肝試しに行ったら美少女幽霊が取り憑いた件

乱狂 麩羅怒(ランクル プラド)

1話



 深夜一時、国道沿いの道路灯が一定のリズムで車の窓に流れてゆく。

「わたしのドラテクはどうよ?」

 ハンドルを握っているのは夙川さくら。去年度にあすなろ高校を卒業したオカ研のOGであり僕のバイト先の先輩だ。最近になって車の免許を取ったから、肝試しに行こうと、オカ研メンバーをドライブに誘ったのである。

 助手席でくつろいでいるのが僕、塚本漱石。さくら先輩からヒステリックだと言われるが、断じてそんなことはい。むしろ熱い男だ。彼女からヒステリックだと思われてることにもうイライラしているが、さすがに高校2年生になれば、そのイライラもすぐに落ち着かせることができる。

「いいかんじだと思います」

 僕は適当に答えた。

「あと15分ぐらいで目的地に着くから、それまで快適に過ごしてくれたまへ」

「そこってどんな場所なんですか?」

「去年の7月に一家が殺害された館だよ。ニュースで流れてたけど憶えてる?」

 言われて、記憶を辿ると、すぐに思い出すことができた。ちょうど僕が高校に入学した年に起こった事件だ。資産家の3人家族が刺殺されて、刑事である僕の母さんが捜査に携わり、犯人を追っていたが、証拠が不充分ですぐに迷宮入りになった。あとなんか忘れている気がするけど……。

「なんとなく憶えてますよ」

 僕は答えた。

「そこは幽霊が出るって有名な心霊スポットになっているんだって」

「そうなんですか?」

「そうちゃん。本当にオバケが出てきたらどうしようか?」

 後部座席から少しだけ気の抜けた可愛らしい声が僕に問いかける。彼女は同じオカ研メンバーで、僕の幼馴染の鷹取みなも。僕に負けず劣らず変な名前だ。美人というよりは可愛い系の顔立ちで、茶色というよりは赤色に近い髪色の長さはショートカットに切り揃えられている。彼女の実家は神社なので、その髪色は大丈夫のなのかと心配されがちだが、彼女の両親は伝統を重んじるわりには、柔軟な思考の持ち主で、むしろ自由にしなさいと言われたらしい。彼女は誰にでも愛想が良く、誰からも好かれるところが、僕にはない部分なので、羨ましい。彼女には霊感があるらしいのだが、心霊現象の類を怖がることはなく、むしろ、前向きに楽しむことができる、風変わりなキャラクターだ。

 ちなみに、オカ研メンバーは僕とみなもの二人だけで、僕はオカルトの類に全く興味はない。それでも入部したのは、高校入学当初に暇を持て余しているところをさくら先輩に誘われたのがきっかけで、みなもは僕のあとを追って入ってきた。

「わっ!」

 みなもは突然、僕の肩を掴んで驚かそうとしたが、全く動じない。いや、嘘。声の大きさにちょっとだけ驚いた。

「なんか、反応が薄いね」

「当たり前だ。何年一緒にいると思っているんだよ。みなものやりそうなことなんか大体わかる」

 種明かしをすると、助手席側のサイドミラーから後部座席が見えるので、みなもの行動がまるわかりなのだ。

「そうちゃんったら」

 みなもは頬を赤らめ、照れ臭そうに僕の肩をガンガン叩く。みなもは運動神経が良く、力が強いので、結構痛い。

「痛いから辞めろって!」

 僕が言うと、

「そんなにヒスらないでよ」

 みなもは頬を膨らませた。

「幽霊なんて所詮フィクションだから、ビビることはないよ」

 さくらは笑い飛ばした。

「その発言はオカ研OBとして如何なものとは思わないんですか?」

「だって、幽霊なんて見たことないから居ないに決まってんでしょ?」

「幽霊はいますよ。先輩!私には見えますよ!」

 先輩の発言にみなもは食って掛かった。この手の話題になると、みなもは人が変わったように主張を曲げなくなる。

 話は逸れるが、みなものお祓いの腕はピカイチらしく、彼女のお祓いを受けて腰痛が治った(みなも曰く、腰痛オバケを退治した)とか、金運が上がった(曰く、貧乏神を追い払った)とか、彼女のお祓いが効果覿面だと定評があり、予約が何年先も埋まっている大人気の巫女さんなのだ。そんな彼女にとってお祓いの定義とは、古来から続くおまじないではなく、ただ、目の前にいる幽霊を追い払うことにすぎない。これがみなもの幽霊を信じる所以だ。

