■ 007 ■ 万人にとっての幸福

 ラジィがリュカバースに到着する数日前。


「なるほど、このまま無策でいれば一週間後にリュカバースが火の海になると」


 リュキア王国首都、リュケイオン。

 その中心にある王城にてリュキア王国第二王子ステネルス・ヒュペレノール・リュキアは重々しく頷いた。


「はい、我が国の軍部が勝手に兵を動かし、民部の聞く耳を持たず……事前通告無しの開戦は人道に悖ります」

「故にお知らせ下さった、と。貴方の気高き御心に感謝を、フォンティナリア・パダエイ・ノクティルカ様」


 王子に頭を下げられて少女――フォンティナリアは焦ったが、教養なき身ゆえにこういう時どうしていいか分からず居心地悪そうに微笑んだに留まった。

 表情からしてステネルスはフォンティナリアの密告を真と受け取ったようだ。


 リュキア王国とノクティルカ国は常々啀み合いと国境紛争を続けている仲の悪い国である。

 故に戦端を開くことそれ自体はそこまで不思議ではないが、フォンティナリア・パダエイ・ノクティルカ・・・・・・の言葉に信じて貰える証拠はなかった。

 某かの罠、と普通は考えるだろうし、最悪徒労に終わることも想定していただけに、この結果はフォンティナリアにとって喜ぶべきことだ。


「しかし、貴方の母国ノクティルカから見れば今や貴方は裏切り者だ。このまま貴方は国へ帰れるのでしょうか?」


 ステネルス第二王子にそう問われたフォンティナリアは僅かに目を伏せた。


「……難しいでしょう。ですがそれも覚悟の上です。我が母国が卑怯者の誹りを受ける未来を思えば……」


 元より片道切符のつもりだったのだ。一族の中でフォンティナリアの持てる価値は極めて低い。

 これが叶うなら別に死んでも構わない。祖国の名誉が保たれるならばこの死にも意味があるだろう。


 そんな内心など正確にはステネルス第二王子には分からないが、ただ雰囲気から感じ取れることはあったようだ。

 ステネルスも祖国リュキアを愛している。リュキアが国際的に侮蔑される立場になりそう、となれば何らかの行動を行なわずにはいられないだろう。


「……リュカバースには大部隊を派遣します。目に見えて守りが固ければ、そちらの軍部も奇襲を諦めるでしょう」

「ありがとうございます」

「しかしフォンティナリア様、貴方の身は危険でもある。ことが終わるまで私のほうで腕利きの護衛をつけますので、何卒この王都にお留まりを」

「何から何まで申し訳ありません」

「その代わりと言っては何ですが城内までなら自由に歩けるよう私の名で行動許可証を発行しておきます。不便を強いて申し訳ありませんが、ご理解願います」


 そうして信頼の置ける配下にフォンティナリアの身を任せ、客室へ退室させた後。


「リュカバース駐屯騎士は最低限を除いて引き上げさせろ」


 ステネルス第二王子は柱の陰に控えていた影へと指示を出す。


「宜しいのですか?」

「当然だ。唾棄すべき汚れた血がリュカバースへ視察へ行くこのタイミングでノクティルカが襲ってくるのだぞ? 渡りに船ではないか」


 ステネルス第二王子は何ら後ろ暗いことのない顔で笑う。そうとも、第三王子を名乗る庶子の子、弟と認めるのもおぞましい王家の血を汚した娘の子。

 第三王子スティクス・リュキアによるリュカバース視察とノクティルカ国の暴走した軍部の奇襲が面白いほどに噛み合ってしまったのだ。これ程喜ばしいことが他にあるか?


「代償としてリュカバースが機能不全に陥りますが」

「構わん、あくまで第二の港だ。それにあの街は僑族が我が物顔でのさばっているからな。この期に一掃されるならそれも好都合」


 リュキア国内では俗に僑族と呼ばれる商人系移民たち。彼らの存在がある程度リュキアの繁栄に寄与していることはステネルスも認めているが、なにぶん奴らは金、金、金と卑しさを隠そうともしない強欲な連中だ。

 既にある程度奴らのやり方は学べている。であればこれを機にノクティルカに一掃させてしまえば一石が三鳥にもなるではないか。無論、復興には少なからぬ手間と暇がかかるだろうが、リュキアの純潔のためと思えば必要な出血だろう。


「フォンティナリア様を王都から出さぬよう各城門に通達。彼女らには常に見張りを付けておけ」

「畏まりました」


 フォンティナリアがノクティルカ国を愛しているようにステネルスもリュキア王国を愛している。

 ただ、その愛が届く範囲はフォンティナリアのそれより狭くて色眼鏡がかかっているのだ。





 そうして客室へと案内されたフォンティナリアは周囲を確認した後、そこへ先に通されていた己の側仕えにして幼なじみでもある侍従のアウリスへと歩み寄った。


「ようやくこれで安心できますね。アウリス、貴方も少し休みましょう? ほら、近う」


 ほら、とベッドに腰を下ろしたフォンティナリアは侍従を己の隣に座らせた。肩を並べ、肩を抱き、


「それで、どうでした」


 耳元へ囁くような小声で問いかける。


「だ、ダメダメのダメですー。リュカバース駐屯騎士は最低限を除いて引き上げさせろ、だそうです」


 青ざめた顔でメイド服姿の侍従が首をブンブンと振ってみせた。彼女の得意とする魔術は遠隔地の音を拾う盗聴魔術だ。


 腐ってもフォンティナリアとてノクティルカ一族に名を連ねる貴人である。

 高貴なる者は笑顔の裏でナイフを握っているものというのは大前提として頭の中にある。故に自分をマーカーとして会談の場の音を探らせていたのだ。


「信じては貰えたけど余計に状況は悪化、ですか。その理由は?」

「わ、わかりません。汚れた血がリュカバースへ行くタイミングなんだとか、キョウゾクが一掃できるなら好都合とか……」

「リュキア王国、いえ王家にとって利が二つどころか三つ以上もあるということ……参りましたね、それは予想外でした」


 当然、フォンティナリアもノクティルカ国が国際的に避難される立場に陥るのをリュキア王国はむしろ喜ぶのでは、ぐらいの予想は当然していたのだ。

 だがそれと国内第二の港が機能不全に陥ることの二つを秤にかければ、港を失う方が痛手と踏んで此度の密告に至ったのだが……どうやらフォンティナリアの予想を超えて此度の襲撃はステネルスにとって好都合だったようだ。


