24話
課外授業の日がやってきた。警察署の会議室にクラス全員が集められて、警察の地域社会に対する役割や、犯罪率のグラフがプロジェクターの画像とともに説明されるが、そんな説明は耳を通り過ぎてしまう。僕の頭の中には、どこか虚しく笑うアテナの顔以外に思い浮かばない。そして、彼女を傷つけた張本人が、教卓の前で話していた。
やがて、休憩時間になった。僕はトイレを済まして、前に置かれていた自販機に小銭を入れ、たくさんあるボタンの前で指を彷徨わせながら、僕は灘祐介に問い詰めるタイミングを考えていると、
「長い説明だっただろう。甘いものを飲んで糖分を補給するといいよ」
僕の後ろで灘祐介がココアを指差した。
ちょうど、周りには人が居らず、僕と彼とふたりきりだ。勝負をするなら、ここだろう。
僕は何気なく、胸ポケットに隠していたボイスレコーダーのスイッチを押した。
「いえ、僕はコーヒーの気分なんで」
ボタンを押すと、ガタンと音を立てて、缶コーヒーが落ちてきた。
「じゃあ、俺はココアで」
灘はベンチに腰かけた。
「最近、あけみの誕生日会を開いてくれたんだね。ありがとう。あの女の子にもお礼を伝えおいてくれるかな」
灘は優しそうな笑みを浮かべた。
「ええ、伝えておきます」
ちょっとした間があった。僕はその隙を逃さなかった。
「三ノ宮家の殺人事件。実行犯は灘さんですか?」
僕が言うと、灘は眉を顰めた。
「いったい、どういう風の吹き回しかな?」
「岸井さんにあの腕時計のことを口止めしてたみたいですけど、あっさりとあなたの名前を言っちゃいましたよ?」
僕が言うと、灘は態度が一変し、舌打ちした。
「あなたは三ノ宮家に脱税の疑惑がかかっていることを知り、その財産に目をつけた。上原さんからかあなたからか、どちらから話を持ちかけたかはわからないが、三ノ宮家に強盗することを計画した。あなたの犯行動機は、あなたの妻の病気だ。病気の手術代を捻出するために、事件の計画を持ちかけた。あるいは上原さんに、立場上、事件の調査を思い通りに操れる。事件の証拠を隠し、ねじ曲げるのは簡単なことだって唆したんじゃないですか?」
灘は、彼の心の中に隠していた暗い部分が現れてくるように、徐々に表情を歪めた。
「……おまえに何がわかるんだ? 難病で苦しむ妻を自分の稼ぎで救えない無念さがわかるか? 彼女がもう迷惑をかけたくないから治療を諦めて死を選びたいと言った時の、俺の気持ちがわかるか!?」
灘は唾を飛ばし、鋭く冷たい目線で僕を睨みつけるが、しかし、こんなことでビビる僕ではない。なんたって幽霊が今も取り憑いているのだ。そっちの方がよっぽど恐ろしい。
「だいたい、君が言うように、俺は事件をどうにでもねじ曲げることができる。ひょっとでの高校生が俺を事件の犯人だって言ったところで誰が信じるんだよ? ええ?」
「灘さん。自首してください。そして今回の事件の被害者に頭を下げて謝ってください。じゃないと……」
僕は怒りで拳が震えていた。
すると、灘は再び態度を変えて、
「しかし、よくここまで辿り着いたね。何を隠そう、事件当日、僕は現場に居たよ。現場の調査も俺が誘導して、残っていた証拠のほとんどを消したはずなんだが、まさか、腕時計を辿られてしまうなんて思いもよらなかったな」と、開き直った。
僕は灘の喜怒哀楽の激しさを冷静に見つめていた。
「君が俺のことを犯人呼ばわりしようが、何しようが俺は一向にかまわない。だけど、そんな間接的な証拠だけで、俺を犯人だと立証はできないよ。凶器はどこにもないんだから。それに、このことが捲れると、あけみはどう思うかな?」
「は?」
「君が外に連れ出して、笑顔を取り戻したあけみは、再び自分の心を閉ざすだろうね」
