第26話 偽り交じりの斬雨の中で

「シオン!?」


「だ、大丈夫……! それより、カノも大丈夫……?」


「私より自分の心配をしなさいよ……!? 私の分の痛みまで引き受けてるくせに、強がらないで!」


 腹部から血を流すシオンは、自分よりもカノの心配をしていた。

 一心同体である以上、彼女にも痛みがあるのではないか。

 そんな心配をする彼女に、カノは怒りをぶつける。

 一体化することで、全ての感覚が二倍になっているが、その負担を引き受けているのはシオンだった。


「強がってないよ……カノの鎧のおかげで、薄皮一枚で済んでるし」


 シオンは震えを誤魔化しながら、懸命に強がる。

 薄皮一枚で済んでいるとはいえ、痛みは二倍なのだ。

 痛くないわけがない。

 だが、そんなことで足を止めている場合ではなかった。

 一度でも止まれば、もう動けないところまで、シオンは追い詰められている。

 そしてそれを、リベラも理解していた。

 分かった上で、全力で殺す。


「──南爪重解(ズベン・エル・ゲヌビ)」


 魔力を込めた右腕を、シオンに向けて、一刀両断する様に振り下ろす。

 先ほどとは違い、地面を抉りながら、凄まじい速度で迫る色のない斬撃。

 クレス以上の斬撃速度に、シオンは息を呑む間もなく、次の行動に移らなければならなかった。

 影の中への退避は間に合わないが、鎧の破損個所を修復するのはギリギリ間に合う。

 鎧の修復と同時に、最低限の武器として、黒刃を両手に携える。

 そして、シオンが鎧を直し、急所を刃で防いだ瞬間、網目状の斬撃が、刃も鎧も粉々に切り刻んだ。


「いっっったいなぁ!!」


 一振りで放たれた斬撃は、一撃ではなかった。

 剣聖帝王と呼ばれるクレスにも、一振りでこの斬撃を放つことは不可能だろう。

 まさしく魔法。人間には到底不可能な攻撃。

 その上で、彼の放つ斬撃にはまだ何かがある。

 それが分かっていながら、シオンは鎧を纏い直しながら駆け出した。

 種も仕掛けも分からないなら、放たれる前に打ち倒せばいい。

 しかし、その認識は甘かった。


「なっ!?」


 血を流しながら走り出した彼女の身体は、再び網目状に切り裂かれた。


「シオン……!?」


 予想外の一撃に、走り出していたシオンの身体は崩れ落ち、地面を転がった。


「い、まの……どうなってるんだ……!?」


 だが、鎧を纏い直している途中だったことが功を奏したのか、そこまで深い傷ではなかった。

 そんなことよりも、シオンは全力で思考を巡らせていた。

 どうにか防ぎ切ったはずの斬撃が、何故か彼女の前方に存在した。

 しかし、リベラは、魔法を発動する素振りを一切見せていない。

 だとすれば、この斬撃は先ほどの一振りで放たれたものだ。

 それなのに、先ほどから、彼の放つ斬撃のいくつかは、何の痕跡もない。


「もしかして……」


「シオン、上!!」


 ある可能性に行き当たりそうになった時、頭上から緑色の斬撃が降り注ぐ。


「くそっ! 考える暇もくれないのかよ!!」


 やけになりながら、シオンは地面を転がり、斬雨の範囲外にどうにか逃げる。

 その時、彼女は目撃する。

 緑色の斬撃に切り裂かれたものが一つもないことを。


「そういえばさっきも……」


 彼女が思い出したのは、戦闘開始の合図となった最初の一撃。

 放たれた緑色の斬撃はシオンの身体をすり抜けていった。


「──北爪異解(ズベン・エス・カマリ)」


 リベラの魔法の仕掛けに気が付きそうになったシオンの耳に、彼の声が響く。


「え……」


 咄嗟にその方向から離れながら、視線を動かすと、そこには誰もいなかった。


「がっ……!?」


 次の瞬間、シオンが見ていた逆方向から、斬撃が襲い掛かる。

 真っ二つに切り裂かれそうな彼女の身体が、下方向に無理矢理引っ張られる。


「大丈夫、シオン……!?」


「た、助かった……ありがとう、カノ……!」


