パターンをどれだけ享受出来るか

『定型』を分かっていながら享受するという、ジャンル映画等に代表される愉しみ方がある。『定型』を『テンプレ』と言い換えても良い。一部で悪名高い(?)ラノベの某ジャンルは、その点で揶揄の対象になっているらしい。


 ミステリー作品に限らず「この先どうなるのだろう」という意味では全ての物語に謎が仕掛けられていて、その為に何らかの伏線やミスリードが内包されている筈だ。

 受け手には探偵を気取って享受するタイプと、一部外者として事の成り行きを見守るタイプとが居ると思う。

 前者は「思った通りになった。この作品は大した事がない」か「そう来るとは思わなかった。この作品は凄い」に分かれるだろう。


 伏線やミスリードがバレたからと言って、その作品の質が落ちるのかどうかは何とも言い難いと思う。「ほらやっぱり、怪しいと思ってたんだ!」という瞬間、読者は或る種の快感を覚えていると言えなくもない。でも「途中でバレてしまっては詰まらない」と不満を覚える読者が少なからず居る。読者とは何とも我が儘な存在なのだ。


 往時のテレビ時代劇や刑事ドラマ、ヒーロー物や一部のアニメは、毎回のようにワンパターン構成で作劇されていた。「よっ、待ってました! そうこなくっちゃ!」と享受出来るかどうか。こういう毎回同じ定型の一話完結ものは減った気がする。

 一方で『テンプレ』が持て囃される現状も存在するという事は、昔ながらの懐かしい享受方法に回帰していると言えなくもない。


 ミステリーならば『事件が起きて紆余曲折があって解決する』、ラブロマンスならば『出逢って紆余曲折があってくっ付く(くっ付かない)』と、結末のパターンはほぼ決まっている。

 結局、大事なのは『紆余曲折』の方にあるように思える。

 多くの歌(曲)がトニック(安定)から始まってトニック(安定)で終わるとしても、ドミナント(不安定)、サブドミナント(やや不安定)等のコード展開、テンポや拍子の変化等、その過程の『紆余曲折』で趣向を凝らせる事に似ている。所詮、落ちのパターンこそ限られているだろう。


 そういう意味では、最後にどんでん返しがあるものと勝手に期待し、そうではなかったと不満を漏らすのは、何だかお門違いのようにも思える。

 こういう「期待と違った」系の感想は映画のレビュー等、各所で見掛ける。カクヨム内も例外ではない。

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