「そうちゃんも先輩にも見せてあげたいな」

 みなもは「ちぇっ」と言いたげに唇を尖らせた。

「見たくないからいいよ」

 ちなみに僕は幽霊が嫌いだ。理由は怖いからというわけではない。断じて言っておくが、本当に怖いからではない。

「そろそろ目的地に着くぜぃ」

 さくらはウインカーを出して国道から枝道へ入り、その先にあるベットタウンへ車を進めた。


 §


 ベットタウンは山手に開発されたところにあり、坂道を進むごとに、家の数は減るが、その分大きくなっていく。そのうち、明らかに大きな館が塀越しに見えた。車を路肩に停めて、外に出ると、夏なのに涼しい。門の前まで歩くと、ボロボロになったトラテープが古い蜘蛛の巣のようにだらしなく垂れ下がっている。その向こうに佇む西洋造りの邸宅は威厳があり堂々としていて、僕らを圧倒する。しかし、経年のせいか壁のところどころが蔦に侵食され、窓には埃が積もり、玄関前のアプローチは風雨に晒されて、白い塗装がところどころめくれている。夜ということも相待って、かなり不気味だ。

 事件から1年ほどたった今、この館に警察が捜査に来ることはなく、代わりに、暇を持て余した学生たちが冷やかしに遊びに来ていて、ネットで調べてみると、恐怖の心霊スポットとして、おもしろおかしく記事にされていた。

「中に入れるんですか?」

「うん。裏口の鍵が空いているって友だちから聞いた」

 こっちだと先輩は手招きした。

 館から裏手に周り、裏口を開けて、中に入った。

「おわっ」

 みなもは裏口の敷居に蹴つまずいたので、僕は慌てて体を支える。

「おいっ、大丈夫か?」

「うん。ありがとうそうちゃん」

 みなもは照れ隠しで笑った。彼女は結構抜けているところがあって、時々危なっかしい。僕がいなかったら、体の生傷が耐えないだろうな……。

 三和土で靴を脱がずに、そのままフローリングへ上がると、靴を履いたまま家の中を歩く違和感と、人の気配を感じることができない不気味さが混ざり合う。廊下はそのまま正面玄関のエントランスホールにつながっていた。

「うわー、すごいねー」

 みなもの間延びした声色はホールに反響して余韻が残った。それが僕の緊張を溶かしてくれた。彼女のマイペースはたまに傷だが、こんな時にはありがたい。

 みなもはホールを懐中電灯で照らした。天井には大きなシャンデリアが吊られていて、床にはペルシャ絨毯が敷かれていた。

「美術館みたいだ」

 僕は壁に所狭しと並んでいる、空になった額縁を照らしながら言った。資産家の家なだけあって、趣味にも相当な金額を注ぎ込んでいたのだろう。普通の家庭に生まれた僕には、この家の暮らしがどんなものか想像もつかない。

「こんな家に住めるなんて、何一つ不自由なかっただろうな」

 みなもは言った。

「たしかに」

 僕は頷いた。金持ちは世間からの恨みや嫉妬が絶えないはずだ。

「2階に上ろうぜ」

 さくら先輩は懐中電灯で階段に輪っかを書いた。


 2階は廊下にたくさんの扉が並んでいた。それぞれ開けてみると、アトリエだったり、シアタールームだったり、ピアノが置かれたスタジオだったり……住んでしまえば慣れるのだろうが、客として招かれたのなら、間違いなく迷ってしまうぐらいにバラエティに富んでいる。

