第9話 暗夜の強襲

「へぇ……それが、けーきっていうものなのね?」


「うん。ふわっとして、甘くておいしいんだよ。この世界にもあったりするのかな……?」


 あれから一時間後。

 ようやく胃が落ち着いたシオンは、焚火を囲みながら、イリスと会話していた。

 話題は、シオンが寝言でこぼした「けーき」という単語についてだった。


「んー、どうだろう。そういうお菓子は聞いたことないなぁ……。私が知ってるお菓子だと、“ホール”っていうのがあるんだけど知ってる?」


 イリスは、地面に真ん中に穴が開いた丸を描く。

 それは、地球では馴染みのある形だった。


「この形、多分ドーナツ、かな?」


「どーなつ……。シオンの世界ではそういう風に呼ぶんだ……! 他にはどんなものがあるの」


「そうだなぁ……。シュー・ア・ラ・クレームとか、モンブランとか……あ、お団子とかもあるかな?」


「もう、シオンってば、食べ物のことばっかり。街とかはどんな姿なの? 今までの道みたいに自然が豊かなの? それとも、荒れ果てた大地が続いているとか……?」


「んー。まあそういうところもあるけど、どっちかというと、高い建物がいっぱいあるかな。この世界とは正反対」


「高い建物……。機械種の国にあるような建物かな? シオンのいた世界は、本当に楽しそう。私も行ってみたいなぁ」


 シオンの話を聞くイリスは、見たこともない世界への思いを馳せているようだった。


「いつか、絶対にイリスを連れてくよ。オレが育った世界に。……まあ、帰り方も何も分からないんだけどさ」


 そんな楽しそうな表情を浮かべる彼女の願いを、シオンは叶えたいと思った。


「本当に、そんな約束しちゃってもいいの? 私、すっっっごく楽しみにしちゃうよ……?」


「いいよ、絶対に叶える。オレはイリスの願いを叶えたいんだ」


「……私が命の恩人だから?」


「それもあるけど、それ以上に、イリスが特別な存在だからだよ。オレには、イリスしかいないから」


 シオンには、親しい友人もおらず、家族との関係も希薄だった。

 地球にいようが、異世界にいようが、彼女は孤独だった。

 そんな彼女の脳裏に焼き付いて離れないイリスの存在は、彼女の人生にとって初めての存在だった。

 一緒に旅をして、食事をして、狩りをして、まずいご飯を食べさせられて。

 こんなに楽しい思い出を作らせてくれた彼女は、かけがえのない存在だった。

 彼女のためならば、どんなこともするし、どんな願いも叶えたい。

 彼女ともっと色んなことをして、沢山の笑顔を見たい。

 それが今のシオンの原動力だった。


「だから、オレにイリスの願いを叶えさせてくれますか?」


「……はい。喜んで」


 シオンの言葉に、イリスは笑顔で頷き、彼女の差し出した手を握ろうとした。


「──呑気なものだな。私の領域の中で」


 その時、洞窟の中に暗く重たい声が響いた。


「「──!?」」


 二人は驚き、その声のした方向に視線を向ける。

 どこからともなく吹いた風が、焚火を揺らし、灯里に照らされた影が怪しく揺れる。

 洞窟内に満ちる威圧的な力の奔流に、寒気が走る。

 その感覚に、シオンは覚えがあった。


「この感じ、洞窟に戻る前に感じた……!?」


「私の存在に気が付いてたんだ。人間種のくせにいい感覚してるね」


 シオンの影から伸びる手が、彼女の喉元に届こうとしていた。


「っ!? ごめんね、シオン……!!」


 そのことに気が付いたイリスは、咄嗟に彼女の手を掴み、思いきり放り投げた。


「いっったぁ!」


「葬具、聖錬風牙(ガエブルガ)起動!!」


 地面を転がり、壁に叩きつけられたシオンは、初めて味合う痛みに悶絶する。

 平穏な生活に退屈していたころは、背中を岩壁に打ちつけられることになるとは思ってもいなかった。

