第六件 屋根裏鼠は犬を噛む

コンスタンツェ嬢は実に品行方正。


朝は早く起きて身支度を整え、軽く勉強。


昼は学園へと向かい、勉学に励む。


夕は近習と武芸の鍛錬。


夜は今日の復習と翌日の予習、そして早めにとこく。


予想外の行動は殆ど無い。


(・・・・・・コンスタンツェ・・・・・・様は、彼女・・・・・・の殺害には無関係・・・・・・ですね。)


リティは少しばかり安堵する。


これほどまでに理想的な貴族の娘はそうそういない。

皇太子の妻となるのに何の疑問も抱かない、そんな人物である。


少女殺害の下手人は別、となれば、そちらは一旦置いておいても良いだろう。


皇帝陛下の依頼は、あくまでもコンスタンツェの調査なのだから。


少しばかり心に晴れ間が生じる。


だが、その小さな青空は四日目にして雲に隠れる事となる。




いつも通り、彼女は自室へと戻ってきた。


あとは予習復習して就寝するだけだ。


しかし、そうはならなかった。

その気配に気づいたリティは録音魔道具に魔力を注ぎ、起動させる。


今まで開く事の無かった戸棚。

おもむろにしゃがみ込み、その扉を開く音がする。


その仕草と音から、戸棚は彼女の腰高程度の高さの小さな物であるようだ。


そして何かを取り出す。


乾燥した物が擦れる、かさり、という音がした。

金属とは違う、高く軽い音も聞こえる。


(・・・・・・この音。あの・・・・・・ドルネノ草・・・・・・でしょうか。高い音は、陶器?)


椅子を引く。


彼女が勉強に使っている机の上に取り出した物を置いたようだ。


乾燥した物が砕ける、ぱりぱり、という音。

そして、ごりごりと何かを擦る音が続く。


(ドルネノ草は薬草・・・・・・ならば、この音はすり鉢?・・・・・・なぜ公爵令嬢が?)


そんな疑問をリティが抱いていると独り言が聞こえてきた。


「もう、後には引けない。引くつもりもない。」


すり鉢とすりこぎ。

陶器同士が擦れ合い、草を砕く音が強くなる。


「あの子は失敗だった。でも本命は失敗しない。」


がりがり、ごりごり、と次第に音が濁っていく。


「私は皇后になる。そして、この国を手に入れる。」


リティからは音しか分からない。


だが、おそらく。

品行方正な彼女の顔は、今は悪魔のような狂気に染まっているのだろう。


「子を産み、そして不要になった夫をこれで・・・・・・。」


音が消える。


聞こえるのは彼女の呼吸音だけ。

二日間聞いた安らかな寝息ではない。


荒く乱れた、息切れのような音だ。

興奮を抑えきれない、そんな息づかいである。


(・・・・・・なぜ、こんなことに。)


リティは目を瞑り、眉間に皺を寄せる。


平穏無事に全てが終わると思っていた。

だが人死にが出た時点でそれは困難となった。


調査対象が品行方正で不安は消え去った。

だがたった今、彼女の裏の顔を垣間見かいまみてしまった。


(あの少女を、殺したのが・・・・・・コンスタンツェ様・・・・・・だったとは。)


自らの邸で働く少女殺害の犯人が公爵令嬢。

中々に衝撃的な話である。


だが、それよりも重大な問題が生じている。


(彼女は、将来殿下を・・・・・・殺害する気だ。皇太后こうたいごうとして権力を握るために。)




現皇帝マクシミリアンは長く男子に恵まれなかった。


六人の子をなしたが、皇太子ジークハルト以外は全て女子。

皇太子には五人の姉がいるのだ。


皇帝は既に六十と三。

あと数年もすれば、帝位を息子に譲るだろう。


そうなれば帝国の全権は皇帝となったジークハルトに集中する。


男子を産み、その子が幼いうちに皇帝を謀殺。

それによって彼に集まっていた帝国の権力を我が物に。


齢十八の彼女が謀るには悪辣あくらつで、無道むどうな計画だ。


フィンゼフト公爵の差し金だろうか。

帝家に血縁が近く、十二分じゅうにぶんな権力を有する公爵が暗殺を企図きとするとは思えない。


となると考えたくはないが。


彼女は彼女自身のために、計画を練っているという事になる。


彼女は若く美しく、全てに恵まれ、平穏な将来が約束されている。


しかし、彼女はそれ以上を求める野心の化身けしんだ。

そして他者を平気で使い捨てる天使の皮を被った悪魔。


最も皇太子妃に相応しいと言われた令嬢は、国家最大の危険人物だったのだ。


(・・・・・・陛下に報告が必要・・・・・・ですね。実に悲しい事・・・・・・ですが。)


皇帝の傷心をおもんぱかりながら、リティは次の行動を考える。


あと数時間でエルが自身を回収に来るだろう。

筆記魔法で記録した内容をきちんとまとめ、録音した魔道具も提出する。


それで調査は一段落、お役御免やくごめん

我が首は胴から離れる事は無い。


代わりに下の令嬢の首が飛ぶだろうが、まあ、仕方の無い事だ。


身に比さざる野心と非道な行いの報いである。




(廃品回収に来ましたよ、っと。)

(誰が廃品ですか。さっさと戻りますよ。)

(へいへい。)