「たくさん部屋があって、なんか、学校みたいだね」

 みなもは初めて見る光景に興味津々だった。彼女のおかげで、僕とさくら先輩も、肝試しに来ているというよりは、テーマパークのお化け屋敷に遊びに来たような感覚に変化しつつあった。

 やがて、廊下が尽きかけたところにアテナと書かれた札が掛けられた扉があった。

「なにか居るよ」

 不意にみなもの顔つきが険しくなる。警戒心剥き出しの声が、冷たい氷になって、僕の背中を伝い、恐怖が再び蘇る。彼女の警告に僕とさくら先輩は、動きがぎこちなくなった。

「本当か?」

 さくらの問いかけに、みなもは頷いた。

「ならここには入らないほうがいいな」

 僕は先に行こうとすると、さくらに首根っこを掴まれた。グエッってなった。

「おまえ、どこ行くんだよ?」

 僕はさくらに問い詰められた。

「どこって、安全なところですよ」

 自分で自分の身を守るのは当たり前だ。

「アホかお前。ここに入らなくてどうするんだ、肝試しに来た意味が無くなるだろ」

「先輩こそアホだろ。みなもが警告してるのに、自ら死地に赴くのは愚の骨頂。本当に大学受かったんですか?」

 僕は思いつく限りの罵倒を並べて、メンチを切った。

「まあまあ、二人とも落ち着こうよ」

 みなもが僕らを宥めた。

 結局、じゃんけんで負けたヤツが扉を開けることになった。

「最初はグー……」

 ……僕が負けた。

「いやいやいや。ちょっと待ってください。一旦落ち着いて、みんな冷静になろう。争いごとはよくない」

「往生際が悪いな。はやく開けろよ」

 さくらに手を掴まれ、無理やりドアノブを掴まさせられる。

「幸福追求権って知ってます? 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利があるんですよ。僕も例外なくその権利がある」

「お前、納税してないじゃん」

「両親が納税してるから。親ガチャSSR引いたから、大丈夫だから」

「いいから、はよ開けろ。男なら潔くあけろ。おめぇ女かよ?」

 さくらは啖呵を切った。

「女じゃねぇよ。ぶっ殺すぞ」

 僕は乗せられてメンチを切り返した。啖呵を切り返した手前、後には引けなくなってしまった。

 僕はドアの前で目を細めた。どうか彼女の勘違いであってほしい。殺された娘が幽霊になって出てくるなんて洒落にならない。

 いや、考え方を変えよう。僕には霊感がないのだ。だから、どんなに恐ろしい姿をしていようが僕には見えないし、だいいち、幽霊ごときに何ができるというのだろう? ただ、未練を抱えたまま彷徨っているだけなのだ。アイツらには何もできない。そう言い聞かせながら、震える膝をさすって、落ち着かせた。

「よっしゃ。行きますよ……」

 ……OK。腹は今、括った。

「……いやでも、心の準備がまだできないんで……」

「いいからはよ開けろ!」


§


 やっとの思いで決心した僕は扉を開けた。そこは寝室だった。ベッドフレーム、空になった本棚とクローゼット、ドレッサーが置かれているが、家具量販店のモデルルームのように生活感がない。

 もっと血塗られていて禍々しいものを想像していた僕は少し拍子抜けしてしまった。

「一人娘が殺された現場がここらしい。寝込みを襲われたんだ」

 さくらが言った。

「そんなこと言わないでくださいよ」

 さくらの言葉に、殺人の現場を想像してしまって、全身に鳥肌が立ち、腰が抜けそうになる。遊び半分で来なければよかったと本気で後悔した。

「何かいるのか?」

 僕はみなもに聞いた。沈黙よりも会話があったほうがいい。

 みなもは慎重に部屋を観察するが、やがて、

「……気配が消えちゃった。たぶん勘違いだったのかな?」と言った。

「そうか」

 僕はみなもの言葉にホッとして、あらためて窓の外を眺めた。普通の戸建ての何倍も広い庭がある以外は、特に何もない。部屋の中を探検している2人の明かりがチラチラと窓を照らし、鏡のように僕の顔と、僕の後ろに立っていた見知らぬ女の姿が映る。

 女?

