嘉手納基地周辺で育ちました。

 3歳の時に引っ越しした後、私は地元の公立保育園に体験入園する事になりましたが、近くに墓があったせいかめちゃくちゃ恐くて泣いてしまいました。

 結局、そこの公立保育園は共働きじゃないと入れないという事で入学できず、近くのキリスト教の幼稚園が運営している保育園みたいな場所(当時は保育園という名称では無かった)に入園しました。


 ちなみに小説の主人公兼村未来がキリスト教の幼稚園だったのも私の実体験から来ており、私もその保育園みたいな場所に通った後、2004年に幼稚園の方に入園しております。


 幼稚園は結構、厳しくて学校に来たら制服から体育着に着替えていました。

 時期にもよりますが、5歳の頃にはそういう習慣になり、校内は裸足でしたねぇ。

 近くに嘉手納基地があったので、よく戦闘機や米軍の旅客機が飛んでいましたが、幼い私は「那覇空港みたいなアメリカの空港」だと思っており、旅客機も多くの乗客を乗せていると思いました。

 また、2004年の8月13日には沖縄国際大学にヘリが墜落しておりますが、私は当時4歳だったので、あまりよくわかりません。

 どちらかと言うと、アテネオリンピックの方が印象に残っております。

 ただ、両親は事故についてめちゃくちゃ騒いでいたみたいです。

 その後、私は沖縄国際大学に進学する事になりますが、まだ当時の私は大学に進学するとは思いませんでした。


 2007年に幼稚園を卒業し、地元の公立小学校に入学する事になりますが、なんとその学校、公立校でありながら紺のイートン型の制服でした。

 クラスが2クラスぐらいしかない少人数の小学校ですが、教室の窓を見ると教科書に書かれているような綺麗な景色では無く、嘉手納基地でした(笑)

 後、体育館の屋上にはプールがあるのですが、授業中は戦闘機ばかり飛んで先生の声が聞こえなかったですね。

 また、私が通っていた学校では飛行機が学校に墜落した時の避難訓練がございました。

 その理由は1959年、宮森小学校で起こった墜落事故や1968年に起こった嘉手納飛行場B-52爆撃機炎上事故があったからです。

 父の証言によると空は真っ赤、私が通っていた小学校の窓ガラスが割れていたとか。

 よく普天間基地付近にある普天間第2小学校の避難訓練がニュースで取り上げられますが、私が通っていた小学校も普天間第2小学校の子供達と同じように避難訓練をしていました。

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