灘は静かに微笑んだ。
僕は実の娘を盾に、ここまで立ち振る舞う男に、怒りを通り越して、感心すらしてしまう。コイツは本当にクソ野郎だ。
「この野郎……」
我を忘れて、灘の顔を殴ろうとするが、あっさりと拳を掴まれてしまう。
「これ以上、この事件に首を突っ込むと、君のお母さんが警察官をやめてしまうことになるよ。俺にはそれぐらい簡単にできる」
灘は掴む力をだんだんと強めた。拳が砕けそうになるぐらいに痛い。
「クッソォ……」
灘は開いた片方の手で、素早く僕のポケットからボイスレコーダーを抜き取った。
「これは預かっておくよ。今度はもっと上手にスイッチを押す練習をしておくといい。休憩時間は終わりだ」
灘は拳を放して、会議室へと戻っていった。僕はその後ろ姿を見送ることしかできなかった。悔しさのあまり、自販機横のゴミ箱を蹴飛ばそうとしたが、思い止まり、ベンチに腰掛けた。
(やられた。完敗だよ)
——負けるが勝ち、論に負けても理に勝つ、敗北を受け止めて、次にどう生かすか——
つまらない言葉が、心の底から出てくる。確かにそれらは敗北の一つの側面だ。だけど、僕が実際に直面したのは、
——負けるというのは、自分がどうしようもできないくらいに打ちのめされるということ——
§
課外授業が終わり、警察署を出ると、夕日が眩しかった。しかし、心に抱え込んだものが多くなると、そんなことに気を取られることもなく、視線を落としがちになる。沈みがちな気分に飲み込まれ、全てがネガティヴな考え方になってしまう。今日の晩ご飯の献立、課外授業のレポート、から元気のアテナ、証拠を隠してしまった犯人……僕は、アテナの前で真相を明らかにして、犯人の頭を下げさせて、罪を償わせたい。だけど、真相がめくれてしまうと、アテナの親友が傷ついてしまう……。
僕のやってきた今までのことは、すべて間違っていたのではないだろうか? 僕が犯人を見つけてしまったせいで、その犯人がアテナの親友の父だったせいで、アテナは余計に傷ついてしまった。彼女はずっと上の空で、そして、あのクソ野郎の言うとおり、あけみは再び心を閉ざしてしまうだろう。誰もが納得できないし、幸せになれない。
『真実は残酷である』なんて誰かのつまらない言葉の意味が理解できてしまう。この現実に対して、僕はあまりにも無力だ。どうしていいかわからない……。
頭の中がグルグルまわったまま、警察署前で信号を待っていると、
「そうちゃん」
後ろから、みなもに肩を叩かれる。
「おわっ。ビックリした」
「暗い顔してどうしたの?」
みなもは、ん? と、頭をちょっと傾ける。
「どうしたのって、べつに……」
僕が言いかけると、みなもは遮るように、
「そうちゃん、ちょっと寄り道していこうよ」
そう言って、僕の手を引っ張った。
僕はみなもに連れられて、ファーストフード店に入った。メニューを注文して、席に座る。ハンバーガーやポテトをグタグダと食べているが、悩みがどこかへ消えるわけではない。その悩みから逃れるように、ただ、トレーに敷かれた広告や、散らばったポテトを眺めていた。
「そうちゃん。何かあったの?」
「うん……まあ、何ていうか……」
「そうちゃん!」
僕はみなもに両方の頬を掴まれて、顔を彼女の方へ向けさせられる。
「話すときは、私の顔を見て話して」
そう言って、優しく微笑んだ。
「みなも……」
僕は彼女の優しさで、涙が溢れそうになった。彼女のあたたかさが、僕の中で凍てついた怒りや、悔しさや、無力さを溶かしてゆく……僕が悩んでいる時は、いつも彼女に助けられている。僕がピンチの時は、みなもはいつも僕のそばにいてくれる。どうして僕は彼女から目を背けていたんだろう?
