第一話 天才令嬢である私をあまりにも雑に扱い過ぎでありませんこと!?

 全生徒を震撼させた伝説の入学式の翌日。

 早速、新入生達の授業が行われる運びとなった。

 講義室に集められたおよそ100名の新入生たちは、同郷だったり、顔見知り同士でグループを作り、まとまって席に座り、クラスメイトというコミュニティを形成し始めていた。


「………」


 しかし、講義室のど真ん中、最前線の席にだけはどのグループも進出せず―――…いや、より正確に言えば近づくことを避けており、一種の空白地帯が生まれていた。

 この空白地帯のど真ん中にいるのが、誰よりも早く講義室にやってきてこの最前線を陣取っている少女、リーチヒルトだった。


「………どうして皆さん最前列の席に座らないのでしょうか。まったく、名門魔法学院にまで来て、塾の気分では困りますわね…。ここは自分がしっかりと模範生としての姿を見せなければ!」


 などと言って奮起しているリーチヒルトだったが、単に彼女が腫れ物扱いされているだけだ。

 学院長まで巻き込んだ入学式でのは、全ての関係者にとって噴飯ものであったが、なまじ彼女は正真正銘の侯爵令嬢であるために、下手に指摘することに大きなリスクがあった。

 だから誰も何も言わない。

 一般の生徒たちも同様に。

 故に、彼女は独りになっている。

 本人は、避けられていることに気づいていないようだが。


 しかし、どこにもはみ出し者はいるものだ。

 他の席がその他大勢のグループで埋まると、グループを形成できなかった者たちが否応無しに中央最前列に座らざる得なくなる。


 使い古しのローブを着込んだ黒髪の少年が講義室に来た時には、リーチヒルトの座る最前線の席以外に、空いた席はなかった。


 ため息を一つ漏らして、黒髪の少年はジャイアントワームにこっそり近づくように、静かにリーチヒルトの隣の席に腰掛けた。


「あら!」

「…!?」


 気づかれた。

 ビクッと震える黒髪。

 

「他の誰も最前列に座りませんのに、貴方はやる気十分のようですわね!」

「え、ええ、まぁ…」


 今話題の変人に対し、無難な苦笑いでやり過ごそうとする。だが――


「あら、そのローブ、肩のところがほつれていますわよ」

「あ、はい…そ、そうですね…」


 残念ながら、リーチヒルトは話好きだった。


「いくらやる気があっても、身なりに気を遣わなくてはダメですわ」

「そ、そうですね…すいません…」

「私はリーチヒルト・マグネシアですわ。貴方のお名前は?」

「エ、エミカーシュです…」

「どちらのご出身ですの?」

「え、あ…い、一応…帝都、かな…」

「まぁ! 私と一緒!」


 そりゃそうだろうよ! と入学式で派手にを行ったリーチヒルトに言ってしまいたい気持ちを、エミカーシュは飲み込んだ。

 

「同郷の方がいらしただなんて、心強いですわ!」

「は、はは…」


 実は、新入生の中には他にも帝都出身者はいるのだが、誰もそれを公にしていないのである。多くが貴族の子であるが、彼女と同郷というレッテルを避ける為に、まだ情報を明かしていないのだ。

 しかし、帝都生まれ、帝都育ちと言えど、リーチヒルトが侯爵令嬢なのに対し、エミカーシュの事情は複雑で、特殊だった。

 それは彼の身なりが如実に表現している。彼には、”使い古しのローブ”を着ざる得ない理由があるのだった。


 エミカーシュは救いを求めるように通路を挟んで向こう側の生徒へ視線を送る。

 サッと目を逸らされた。

 取り付く島もない。エミカーシュは人身御供にされた気分になった。


「ねぇ、エミカーシュさん…―――エミカーシュ…言い辛いですわね。エミさんと呼んでもよろしいかしら?」

「えっ……あ、はい…」


 隣に座っただけなのに、リーチヒルトはグイグイと距離を狭めてくる。


「エミさんとは、今まで帝都のパーティーでお会いしたことありませんわね…? どちらの家柄でいらっしゃるのかしら?」


 エミカーシュに家柄なんてものはない。

 先程、彼が姓を名乗らなかったことに彼女は気づかなかったのか。

 対面したばかりの人を愛称で呼び始めるし、突っ込んだ話題にも遠慮なく触れてくる。いよいよ以って、エミカーシュのストレスが臨界を迎えつつあった。


 しかし、幸いにもこの地獄は程なく解消される。

 リーチヒルトを挟んで逆隣に、別のはぐれ者が腰掛けたのだ。

 それは、世にも珍しい薄青色の髪の少女だった。

 

