第三部「誰がために砲声は鳴る」8

 アロードまでは丸二日かかった。軍の車両による渋滞のひどさは、イアンの予想を上回っていた。

 付け焼き刃の運転で神経をすり減らし、イアンは早くも疲労困憊のありさまだ。それでも物資集積所に到着すると受付に直行し、兵站部北部方面総監のサインが入った書類を叩きつけた。

「兵隊文庫を受領に来た。積み込みを頼む」

 受付の下士官は面倒そうな顔こそしたものの、素直に手続きを始めた。総監のサインはまことに霊験あらたかだ。

 積み込み作業は集積所側の仕事だ。完了まで宿舎の空き部屋を借りることで話をつけて、イアンはようやく安堵した。ここを過ぎたら、再びベッドで眠れる日はしばらく来ないだろう。

 一秒でも長く惰眠をむさぼるつもりで宿舎に向かう途中、イアンは唐突に呼び止められた。

「大尉殿」

 振り向いた先に居たのは、護衛小隊の少尉だ。

「なんだい」

「お耳に入れておきたい事が…」

 わずかに声を落として続ける。

「北部で、帝国軍との戦闘があったそうです」

 イアンが顔をしかめる。安眠を助けるような話では到底ない。

「戦闘って、どの程度だ」

「小競り合いといった程度らしいですが…我々の行軍ルートからも遠いので心配はないと思うのですが、念のため」

「偵察だろうな…西方共和制をやった手口から考えると、使えそうな道を選んで機甲部隊で一気に、って腹だろう」

「しかし、北の山脈に戦車が通れるような道がどれほどあるでしょうか?」

「ぜひ苦労してもらいたいね。その間に、俺達の仕事を済ませたいもんだ」

 君も休め、と言い残してイアンは今度こそ宿舎に向かった。せめて夢の中からは戦争を追い出せますようにと、心底から祈る。


 積み込みは滞りなく終わり、車列は前線にむけて出発した。

 護衛隊の緊張は増している様だったが、今のところ、空にも地上にも敵の姿はない。同じ道を行く輜重部隊のトラックも、さほど警戒はしていないようだ。

 安心したような拍子抜けのような、微妙な気分でイアンは装甲書架車を走らせる。ナビのラティーカも、同じ道を行く車がいる安心感からか、当初ほど気を張ってはいない。目下のところ、問題と言えるのは渋滞だけだった。

 二晩をキャンプで過ごし、最初の配布予定地に到着した。

 かなりの規模の集積地だった。物資を詰めた木箱が高く積み上がり、戦車や牽引砲、大小様々な軍用車がひっきりなしに出入りする。それを憲兵たちが、警笛を鳴らしながら捌いていた。

「独立図書館連隊のプロヴァズニーク大尉だ。これ、命令書」

 二人組の憲兵に、窓から書類を手渡す。受け取った一人はしげしげとそれを眺め、確認しますので少々お待ちを、といって駆けていった。

 もう一人が、珍しそうにイアンたちの車列を眺めて尋ねる。

「こりゃ、陸軍の新兵器ですか?」

 呑気な口調に、イアンは笑って答える。

「残念ながら違うな。こいつは本を運んでるんだ」

 それを聞いた憲兵が、目を丸くしてイアンの顔を見た。

「本って、そりゃ兵隊文庫のことですか?」

「そうだ。知っているとは嬉しいね」

「あの本は、大尉殿のところで作っておられるので?」

「ああ」

「『黄金航路』は積んでますか?」

 相手の口から突然、共和国の傑作冒険小説のタイトルが飛び出して、イアンはいささか面食らった。助手席のラティーカに小声で確かめる。

「あったか?」

「ちょっと待ってください…あ、ありますね」

 積み荷のリストを素早く確認したラティーカが答えた。

「よかったな、あるぞ」

 イアンの返事を聞いた憲兵が、小さくガッツポーズをとった。

「好きな本なのか?」

「じつは、半月ほど前にここを出た大隊が、何冊か兵隊文庫を置いていったんです」

「ほお」

 初版分を受領した数少ない部隊のひとつらしい。

「その中に『黄金航路』があって、仕事の間に読んでたんです。ところが、半分ほど読んだところで誰かが持って行っちまったんですよ。前線に行った部隊か、戻っていった輜重の連中か…とにかく俺は、冒険家エリアーシュ・マツェクがどうやって、恋人と金塊と一緒に殺人教団から逃げるのか、気になって仕方がないんですよ!」

