目をそらし足早に店内の中に入っていく。

「…そんな反応するくらいなら見てんじゃねえよ」

 ぼそりと一人呟いて、煙草を口にくわえたまま、袋から缶ビールを取り出す。普段美味しいとも思わないビールを買ったのは、どうしてだったっけ。カシュッと音を立てて開いたそれに口をつけ、一口飲む。

「にが…」

 やっぱり美味しさはわからずで、失敗したなと心の中で思う。いつも通り、ハイボールでも買えばよかった。煙草の灰が、毒リンゴのように赤い靴の上に落ちたのを見て、ため息を吐く。携帯灰皿の中に、煙草を押し込んで、靴の上の灰を掃いながら、なんで買ってしまったのだろうと考える。

丁度お酒が並んでいる列の扉を開けた時、ウォークインの中から補充している音が聞こえ、中を少し覗き込んだ。ビールを補充している、自分より少し年下くらいの男の子の顔が見え、目があった、気がした。目を先に逸らしたのは、その男の子だった。私がのぞき込んでいるなんて気にもしていないような顔で、平然とビールを並べ続ける彼に、自分でもよくわからないくらいむしゃくしゃした。少しでも面倒な気持ちになればいいんだ、なんて意地悪な気持ちを抱いて、彼が補充したばかりの缶ビールを手にしたのだと、ようやく思い出す。

「ガキかよ」

 自分のした行動があまりにも子供じみていて、思わずふっと笑ってしまう。そのままもう一度、煽るようにしてビールを流し込む。今度は少しだけ、美味しく感じた。

 それからどれくらいの時間を過ごしていただろう。先ほど店内に入っていったカップルが、店員のありがとうございましたという言葉を引き連れて出てきたのを視界の端で確認して、携帯を開く。0時18分という文字の下に映し出された一番最新の通知は、私を飲み会に誘った笑香からのメッセージだった。

【ねえ、何で帰っちゃったの? 栞がいないとつまんないよ~】

 泣いている顔文字が三つほどついているそれに、鼻で笑う。通知を消して携帯を鞄の中に放り込み、もう一本煙草を取り出した。

 笑香とは、大学の頃からの付き合いだった。勧誘されたサークルの見学に行ったときに、隣に座ったのが彼女。今よりまだ幼さの残る容姿をしていて、茶色の胸元くらいまである髪に、まだ覚えたてのメイクをして、可愛らしい花柄のふわっとした白いワンピースを着た彼女を見た時、仲良くなれないなと思った。なんとく、周りに可愛がられて育ってきたんだろうな、と感じたのだ。挨拶をしてきたのは、向こうからだった。よろしくね、と懐っこい笑顔を浮かべた笑香に、愛想笑いを返した記憶がある。あの時のことを思い出すと、今でも連絡を取り合っているのかが不思議なくらいだ。

 あの頃は子供だったなあと、大学生の頃の自分を思い返す。自分の好きなように周りを振り回して、思い通りにならなければ関係を断ち切って。いつまででも、一人で生きていけるような気がしていた。もちろん、今でもそれは思っている。私はきっと、これから先も一人でいる方がいい。誰かに気を遣いながら寄り添い続けることなんて、きっとできやしない。寂しさを覚えた日に、一人では抱えきれない不安を忘れさせてくれるような人をその日に見つけ、一夜を過ごす。朝になったら、さようなら。一番楽で、一番虚しい生き方が、私にはお似合いなんだ。

 コンビニの入り口が、開く音がする。来店を知らせる音楽が聞こえ、何となく、後ろを振り返る。

「あ」

私を見て、無表情のまま思わず、といった風に声を出した彼に首を傾げる。はて、知り合いだっただろうか。緩いパーマのかかった夜空に混じるような黒い髪を風になびかせながら、近づいてくる。人一人分くらいの間隔をあけて、私の隣に立つ彼が、あまりにも不躾にじろじろと見てくるもんだから、自分の眉間にしわが寄るのが分かる。銜えていた煙草を手に持ち、睨み付ける。

「…何か?」

 問いかけても何も言わない男と、見つめ合う。そこでようやく、この男の子が先程ウィークインの中にいた子だということに気が付いた。彼の視線が、ブロックの上に置かれたビールに移ったと思ったら、無言のまま近づいてくる。何をされるんだろうと、警戒を強めてその様子を見ていると、私の傍らにしゃがみ込み、勝手にビールを奪われた。一口、ごくんと喉を鳴らして飲む姿に、目を丸くする。あまりにも突然の出来事だった。彼は缶をもとの位置に戻して、立ち上がる。

「お返し」

 べ、と舌を見せ不敵に笑う彼は、そのまま駐輪場に向かう。何も言えずにただその姿を目で追う。駐輪場に止められたごついバイクにまたがり、暗い世界の中へそのまま去っていく彼に、自分の心臓をぎゅっと掴まれた気がした。知らない男に近づかれるのも、勝手に飲み物を奪われるのも、いつも飲み会だったら気持ち悪く感じるはずなのに、今自分に起きた出来事はまるでいつか見た映画のワンシーンのように、私の心の中に濃く焼き付いた。

「何、お返しって」

 その疑問に答えてくれる人なんておらず、ただただ、彼がいなくなった方を見つめる。

「てか、飲酒運転じゃん」

ぽとりと、灰が落ちる音が、頭の隅っこで聞こえた

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