 危機を察知したカノが、自分の影から伸ばした黒い腕で、彼女の身体を無理矢理に地面に引っ張ったのだ。

 脇腹から流れる血を影で止血しながら、どうにか立ち上がる。


「シオン、あいつの魔法……」


 そんな彼女のことを心配しながら、カノはシオンに問いかける。


「ああ。種と仕掛けは何となく分かった」


 肩で息をしながら、彼女の問いに答える。

 色のついた時間差の斬撃と、二重に放たれた網目状の斬撃。

 痕跡のない斬撃に、違う方向から聞こえた声。


「多分、斬撃はおまけで、あいつの魔法の本質は、視覚とか聴覚の認識を欺くことだ」


 ここまでの攻撃から導き出したシオンの答え。

 カノも、同じ結論に辿り着いていた。

 最初の一撃。色のついた斬撃は、あえて着色することで、時間差で放たれた斬撃から意識を逸らさせることが目的だと考えられる。

 さらに、緑色の斬撃は、当たっても問題がないという認識の隙を突き、そのまま切り裂くことも可能だろう。

 そして、網目状の二重斬撃。これは、最初の斬撃以外と寸分違わぬ斬撃を放つことで痕跡のない不意打ちを成立させている。

 先ほどの逆方向から聞こえた声のことも踏まえると、二人の推測は正しいといえるだろう。


「でも、それが分かったところでどうしたらいいんだよ……!?」


 しかし、その単純すぎる能力に対して、突破口が見出せずにいた。

 どの攻撃が本物なのか。どこに本物があるのか。

 常に思考と選択を迫られ、選択を誤れば、一撃で致命傷を負うことになる。

 二重の感覚を以てしても、リベラの偽装を見破ることは出来ていなかった。


「戦場で、棒立ちになっていていいのか?」


「っ!? 誰のせいだと……!」


 背後から聞こえる声。

 生成した黒い刃で、振り向きながら背後を切り裂く。

 だが、そこにリベラの姿はなかった。

 彼は、今いる場所から一歩も動いていなかった。

 そして、彼は既に右腕を振り下ろし終わっていた。

 地面の抉れは、凄まじい速度でこちらに向かってきていた。


「くそっ……!!」


 既に斬撃が放たれたこの状況では、カノとの一体化は間に合わない。

 残りの魔力残量を確認し、シオンは大きく深呼吸をする。


「纏影拳(てんえいけん)!!」


 覚悟を決めた彼女は、影を纏わせた拳で、思いきり地面を殴り、粉砕する。

 そして、舞い上がる土煙が不可視の斬撃が露わになる。


「本当にふざけた魔法だな!!」


 シオンは改めて魔法の滅茶苦茶さを認識し、文句を言わずにはいられなかった。

 リベラの放った斬撃は、彼女の周囲を取り囲むように放たれていた。

 斬撃の速度から考えて、鎧を纏い直す時間はない。

 かといって、全方位を守る影の盾を展開する魔力も残っていなかった。

 ここまでかと諦めかけた彼女の脳内に、共有を続けていたカノの記憶が流れ込んでくる。

 自分に出来るのかどうかは分からない。

 もしかしたら、カノにしかできないことなのかもしれない。

 それでもやるしかない。

 今の自分は、カノの力を使える。

 彼女に出来ることはシオンにも出来るはずだ。


「やるしかない……!」


「シオン!? 何を……!?」


 彼女は、斬撃に向かって飛び出す。

 その光景に、カノは驚く。

 明らかな自殺行為。

 自暴自棄になっているとしか思えない。

 シオンを制止しようとした瞬間、彼女の身体は影になり、斬撃の包囲網から飛び出した。

 それは、カノが戦闘の際に行っていた防御手段の一つ。

 数秒間だけ、自分を影にすることで、全ての攻撃を回避する強力なものである。

 ただし、消費魔力も大きく、緊急時にしか使わない奥の手でもある。

 そんな技をこの土壇場のぶっつけ本番で実行する度胸と、成功させてしまうセンスは、シオンの誇るべき能力だとカノは考えた。

 だが、消費魔力の多さから考え、これが最後の攻防になる。

 ここを逃せば、もう二人に勝ち目はない。

 何重にも重なっていた斬撃の檻を、1秒以内に抜け出し、リベラの死角に滑り込む。