 それがリュキア王国にとっての好都合かはさておき、結果としてフォンティナリアはこの盤面にて悪手を指した、ということになる。

 もっともフォンティナリアが動かなくともリュカバースは火の海になっていただろうから、現状は単純にフォンティナリア一人がババを引いただけだろうが。

 いや、真のババ引きはこんなことにつきあわされたアウリスのほうか。


「第二王子は想像以上の選民主義だったってことなのでしょうね」


 お忍び故に第一王子や国王には流石においそれとは会えず、第三王子は視察で外出中とのこと。

 第二王子ほどの国の重鎮が直々に面会に応じてくれたのは望外の幸運と思ったが、事実は真逆だったようだ。

 ここからどうしたものか、フォンティナリアは顎に手を当てて思案し、次いで隣のアウリスの目を覗き込んで結論を下す。


「仕方ない、直接リュカバースに行きましょう。アウリス、脱走の準備を」

「ほ、本気ですかぁ!?」


 当然、フォンティナリアは本気だ。そうでなくては今このようにリュキア王国首都にほぼ単身で乗り込んだりはしていない。

 なんとか護衛の目を眩ませてリュカバースへ行く。そして軍部の暴走にノクティルカの名で待ったをかける。ノクティルカの名誉を保つには、もはやこれしか手段は残されていまい。


「止めましょうよぉ。私たちみたいな女子供は『戦は嫌でございます』とかお城の中で現実見てない甘えぬかして震えてるぐらいが誰にも無害で丁度いいんですよぉ」

「そんなこと考えてる元気があるならまだまだ余裕ですね」


 何にせよ、あと一週間で王都リュケイオンを離れリュカバースへと着かねばならないのだ。

 フォンティナリアにはもう、あまり時間が残されていない。




      §   §   §




 そこは木造の部屋、いや、時々大きく左右に揺れるから船の中だろうか? あまり広くない室内には悪く言えばむさ苦しい、よく言えば精悍な男たちが皆一様に決意を胸に鋭い視線を一人の男へ向けていた。


「改めて説明するまでもないが、諸君等が臆することがないよう改めて伝えておく」


 そんな男たちの視線を一身に集めてなお堂々とした態度、語り口。髪はざんばらで無精髭と一見してだらしない、しかしそれ故に市井では目立たないであろう壮年の男が――まるで恐怖でも抑え込むかのように一度唾を飲む。


「三週間前、神子様により我らがノクティルカの終わりを暗示する一文が示された。『古き血を受け継ぎし我らが同胞はらから、第二の海より来たれり。その身に竜を宿せし同胞により我らの書は失われん』。議会は事実関係の洗い出しに全力をあげているようだがあえて言おう。他奴らにはあまりに危機感が足らぬ!」


 ノクティルカ国の神子が代々受け継ぐという、国の建国からずっとノクティルカの先行きを示して来た予言の力。それが失わればどうなるか。

 手を打たねば確実に成就するその予言がノクティルカ国の基幹、礎だと知る者はそう多くはない。その事実を知る者はノクティルカでも上位に位置する者たちだ。そしてこの部屋に集った者たちは皆、その意味を知っている。


「まかり間違ってもこの予言を成就させるわけにはいかん! 例え我らの命と名が地に落ちようとも、我らの手でリュカバースを焼き払う。予言の行が真になるまでの期間は一ヶ月、即ち一週間後のその日に、ノクティルカの命運が決まるのだ」


 予言は、しかし回避することもできる。それもまたノクティルカ上層部の知るところである。

 国にとって不利な予言を実現させないためにこれまでノクティルカは武力、政治力を駆使して事に当たってきて、危機を回避したことも一度や二度ではない。


 もっとも予言される内容はほぼ国内のみのため、今回のように外国の土地でこのような武力行為を行なうことは殆ど無い。だからこそ議会は慎重に事を進めているわけだが――国が滅びてしまえば慎重もクソもない。

 議会は場所がリュカバースと断定されたとは言いがたいと出撃を認めなかったが、そもノクティルカは内陸国であり、他に第二と呼ばれる臨海の土地はノクティルカ周辺にはない。一体なにを躊躇えというのだ。


「古き血を受け継ぎし我らが同胞とやらの詳細は不明。よってリュカバースの可能な限りを焼き、可能な限りを殺せ。予言の行が消えれば我らの勝利だ。もっとも勝利したとて議会は我らの暴走として事態を処理し、我々は外交のための生け贄に捧げられるだろう」

「本望であります!」

『本望であります!』


 男の声に一人が応じ、全員がそれに続いた。

 それを見守っていた男は喜ばしげに唇を震わせた。


「ノクティルカの未来の為に」

『ノクティルカの未来の為に!』


 礎となろう。その先に自分たちの未来などなかろうと。

 国を守るとは、そういうことだ。


 外国の土地に火を放ち、外国人を殺して殺して、殺し尽そう。

 国を守るとは、そういうことだ。

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