「あら! 貴女も最前列に座るなんて、殊勝な心がけですわね!」

「………」


 早速リーチヒルトのターゲットが新参のはぐれ者に向いた。

 解放されたエミカーシュは安堵の息を漏らす。

 

「私はリーチヒルト・マグネシア。貴女のお名前を伺ってもよろしいかしら?」

「………」

「あら?」

「………」


 だが、新参のはぐれ者はリーチヒルトを越える強者であった。

 話しかけられようと、名前を尋ねられようと、一切無反応。

 まるで人形のように、ただ一点をじっと見つめ、微動だにしない。


「お耳が遠くていらっしゃるのかしら…? もしもーし!」

「………」


 それは単純に、耳元で叫ばれてうるさかったから、というだけの行動だろうが、薄青色の少女は、ちらり、と視線だけをリーチヒルトに向けた。

 じー…と睨みつけるが、一切言葉を発しない。


「あの、リーチヒルトさん、もしかしたら、彼女は喋る事が苦手なのかも…」


 見ていられなくなって、エミカーシュは助け舟を出した。


「ああ、なるほど。そういうことも考えられますわね。申し訳ございませんわ。私ったら、興奮のあまり誰振り構わずお声掛けしてしまって―――」

「―――別に、喋れる」


 喋った。

 話がややこしくなった。


「まぁ! それならお名前を教えて―――」

「イヤ」

「――――」


 今度はリーチヒルトが固まる番だった。


「教えない。話しかけないで」


 ピシャリ、とコミュニケーションを断つ。

 いっそ清々しい。

 こんな思い切りが自分にもあればと、エミカーシュは薄青の少女に憧れにも似た感情を抱く。

 しかし、硬直が解けたリーチヒルトは納得出来ないようだった。


「私が名乗りましたのに貴女が名乗らないなんて、マナー違反ですわよ!」


 リーチヒルトは憤慨し、がばっと立ち上がった。

 上流階級の社交界においては名乗ったら名乗りを返すというのは一般常識なのであろうが、ここに集められた103名の魔術師見習いは必ずしも上流階級出身者ばかりではない。

 一番多いのが、財を持つ商人の子、行政などに携わる高官の子。次に地方貴族の子。そして、残りは市井より才能ありと見込まれ各地からスカウトされてきた者達だった。

 彼女の言うマナーとやらが、この教室でどれだけ常識として浸透しているか…。


「リーチヒルトさん、落ち着いて…」

「これが落ち着いていられますか!」

「教壇を見て。先生が来てる」

「はぁ~? 何を言ってますの?」


 エミカーシュに言われ、リーチヒルトは眉をひそめたまま教壇に振り向く。


 教壇にはいつの間にか、大きな鼻と腰の曲がった格好が如何にも魔術師といった風体の老人が立ち、愛用の丸眼鏡を胸ポケットから取り出そうとしていた。

 慌てて、リーチヒルトは着席する。

 

 この教師が教室に入ってきた気配はなかったはずだ。

 最初から部屋の中にいたのか、それとも、転移してきたのか。

 ここは魔導学院だ。何が起きても不思議はない。

 

 友好を深めるのに夢中で、教師が現れたことに気づいたものは多くなかった。

 ざわざわと、いつまでも雑音に包まれている講義室を、教師はぐるりと見回した。


「――――ディス・ヴォイス」


 突如、教壇の先生から沈黙の魔法が放たれる。

 雑談に花を咲かせていた生徒たちを対象とした沈黙魔法は、講義室を一瞬で包み込み、夜の闇のような静寂が訪れた。


「うむ。初日から大変活気があってよろしい。しかし、最初くらいは静粛に致しましょう」

 

 魔法を受け、一切声を出せなくなった生徒たちに微笑みかける。


「魔法基礎理論の講義を担当するボクオーと申します。それでは、授業を始めましょうぞ」


 そうして、いよいよ魔法使いの雛鳥達の、最初の授業が始まった。



■ □ ■ □ ■ □



「―――と、いうことで、魔法というのは世界の裏側、ヴァーネシアと呼ばれる異界から引き出したエネルギーを、肉体という変換器に通すことで、現象として世界に表出する行為であるわけです」


 講義が始まって1時間。

 ボクオー先生は魔法の成り立ちについて熱く語っている。

 その熱弁には、些かの衰えもない。

 席を見れば、数名の生徒が既に意識を失い脱落し、夢の世界へ旅立っている。

 そして、最前列にも、昨日宣誓の儀にて大言壮語を吐いた問題児が、夢の世界へ船を漕ぎ始めていた。


「天才令嬢も形無しだな…」


 エミカーシュは呆れた様子でつぶやいた。

 アレだけ大げさなことを言っておいて、授業初回から居眠りとは――…

 

「ふぇ!? いま私を呼びまして!?」

「!?」


 急に目覚めた!