(目を背けたくなるほど、みなもの存在が眩しかったんだよ……)
「それで、そうちゃん。何かあったの?」
僕は落ち着きを取り戻し、考えながら話し始める。
(ほら、落ち着いて考えろよ。みなもこう言ってくれてるんだ。お前は確かに心は折れているが、まだ何もかもが終わったわけじゃない)
……わかってるよ。まだ終わったわけじゃない。
「あのさ。あけみちゃんの親友が殺された事件の話、覚えてるか?」
僕は話を切り出した。
「ああ。そうちゃんが調べてたやつ……」
「その事件の犯人が、あけみちゃんのお父さんなんだ」
僕が言うと、みなもは驚いて、絶句した。
「それは本当なの?」
「間違いない。あけみちゃんのお父さん、灘祐介は刑事で、事件の証拠を揉み消したんだ。裏は取れてる。それでどうしたらいいかなって思って……」
僕は再び思考を巡らした。続きの言葉を考えた。
「そうちゃんはどうしたいの?」
みなもは割り込んで、訊ねてきた。
「どうしたいって言うと……事件を解決したいんだ」
僕は率直に思ったことを言った。
「僕は事件を解決したいんだけど、だけど、それをあけみちゃんが知ったら、彼女は深く傷つくことになる。たぶん、もう二度と立ち上がれないほどにショックを受けると思うんだ。自分の親友を殺したのは、自分の父親だって知ったら……」
もし、僕があけみちゃんの立場だったらどう思うか考えてみるが……うまく想像がつかない。
僕の言葉に、みなもは受け止めた。彼女は長い間考え込んで、
「……その事実をあけみちゃんに伝えるべきだと思う」と言った。
「どうして?」
「私ね、やっすんの一件は本当に後悔してるんだ。私があの時、そうちゃんに話していたら、そうちゃんが必要以上に苦しむことはなかった気がするんだ。そりゃ、やっすんの死は苦しいことだよ。でも、私が話さなかったせいで、そうちゃんはさらに苦しむ羽目になったって思ってる。だから、私たちが事実を知っていたのに、それを話さなかったら、そのことであけみちゃんは余計に苦しむと思う」
みなもは、そう言って表情に影を落とした。僕は息を吐いて天井を見上げる。
やっすんの一件……もし彼の余命がもう数ヶ月もないことを知っていたら、僕は大喧嘩したことを素直に謝って、彼を新たなる旅立ちに送り出せたはずだ。しかし、みなもは、やっすんが隠したがった余命を僕に伝えなかったせいで、僕は彼と仲違いしたまま、永遠に別れることになった。『もしあの時、やっすんに死が近づいていることを知っていれば……』なんて何度も考えた。僕はそれで苦しんだ。永い苦しみの中で、すがる場所がどこにもなかった。
(みなもだって同じだ。もしやっすんのことを僕に伝えていれば、僕がここまで引きずることはなかったって、何度も思ったはずだ。『もしあの時、やっすんに死が近づいていることを僕に話していれば……』彼女もまた、同じ後悔の中でもがき苦しんでいた。そのせいで、みなもは僕に対して負い目を感じ続ける羽目になった)
最初はほんの軽い気持ちだったのかもしれない。まあいいやで済む話だと思ったのかもしれない。
(だけど、重大な事実を隠すということは、重い罪なんだってわかった)
真実を知るものが関係者に話さないと、誰にも救われることもなく同じ苦しみの中に沈んでしまう。
(そう。みなもの言ったとおり、僕たちが事実を知っていたのに、それを話さなかったら、そのことであけみちゃんは苦しむ。知っていたのにどうして話してくれなかったんだって。私たちは友だちのはずなのに、どうして話してくれなかったんだって、出口もゴールもない永遠の中を彷徨い続けるだろう)
その苦しみを僕は痛いほどに理解している。
(そう。僕も理解しきっている。そんな僕があけみちゃんにできることは……)
……彼女に事実を伝えること。
「……僕からあけみちゃんに話してみるよ」
僕が言うと、
「うん」
みなもは頷いた。僕らの間の絆が深くなった気がした。
「この事件の話はそうちゃんママに話したの?」
「いや、まだ話してない。これ以上、僕が事件に関わると、母さんをクビにするぞって脅されたから、言えないよな……」
僕が言うと、みなもはありえないと言いたげな表情をした。
「そんな……そんなヒドいこと、許されるわけがないよ」
みなもは怒りを露にした。彼女は僕の家族と、特に母と妹とは仲がいいので、怒るのももっともだ。だけど、僕の家族のためにここまで怒るなんて、みなもはなんて優しい奴なんだろうと思った。彼女が怒ってくれているせいで、僕は却って冷静になった。今、僕がうだうだ考えていても仕方がない。みなもの言うとおり、母さんに話してみよう。
「そうちゃんママは力になってくれるはずだよ。今日家に帰って話してみなよ。絶対にだよ?」
「わかった。ありがとうな」
「フレー、フレー、そうちゃん! がんばれ、がんばれ、そうちゃん!」
みなもは何を思ったのか、大声で、僕のことを鼓舞してくれた
「やめろよ、店の中だぞ、恥ずかしい」
僕はみなもを諌めると、
「あっ、そうだね」
彼女は顔を赤らめた。
——本当にこれでよかったのかな? でも、あけみちゃんが事件の犯人を私たちが知っていることを隠したら、あけみちゃんは絶対に傷つく。私もそうちゃんを傷つけたことがあるから、そんな過ちは繰り返したくない。
その反面、事件が解決しそうでホッとする。これで、そうちゃんは、あの幽霊から解放されるはず……きっと……。
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