エルは身体が動かせないリティを背負う。


重っ、と聞こえない程に小さい声を聞き取り、リティは抗議の目線を送った。

彼女と目を合わせないようにしながらエルは梯子を下り、それを天井に収納する。


こんな危険地帯、さっさと抜け出すに限る。

真っ暗な廊下を警戒しつつ進んでいく。


だが、曲者くせものを簡単に逃がすほど、公爵令嬢の近習きんじゅうは甘くはなかった。


そより、とかすかな風が吹く。

廊下の端から二人へと。


次第に強く、烈風の如く。

狙うのは侵入者の首。


鋭い一閃が二人の首を打ち落とす。


「どわっっ!!」


その気配を察知し、エルは咄嗟にしゃがみ込む。

先程まで自身の首があった場所を、月の光に輝く白い筋が通り抜けるのを見た。


空振り、勢いのままに二人の前方へと襲撃者は跳んでいく。


空中で身体を捻り、片手で床を突いて体勢を翻して二人に向き直る。

彼女の左には二人が降りようとしていた階段があった。


元から二人の退路を塞ぐために飛び掛かったのだ。



暗闇に溶ける漆黒の身体。

金の瞳が月夜に煌めく。


垂直に立った毛に覆われた耳は音を拾い、長い鼻口部マズルは臭いを逃さぬ。

大柄な体躯は彼女の武芸者としての力を示し、鋭い爪は獣を表す。


黒い毛並みを覆う丈の長いエプロンドレスは、彼女が使用人メイドである事を明示する。


二足で歩く黒毛くろげの狼。

人を凌ぐ身体能力を持つ獣の武人。


令嬢を守るつわものだ。


「ここ数日嗅ぎ慣れない臭いがあると思っていましたが、鼠がいましたか。」


リティとエルを射殺すような眼光で睨み、狼は言う。


「物取りでしょうか、それともお嬢様をかどわかすつもりでしょうか?」


脚を大きく開いて腰を落とす。


左手を広げて二人へと腕を伸ばし、指先を右へ傾けた。

右手は腰高に落として手を広げて指を鉤状に、鋭い五本の爪が月光に光る。


「ですが、どちらでも関係はありません。排除致します。」


問答無用。


言葉を交わす必要性は存在しないとばかりに狼は飛び掛かる。

メートルはあったはずの距離を一足で。


右腕を水平に、右から左へ一閃。

今度は首ではない、回避が困難な胴への一撃だ。


「うおっ、あぶねぇっ!」


エルは後方へ飛び退き、その一撃をかわした。

だが、その程度で彼女から逃れられるはずがない。


右脚を軸に腕を振り抜いた勢いを活かして身体を回す。

回転力を乗せた左後ろ蹴りが僅かに宙に在るエルを襲った。


「ごふっ・・・・・・。」


鈍い衝撃が腹部を貫く。

ミシリ、と体内がひしゃげる音を聞いた気がする。


背にリティを負っている以上、腕で防ぐ事も出来ない。

完全に直撃だ。


「がはぁ、効くぁ・・・・・・っつぅ・・・・・・。」


メートル跳んで、げほげほと咳をしながら、エルは脂汗をかく。


眼前のメイド狼は強者だ。

それに対して自身と背に負う上司は完全に獲物である。


このままでは確実にられてしまう。


(エルさん、少々・・・・・・。)


肩にあごを載せたリティがささやく。

小さな小さな作戦伝達である。


目は狼を捉えたまま、エルはそれを聴きニヤリと笑った。

口元は布で隠れている、眼前の彼女はそれに気づきはしない。


「はぁっ!」


黒の狼は再び跳んだ。

もう一度、今度は左足で踏み込んで右の横蹴り。


今度も直撃、とはいかなかった。


どずん、という鈍い衝撃音はエルの腹部より前方で鳴ったのだ。

鋭い右の蹴りは、魔力を集中させて強化したエルの右脚で防がれていた。


防いだとて、痛みはある。

苦痛にエルの顔が歪む。


一瞬。

そう一瞬だけ。


彼女の動きが停止した。


その瞬間が好機だった。


リティの人差し指が狼を指し示す。


指先に魔力が集まり、そして放たれた。


「ぐぅっ!!!!」


他者を殺害するような魔法ではない。

ただの照明魔法だ。


だがそれを凝縮し、暗闇で目に直撃させれば強力な目眩めくらましとなる。


さしもの狼も目を潰されて、たたらを踏んだ。


彼女を尻目にエルは飛ぶように走り出す。


「ま、待ちなさい!!!」


背後から響く声を無視して、ひたすら下へ下へ。


三階から二階へくだり。


二階の廊下を駆け抜け。


二階から一階へと階段を転がるように下りて。


五日前に入ってきた下水道へと繋がる扉を開いて駆け込んだ。


「ひぃっ、ひぃっ、局長!逃げおおせたら、もうちょっと、痩せて、下さい、ね!」

「うるさい・・・・・・ですよ。黙って走れ。」


下水道の中を走る走る。


おおよそ二十分は走った所でエルの体力は限界を迎えた。


「ぜはーっ、ぜはーっ、ぜはー・・・・・・・・・・・・。」


リティを一回降ろし、エルは肩で息をする。

下水道は迷宮のように入り組んでいる、ここまで来れば追っ手は来ないだろう。


「一先ず、何とかなりましたね。」

「な、何とか、なったって、言うん、すかね、この状況。」


息も絶え絶えにエルは話す。


明確に顔を見られたわけでは無いが、流石に公爵別邸を探るのはもう無理だろう。


「ええ勿論。必要な調査は完了しましたから。・・・・・・非常に残念ながら。」


リティは記録してしまった事を思い、ため息交じりに首を横に振ったのだった。

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