「そこ、お静かに」

「ふぁ、ひゃ、は、はい! すみませんわ、ボクオー先生…」


 顔を赤くして、リーチヒルトは席で小さくなる。

 

「あの、エミさん…」

「え、あ、はい…」


 何か恨み言を言われるだろうかと身構えるエミカーシュ。


「あの、今教科書のどの辺りですの?」

「………」


 顔を赤くしたまま、小声で尋ねるリーチヒルト。

 エミカーシュは、リーチヒルトの手元を見た。

 真っ白なノートがそこにある。

 天才令嬢は授業の最初から、夢の世界へ旅立ちかけていたようだ。


 上目遣いにこちらを見つめるリーチヒルトの視線に負けて、エミカーシュは何も言わず、自分のノートを半分差し出し、ここだよ、と指し示した。


「わぁ~! エミさん! 助かりますわ!」

「そこ、お静かに」

「あ、はい…」


 大声を出した瞬間怒られ、再び小さくなる天才令嬢。

 エミカーシュは小さくため息を吐いた。

 同じく、小さなため息が、リーチヒルトを挟んで反対側からも聞こえた。

 もっとも、向こうは呆れというよりも、苛立ちのため息であったが。


 そんな事は露知らず、リーチヒルトはエミカーシュに差し出されたノートを、せっせと書き写し始めていた。

 

 

 ■ □ ■ □ ■ □



 さらに1時間半の後、魔法基礎理論の授業はようやくの終わりを迎えた。


「概要に関しては以上となります。来週までに魔法基礎理論の現状の問題点、及び進展に向けての仮説をレポートにまとめて提出するように。それでは、良き学びを」


 そう言うや否や、ボクオー先生は紫の光の渦に飲み込まれ、教室から消え去った。


「は、はぁ~~~…難しかったですわ~…」


 ぐでー、と、リーチヒルトが机に突っ伏す。

 お前は天才なのではなかったのか、とエミカーシュは思った。


「あの、それじゃボクはこれで…」

「お待ちになって」


 素早く立ち去ろうとするエミカーシュのローブの裾を、小さな綺麗な手が摘む。


「な、なにか…?」

「エミさんのお陰で寝落ちせずに済みましたわ! それに、ノートも書き写させてくださって! お礼をさせてくださいませ!」

「い、いいよ、そんなの…」

「いいえ! そうは参りません! 施しの礼を返せぬとあってはマグネシア家の名折れですわ!」

「え、えぇ…?」

「そうだ! この後お時間はありまして? ここは是非、お礼を兼ねて友好を深めるためにお茶会など―――」

「馬鹿らし」


 リーチヒルトの背後で、透き通った声がそう言った。


「なっ―――!! 貴女! 名乗りもしない貴女! 一体何なんですの!? 私は、エミさんにお礼をと思って―――」

「貴方達、次の授業を受けないつもり?」

「ふぇ…?」

「あの、リーチヒルトさん…。次の授業は野外演習場で実用魔法の実践だよ。移動しなくちゃ」


 周囲を見渡せば、既に殆どの生徒が移動を始めていた。

 なぜなら、野外演習場まで休み時間を全て使って移動しなくては間に合わないからだ。


「も、もちろん覚えていますわ! この後、というのは全ての授業が終わった後のことでしてよ! 早とちりしないでくださいませ!」

「あ、そ」


 薄青の少女はそう言って立ち上がると、すたすたと出口に歩いていく。


「な、なんですの! あの態度! 天才令嬢である私をあまりにも雑に扱い過ぎでありませんこと!?」


 そういう彼女は天才を謳いつつも、授業中に居眠りしていた上に、他人のノートを慌てて書き写していたが…。


「リーチヒルトさん、ボクらも行こう。授業に遅刻しちゃうよ」

「そ、そうですわね! この決着は、授業が終わったらつけますわよ!」


 リーチヒルトは廊下の向こうにビシッと指を伸ばしたポーズを決めつつ宣言した。もうその場に薄青の少女はいないというのに。


「……早く行こうよ」

「わかってますわ!」

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