第1話 ある少年の終わりと始まり

 『はぁ……』


 『どうしたの、シオンちゃん……? 元気ないね』


 『大丈夫。何でもない』


 『何でもないことないでしょ……? 何かあった?』


 『……別に』


 『嘘つくなよ……! シオンちゃんが俺のことどう思ってるか知らないけどさ、俺はシオンちゃんのこと特別に思ってる。だから、シオンちゃんに何かあったなら力になりたい。ここで話せないなら、ダイレクトメッセージで話聞くよ……?』


 『……分かった』


 そうメッセージを送った数秒後、チャットアプリの個別メッセージの通知が付く。


 『それで、どうしたの?』


 『……何か、何もかも嫌になっちゃって。……死にたいなぁ、って』


 『死にたいって……具体的に何があったの? 学校で、とか、家庭のこととか? って、少し聞きすぎかな……』


 『……話したくない。誰も私のことなんて必要としてないし。話す意味なんてない』


 『そんなことないって。少なくとも、俺はシオンちゃんのこと必要としてるし、特別だと思ってる。……だから、そんな風に言われるとつらいよ』


 『いいよ、そういうセリフ。もう、聞き飽きたから。みんなそうやって、耳障りのいい言葉を並べて、取り繕って……。そういうセリフを、私みたいな女の子にいっぱい言ってきたんでしょ? 私みたいな女の子なら簡単に落とせるって、優しくて都合の良い言葉を並べて……! いい加減にしてよ!』


 『ごめん……。そんなつもりじゃなかったんだ。ただ、本当にシオンちゃんのことが心配で、居ても立っても居られなかったんだ……。確かに、世の中には、そういう男がいるかもしれない。……でも、俺だけは、シオンちゃんの味方だから。…‥信じてほしい』


 『信じない。信じられない。そう言って、みんな……みんな、私のことを都合よく使って……! 使うだけ使って、最後にポイって捨てる……ふざけないでよ!! 人の人生を何だと思ってるの!! もう、私は疲れたの……誰かに良いように使われて、捨てられる日々に……』


 『違う……! 俺は絶対にそんなことしない! 俺だけは、最後までシオンちゃんの味方でいるから……!』


 『そう言ってた人も、私のこと捨てたよ? もう何も信じられない。死にたい』


 『……だったら、どうして俺とこうやって話してくれてるの? 本当は、引き留めてほしいから話してるんじゃないの? それに、まだ中学生なんだから、諦めるには早いよ……!』


 『うるさいうるさいうるさい!!!!!!! 黙れ!! ……最後にもう一度だけ、人の優しさを信じてみようと思ったけど、やっぱり無意味だったね。私を裏切って騙した奴らと同じセリフ。……信じた私が馬鹿だった』