 憲兵の熱弁を、イアンは呆気にとられて聞いていた。そこへ、書類を持っていった一人が戻ってくる。

「お待たせしました。確認とれましたんで、左に折れて駐車場の奥のほうに…」

「おい、ちょっとかせ」

 憲兵が、戻ってきた相棒から書類をひったくった。ざっと眺めて、鉛筆で何かを書きつける。

「大尉殿、むこうの角を右に折れて、そこの憲兵にこの書類を渡してください」

「兵長殿、あっちは最優先物資の置き場所ですよ?」

「バカ野郎。大尉殿はな、兵隊文庫を持ってきてくだすったんだぞ」

 相棒の方が得心した顔になった。

「そりゃ仕方ないですね」

「…右でいいのか?」

 二人のやり取りを戸惑ったように眺めていたイアンが口を挟む。

「ええ、右側に折れてください。何か言ってくる奴がいたら、クドルナ兵長がそう言ったと伝えてくれりゃ大丈夫です」

「本当だろうな。信じるぞ」

 自信満々で胸を叩くクドルナ兵長に見送られて、イアンは車を発進させた。言われた通り、鉄杭とロープで区切られた集積所の角を右に曲がる。後続の車がそれに続く。

「妙なやつだったな」

 ハンドルを握りながらイアンがつぶやいた。ラティーカも隣でうなずく。

「でもまあ、少なくとも一人は読者がいたってことですから」

「そうだな…いい兆候だと思っておくか」

 しばらく進むと、開けた駐車場に出た。支持棒を持って駆けてきた憲兵に、イアンは先程の書類を手渡す。

 署名を確認して、その憲兵はにやりと笑った。


「よし、頼む」

 イアンの合図で、兵士が装甲書架車の荷台に付いたクランクをつかむ。力を込めてそれを回すと、書架を覆う装甲板がゆっくりと持ち上がり、棚に整然と収められた兵隊文庫が姿をあらわした。

 待機していた兵士たちが本棚に向かう。

 それぞれの棚は箱状に取り外せるように作られており、ロックを外してそのまま持ち運ぶことが可能だ。それを抱えて運んでいく兵士の先には、大勢が人だかりを作っていた。

 工兵が即席で作ったという長机に、兵隊文庫を入れた箱が音を立てて乗せられた。

「整列!」

 机の横に立った下士官が、兵たちに向けて号令する。

「これより兵隊文庫を配布する!先頭の者から順番に取っていけ!」

 列が動き始めた。先頭にいた若い兵士が笑顔で箱を覗き込み、一冊抜き取る。後ろの者もそれに続く。列の後方にいる兵士の中には、心配そうに首を伸ばして前をうかがう者が何人かいた。目当ての本が先に取られないか、気をもんでいるのだろう。

「一冊つかんだら、前に進め。ここであれこれ選ぶな。後で交換すりゃいいんだ」

 下士官がそう言って列を急かす。本を受け取った兵士たちは早速読み始めたり、何人か集まって交換の相談をしていた。

 イアンとラティーカは、長机の後でその様子を眺めている。横には、配布先部隊の指揮官である少佐が立っていた。

「実際、大いに助かっているよ」

 少佐がにこやかに話しかけてきた。

「前線の兵隊というのは、意外に暇なものでね。歩いて、壕を掘り、小銃の手入れをしたら一日の仕事はそれで終わりだ。将校のようにデスクワークがあるわけでなし…厳しく管理された兵営生活より、かえって空き時間が多かったりする」

 兵士たちの賑わいを眺めながら、しみじみと言う。

「前線じゃ、何もしないで考えるってのが一番良くない。なにしろ戦争だ…なかなか、前向きな方には考えが向かないもんさ。そんな状態が続くと、命に関わる失敗をしでかすことだってある。そうならないよう、気晴らしってのは大事なんだ。君達は俺の部下を救ってくれてるんだよ」

 そこまで言うと、不意にイアンたちに向き直り、直立不動の姿勢をとった。

「大隊を代表して、独立図書館連隊の献身に、心より感謝と敬意を表する」

 イアンとラティーカがあわてて敬礼する。少佐は再び笑顔になった。

「ここにいる間は、困ったことがあれば何でも言ってくれ。力になろう」

「恐縮であります」

 イアンも笑顔を浮かべる。

「喜んでいただけて、ホッとしました…首都じゃ、兵士の暇つぶしに予算を割いてるなんて言われてたもので」

「そんな奴がいるのかね」

 少佐が、けしからん、というような顔をした。

「そんな輩はここに連れてくるといい。兵隊文庫のありがたさを、君たちに代わってたっぷり思い知らせてやろう」

「ぜひお願いしたいですね」

「ところでだね…」

 わずかに声を低め、イアンに顔を近づける。

「兵隊文庫に『丘になる果実』が入っていると聞いたんだが」

「ええ、ありますよ」

「そうか!」

 少佐の顔が明るくなる。

「いや、私はラヴェゼニの出でね、例の発禁騒ぎで読み損ねていたんだよ。その後も忙しくて手を出す暇が無かったんだが、こんなところで機会が巡ってくるとは!」

「一冊お持ちしましょうか」

 装甲書架車には、破損に備えて予備の兵隊文庫が数セット積み込まれていた。管理はイアンの裁量に任せられている。

 だが少佐は苦笑いして首を横にふった。

「気づかいはありがたいが、こういうものは兵が先だ。彼らのうしろに並ぶとするさ」

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