「うわあああ!?」

 慌てて振り向くと、僕と同い年ぐらいの幽霊が血走った赤い目で、僕を睨みつけていた。腰まで伸びている黒い髪の毛が怒りで逆立ち、ワンピース型のナイトウェアの左胸が乾いた血でドス黒くなっている。彼女はブツブツと口を動かしていた。

「……シュン……ウラ……シイ……」

 幽霊のヒビ割れた声が、直接耳に入ってきて気味が悪い。

「そうちゃん、どうしたの!?」

 僕は幽霊を指差した。それを見てみなもは歓声を上げた。

「うわぁ、すごい。気づかなかった! めっちゃ幽霊じゃん!」

「お前アホか!? めっちゃ幽霊ってどういうことだよ!?」

 肝心のさくらは「なんだ!?幽霊が出たのか!?」と言いながら見当違いな方向を探し回っていた。

 どうやら幽霊が見えているのはみなもと僕だけらしい。

「ワタシモ……シ……デ……ホシイ……」

 シデホシイ? 死んでほしいって言ってるのか? 

 幽霊はゆっくりと僕の方へやってきて、手を伸ばしてきた。コイツは明らかに殺意があると本能が僕に訴えかける。間違いなく僕たちを呪い殺そうとしている。

「ダメだ。逃げるぞ!!」

 僕はみなもの腕を引っ張って、慌てて部屋を飛び出した。

「おい! どこいくんだってばよ!?」

 後ろからさくら先輩の声が聞こえるが、今は自分の身の安全の方が大切だ。


§


 無我夢中で逃げ出し、車の前にたどり着いた。周囲を見回し、幽霊がいないことを確かめてから、息を整える。ここまで追ってこなければ、一安心だ。

「そうちゃん。そろそろ離してよ……」

 みなもに言われるまで、僕は彼女の腕をがっしり掴んでいたことに気づかなかった。

「おお、ごめん」

 腕を離すと、みなもは掴まれていた部分をさすっていた。結構強く掴んでいたから、跡が残っている。

「うん。別にいいけど」

 彼女は腕をさすりながら言った。僕のペースに合わせて走っていたからか、顔が真っ赤だ。

「おまえら、薄情者か〜」

 さくらが息を切らしながら、僕らのもとへやってきた。

「先輩は見えなかったんですか?」

「見えるもクソもないよ。いきなり叫んで逃げ出すから、こっちがビックリしたよ」

「めちゃくちゃ幽霊いましたよ」

 僕が強く主張すると、

「そっかぁ、それなら、見えなくて逆に良かったよ」

 さくらは胸を撫で下ろした。いや、見えなくても、他の奴が幽霊がいるって騒ぎ立てていたら、怖くなるだろ。

「……もしかして、殺された一人娘だったのかな?」

 さくらは言った。彼女の一言で、僕の身体中の熱が逃げていくのがわかった。殺された一人娘なら、きっと生きている者に対して、嫉妬しているはずだ。そういえば……、

「なんかブツブツ言って、僕のことを祟ろうとしてきましたよ」

 おそらく、この世に未練があって成仏出来てないないのだろう。だから、肝試しに来た人間をああやって脅かしているのだ。

「でも、あの幽霊、そこまで悪いヤツじゃなさそうだったよ」

 みなもは言ったが、僕は首を振る。どう考えてもアイツは悪いヤツだ。その証拠に僕を呪い殺そうとしていた。

「そもそも、そうちゃんは幽霊が見えないんだろ?」

 さくらは言った。

「そうなんですけど……」

 話しているうちに、頭がだんだん混乱してきた。もしかして、僕は急に霊感が目覚めてしまったのだろうか?


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