 『待ってシオンちゃん!! 俺は本当に違うんだ!本当に君のことを心配してるし、特別だと思ってるんだ!』


 『さようなら。』


 そのメッセージを最後に、個別チャットは切断される。

 そして、タイムラインに死をほのめかすようなメッセージを投稿したのを最後に、アカウントは削除された。


 「……はぁ」


 暗闇の中で、無機質に光る画面を見つめながら、『シオン』という少女を演じていた少年はため息をついた。

 彼の本名は橘華汐音(たちばなしおん)。

 中学生でもなければ、少女でもない。

 高校一年生の少年だ。

 では、何故そんな彼が、性別や年齢を偽り、SNSをしていたのか。

 答えは単純で、それが面白そうだと思ったからである。

 汐音のこれまでの生活は、特筆することがないほどに、穏やかで平穏なものだった。

 それこそが人生で一番の幸せだ。

そういう人の気持ちは理解している。

ただ、その一方で、平穏こそ一番の退屈というのもまた事実だった。

 特に、多感な思春期ならば尚更だろう。

 平穏な生活の中に、刺激を求めた汐音は、いつしかネットの世界に溺れていった。

 そして、彼は、自分の性別を偽り、演じることに楽しさを見出した。

 汐音は『シオン』という少女を演じることで、数多の男たちを騙し、弄んできた。

 しかし、そんな遊びも長く続けていれば、もちろん飽きが訪れる。

 同じようなコメントとリアクションの数々に、汐音はこの遊びの限界を感じた。

 そこで、汐音はこの遊びを終わらせる方法を考え、実行に移した。

 数か月前から、不穏なコメントを投稿し始め、精神の不安定さを演出。

 死を仄めかすような言動を増やしていき、周囲の人間との関係を断絶。

 最後に、適当な男を相手に悲劇のヒロインを演じて、アカウントを削除。

 それが、彼の描いたプランであり、それは見事に達成された。


 「やっぱり、ネットの世界であれこれしたところで面白いわけもないか……」


 ちょっとした達成感と、ここ数か月を無駄にしたという徒労感を味わいながら、何か面白いことを求めて、テレビの電源を入れる。

 チャンネルを切り替えると、くだらないドラマやコメディばかりが放送されていた。

 特に得るものはないなと別のチャンネルにすると、そこでは興味深いニュースが放送されていた。


 「ふーん……。人間の潜在能力の極致、ブラックボックスねぇ……」


 人間の脳内には、解析不可能な未知の領域、ブラックボックスが存在する。

 いつの時代かは分からないが、そんな仮説を打ち立てた研究者がいた。

 それが嘘か本当か分からないが、その仮設は、未知を解析しなければ気が済まない研究者や学者たちを駆り立てた。

 それから何十年もの間、その領域の研究に、多くの研究者たちが命を費やしていった。

 だが、ブラックボックスを解析することは叶わず、その研究は次第に人々の記憶から薄れていき、いつしか忘れ去られていく──はずだった。

 数日前、一人の研究者が、ある研究結果を発表した。

 その内容は、多くの人間が辿り着けなかったブラックボックスの解析に成功したというものだった。

 この発表に、世界中の学者、研究者たちが湧きあがり、発表から数日経った今でもなお、ニュースでの発表は続いていた。

 汐音はそのニュースは半信半疑で聞いていた。

 ブラックボックスを開いた人間は、人ならざる力を手にすることが出来るらしいのだが、それがどうにも胡散臭く、素直に信じることが出来なかった。

 確かに、その力を手にしたら、退屈な平穏を簡単に終わらせることは出来るだろう。

 だが、それは同時に、橘華汐音という普通の少年としての人生をも終わらせることを意味していた。

 汐音が求めている刺激というものは、あくまで日常をより楽しくするためのスパイス程度のものであった。

 そこまでの刺激は求めていないし、お断りだと考えながら、汐音はテレビを消した。

 時刻は、午後10時過ぎ。

 特にやることがあるわけでもない汐音は、いい加減、制服から着替えようと立ち上がる。そのついでにシャワーでも浴びてこようと思ったその時。

 PCから一件のメッセージ受信を知らせる通知音が響いた。


 「ん? 誰からだろ?」


 汐音は、SNSを開き、メッセージを確認する。


 「……何だこいつ」


 だが、そのメッセージの送り主は、汐音の知らない人物であった。

 いや、誰から送られてきたか知りようがないというのが正しい表現だろう。

 送り主の名は文字化けしていて読み取ることは不可能だった。


 『君は、死というものを理解していない。薄っぺらで、中身のない空洞。それでは、言葉に重みが欠ける。──君に、「死にたい」という感情の意味を、本当の絶望を刻み込んであげよう。』


 「い、意味が分からない……」


 あまりにも唐突で、不可解な文章に、汐音は軽く眩暈を覚えた。

 その原因は、厨二病全開の痛い文章を読んだからではない。

 送られてきたメッセージの内容は、汐音がSNSで何をしていたのかを知らなければ送れないものだったからだ。

 不気味に思いながら、メッセージを下にスクロールしていくと、一番下の行に謎のURLが記載されていた。

 見るからに怪しいその文字列を、汐音は無言で睨みつけていた。

 こういった明らかに怪しい、罠みたいなものは開かないのが吉である、と、汐音は理解していたはずだった。

 しかし、好奇心というものは、時に人の正常な理性を狂わせてしまう魅惑な甘露なのである。

 汐音は、開いてはいけない、押してはいけないと考えながら、そのURLをクリックしてしまった。


  ──その瞬間、誰かの姿が画面に映ると同時、聞くに堪えない音と共に、汐音の意識は断絶した。



 「──え」


 断絶したシオンの意識が接続されたとき、目の前に広がる光景は、閉じ切った自室ではなかった。

 美しく、生き生きと生い茂る緑と、果てしない蒼穹が広がっていた。

 悠々と広がる大自然に、シオンは少しの間、心を奪われていた。

 地球にも似たような光景があるかもしれないが、色の彩度が違うように思えた。

そして、シオンの目の前を通り過ぎていく、見覚えのない生き物たちが、ここは地球ではないと教えてくれているようだった。

 犬のような体に兎のような耳の生き物や、翼を携え飛び立つ二本角の生き物など。

 そんな生物は、シオンの知る限りでは地球上には存在しなかった。


 「い、一体、ここは……。それに、身体の感覚もなんかおかしいような……」


 夢やゲームとしか思えない光景。

 その一方で、踏みしめた大地に感触や吸い込んだ空気の味が、現実世界だと告げていた。

 そして、シオンをさらに困惑させているのが、自分自身の感覚だった。

 いつも以上に体が軽いのに、普段重さを感じない胸に重さを感じた。

 また、目線の高さがいつもより少し低く、匂いや温度、音、眩しさといった五感で感じ取る感触が繊細になっているような気がした。

 まるで生まれ変わったような不思議な感覚に疑問を覚えるシオン。


 「……ん? 何か、オレの声、おかしくないか?」


 それと同時に、シオンは決定的な違和感に気が付いた。

 これまで聞き馴染んだ自分の声が、全く別人のように聞こえてきたのだ。

 まるで少女のように聞こえるその声に、シオンは血の気が引いていく感覚を覚えた。


 「ま、さか……!」


 嘘であってくれと思いながら、自分の疑問の答えを求めて、視線を下に向ける。

 そこには、数々の疑問の答えと、今まで自分にはない膨らみがあった。

 シオンは慌てふためきながら、自分の身体をくまなく弄った。


 「はは……ははは……」


 ひとしきり、自分の身体を確認し終えたシオンは、乾いた笑いと共に、自分の身に起きた変化を認めざるを得なかった。


 「お……おお……女の子になってるぅぅぅ!?!?!?」


 こうして、かつて汐音だった少年は、少女となって、異世界への転性を果たしたのだった。


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