 既に武器の生成は終わっている。

 これで勝った。

 ──そう心の中で、勝ちを確信してしまった。

 振り上げた刃の先。そこにリベラの姿はしっかりとあった。

 だが、切っ先は彼の身体をすり抜けた。

 同時に、彼女の身体は左右から挟み切られた。


「あぐぁぁぁっ!?」


「シオン!?」


 完全に隙を突かれ、防御も間に合わず、シオンの身体は切り裂かれた。


「残像を、お前の網膜に焼き付けた。一瞬しか役に立たないが、やはり一秒を争う緊迫した場面なら有用だな」


 崩れ落ちるシオンを見下しながら、リベラは淡々と呟いた。


「では約束通り……死ね」


 血を流し跪くシオンを切り裂くべく、右手を振り下ろすリベラ。


「死なせない……!」


「カ、ノ……」


 そんな彼女を守るべく、カノは両手を広げ、二人の間に割って入ると同時に拳を振るう。

 攻撃に転じた彼にこれを防ぐ手段はない。

 カノが切り裂かれても、シオンさえ生きていてくれれば、傷は治せる。

 それ故の捨て身。

 だが、彼女の拳は空を切る。


「っ!?」


「悪いな。そういう技なんだ」


 リベラは、カノの背後に立っていた。


「二人諸共に死ね。蠍爪鋏解(ズベン・エル・ハクラビ)」


 既に、右腕は振り下ろされていた。

 放たれた斬撃を防ぐことは二人には不可能だった。

 ここで、自分は死ぬのか。

 大した力もないのに、戦場に飛び出した自分には相応しい罰なのかもしれない。

 でも、カノは違う。

 自分のことを信頼し、力を託してくれた。

 そして、自分の無茶に巻き込んで、死地に駆り出してしまった。

 彼女だけは死なせるわけにはいかない。


「──え?」


 シオンは、残された力を振り絞り、自分の背後にいるカノを斬撃の軌道から外れたところに突き飛ばす。


「──ごめんね、カノ。約束、破っちゃって」


 彼女は、精一杯の笑みを浮かべて、彼女に謝罪する。

 自分のわがままに突き合せた挙句、こんな目に遭わせたことを。

 永遠に一緒だと約束したのに、それを守れずに、ここで死ぬことを。


「……いやだ。いやだいやだいやだぁ!! 永遠に一緒って、約束してくれたのに! もう、あんな暗闇の中で一人になんてなりたくない……!! 私を、私を一人にしないでよぉ!」


 突き飛ばされ、宙に浮くカノは、その笑顔を目にし、涙を溢れさせた。

 自分だけ生き残ったって意味はない。

 また一人に戻るくらいなら、一緒に死なせてくれればいいのに。

 どこまでも身勝手で、自分勝手だ。

 地面を転がり、泥まみれになった彼女の悲痛な叫びに、シオンは心を痛めた。

 身体中傷だらけで、ずっと全身痛かったのに、その痛みが嘘のように、目に見えない心の痛みだけが強く響いた。


「……ごめん、カノ。……ごめん、イリス。約束、守れなくて」


 交わした約束の一つも守れないことを後悔しながら、絞首台に立つ罪人のように死を受け入れ、シオンは目を閉じた。


「──本当に、シオンは酷いね。女の子を泣かせて死ぬなんてさ」


 だが、斬撃がシオンに届くことはなかった。


「え?」


 その代わり、彼女の耳に届いたのは、泣きたくなるくらい優しく愛おしい声だった。


「それに、私との約束も破って……」


「貴様……!」


 リベラは、戦場に現れた人物を前に、驚きを見せる。


「絶対に許さないんだから!!」


 彼女は、既に張り巡らせた弦を弾き、大気の弾丸で、斬撃ごと弾き返す。


「がっ……!」


 その衝撃を間近で受けたリベラの身体は、後方に吹き飛ばされる。

 顔を上げ、振り向いたシオンの目に映ったのは、美しい白銀の翼。


「……イリス!」


 青い瞳でシオンを写し、銀色の髪をなびかせながら微笑む彼女の姿がそこにはあった。

 あの日と同じように、地面に倒れる彼女を前に、イリスは、あの日とは違う優しい笑みを浮かべるのだった。

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