 だが、イリスには、そんなシオンに構っている暇などなかった。

 即座に翡翠の大弓を展開し、影の中から現れた何かに向けて狙いを定める。


「貫け、大神の息吹(ヴァン・ブレス)!!」


 周囲の風を集約して放たれる嵐の矢。

 触れた相手は風の刃に切り裂かれ、粉々にされる。

 その威力は、魔獣をも一撃で仕留める絶大なものだった。


「え?」


 ただし、それは当たればの話である。

 影の波が嵐の矢を呑み込み砕くと同時に、伸ばされた影の刃が彼女の葬具を粉々に破壊していた。


「嘘……」


 イリスは、圧倒的な力の差を感じ、唖然とする。

 今、彼女が生きているのはただの偶然。

 矢を放った瞬間に、自身に迫りくる殺意を感じ取り、少しだけ身体を後ろに引いていた。

 おかげで、葬具を壊されただけで済んでいた。

 もし、ほんの一瞬でも反応が遅れれば、彼女も串刺しにされていた。


「眠れ、我らが同胞よ」


 ガラガラと地面に落ちる翡翠のガラクタを前に、影は静かに呟いた。


「っ! あなた、まさか霊魔種……!?」


「……同胞? 霊魔種……? イリスの武器が……?」


 影の呟きは、二人の耳にも届いていた。

 それがどういうことか、イリスには理解出来て、シオンには分からなかった。

 当然だ。この世界に来てまだ数日も経っていない彼女に分かるはずがない。


「人間種が、知らないとは言わせないぞ……!」


 しかし、そんな事情を影は知らない。


「貴様らの持つ武器が、何で創られているのか。その悍ましい罪を知らないなどと、ふざけるのも大概にしろ……!!」


 影の逆鱗に触れてしまったシオンに、殺意の矛先が向く。

 両の瞳に光の輪を浮かべる影が怒りと共に放った、無数の黒い刃。

 避けることなど出来るはずもなく、シオンは死を覚悟し、ぎゅっと目をつむる。

 あまりにも呆気ない幕切れ。

 彼女との約束を守れないどころか、まだちゃんと手を握って約束も出来ていないのに。


「……あれ?」


 後悔が頭の中を駆け巡るが、終わりの時は訪れなかった。

 ゆっくりと目を開けたシオンの前には、初めて出会った時と同じ、銀色の六枚羽を携えたイリスが立っていた。


「──反理銀翼(アルビレオ)、六翼盾(ケラエノ)」


 彼女を中心に展開された銀色の光が、黒い刃の進行を阻んでいた。


「まだ、同胞を隠し持っていたか」


「うん。本当は使いたくなかったけど、こうなったら仕方ないから」


 突き刺さる怒りと殺意を前に、イリスは深呼吸をして、黒い影を真っ直ぐ見据える。


「あなたたちの怒りは当然のことだし、私たち人間種はあなたたちに殺されても文句は言えないと思う」


 2人を覆っていた銀色の光は、再び白銀の槍となり、イリスの手に戻ってきた。

 それ強く握りしめながら、イリスはシオンの方を向いた。

 何が何だか分からないという表情の彼女に、イリスは精一杯微笑んだ。


「それでも……私はここで死ぬわけにはいかない。シオンをここで死なせるわけにはいかない……! 私たちの旅は、これからなんだから! だから、そこをどいて!!」


 そう言いながら、影に向かって飛び出すイリス。


「イリス……!」


 駆け出す彼女の背に手を伸ばすシオン。

 シオンの目に映った彼女の笑顔は、不安を隠しきれない、今にも泣きだしそうなものだった。

 そんなに辛そうな顔をするなら戦わなくていい、ここから逃げよう。

 そう言いたかった。

 しかし、彼女が今駆け出した理由は、シオンを守るためだった。

 その彼女をどうして自分が引き止めることが出来るのか。

 何の知識も力もない自分が。

 シオンは、伸ばしかけた手を戻して、ただ静かに、遠ざかる背中を見つめることしかできなかった。

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