怪人むすめと戦隊ピンク

はんぺんた

第1話

 孤独だけが少女に寄り添っていた。酒の匂いの残る店内に足を踏み入れると繁華街の喧騒が嘘のように静まり返る。

 しんとした中で聞こえるのは少女が歩くたびにきしむ床の音。それからテーブルに荷物を置く音。電気をつけるとお世辞にも趣味が良いとはいえない、ガチャガチャと派手な内装が目に痛い。この場所にいるとよりいっそう孤独を強く感じてしまう。

 カラカラと換気のために開けた窓から見えるのは灰色の壁と路地裏のゴミ箱。それからネズミの死骸と昨晩の客の吐瀉物。

 ビルの間に挟まれたこの店は昼間だというのに陽の光はささず、陰鬱な空気が充満しているように感じられた。

 予報だとこれから雪がふるようだ。見上げた空が鉛のような雲に覆われている。ぶるっと身震いすると少女は両腕をさすりながら店の奥にある厨房へ向かった。

 明かりをつけ、少女が一歩踏み入れるとヒビ割れたタイルの床や汚れた皿に群がっていた虫が暗闇を求めるように素早く逃げていく。室内だというのに吐息が白くなるような寒さに震えながらも少女は腕をまくり、雑然と置かれた食器を洗い出した。

 暖房をつけることは許されず、お湯を使うことも許されず、水で洗うたびに手指は氷のような冷たさに痛みを感じた。

 食器を洗い終えると次は掃除機をかける。冷えすぎて真っ白になった手をこすりながら、ずれていたテーブルやイスを並べていく。カウンターにテーブル席が三つとさほど広くないので、そう時間はかからない。

 店内が整然さを取り戻したところで、ドアがガチャガチャと乱雑な音を立てて開いた。


「おお、寒いっ。おい、ソラ! はやく窓をしめて暖房つけろ!」


 入ってきたと同時に店長が大声で指示をする。ソラと呼び捨てられた少女は大急ぎで窓をしめた。今日は機嫌が悪そうだと心の中でため息をつきながら。


「なんでこんな寒い日に窓を開けてるんだ。バカなのか? お前とちがって俺は繊細な人間なんだ。風邪でもひいたらどうする」

「……換気のために開けていました」

「ふん。それならもっと早く来て換気しとけ。俺が来る前にはちゃんと終わらせるんだ」

「……はい」


 テカテカと脂ぎった顔はとても繊細そうには見えない。店長はでっぷりとした体を揺らしながら、ソラが掃除した店内を細かくチェックする。食器は洗い終えたし、掃除機もかけてテーブルもイスもきちんと並べている。なにも文句はないはずだ。


「おい、コレ。やってないじゃないか。ノロマめ」


 棚にしまってあるタグのついた酒の数々。その中からいくつかを取り出して、ソラの目の前にドンと置いた。


「え……。でも、それは店長の指示がないと勝手には」

「お前は指示がないと動けないのか? ハァ、使えねぇな〜。早くしないと客が来ちまうだろうが。さっさとやれ!」


 棚にあるのは客がボトルキープしてある酒だ。ソラはその酒瓶の蓋をあけると漏斗じょうごを使って店用のボトルに少し注ぎ入れる。


「その客は昨日、べろべろに酔っていたからな。もう少し減らしてもバレないだろう」

「……わかりました」


 店長の指示に従い、ソラは黙々と作業をこなす。悪いことだとわかってはいたが、それを指摘し逆らうことはできない。そんなことをすれば、たちまち職を失うからだ。


 数日前に、母が死んだ。この店でホステスとして働いていた母は、仕事帰りにはぐれ怪人に襲われて死んだのだ。ソラには他に肉親も頼れる親戚もいない。十四才で天涯孤独の身となった。


 現在、この星には地球人と、数十年前に地球侵略のため宇宙から襲来してきた怪人と呼ばれるものたちが生息している。

 怪人とひとくくりにいってもその種類はさまざまで、恐ろしいほど凶暴なものもいれば理性的でおとなしいものもいる。姿形もかわいらしいものから化け物のようなものまで千差万別である。

 それらさまざまな怪人たちを統括する組織はゲスミルと呼ばれ、首領のドンノゲスや幹部怪人たちの攻撃により、地球人たちは危機的な状況におちいった。

 しかし、地球人たちも一方的にやられているばかりではなかった。優秀な科学者たちが国境を越えて協力しあったのだ。捕らえた怪人たちを解析し、最新の科学力を集結して対怪人用の武器を開発していった。そうして誕生したのが地球防衛軍であった。支部ごとに精鋭部隊を配備し、この日本を守っていたのが五人の戦士たち、超撃戦隊 ケンゴウファイブである。

 彼らの活躍により、十年ほど前に首領たちは倒され怪人組織は壊滅した。

 残った怪人たちのうち、凶悪なものは戦隊により討伐され、理性的でおとなしいものたちは防衛軍の施設で保護されている。討伐対象ではないが、保護を拒んだ怪人たちは「はぐれ怪人」と呼ばれて、ひっそりと暮らしていた。そんなはぐれ怪人たちと友好を深め、やがて家庭を持とうとする地球人もいた。ソラのような半怪人はそのような経緯で生まれた存在なのだ。


 悲しみに浸る中でも腹は減る。もともと貧しい生活で貯金などなく、生きるためには働かなければならない。だが、若く、そして地球人の母と怪人の父との間に生まれた半怪人であるソラに社会は冷たかった。

 純粋な怪人とはちがい、半怪人であるソラの外見は地球人とほぼ同じであった。ゆるいみつあみをした頭から突き出た、ウサギのように長く白い毛で覆われた耳と淡い水色の肌を除いては。

 バイトの求人に応募するもその容貌だけでどこもかしこも門前払いだった。途方に暮れたソラは店長に頼みこんで裏方として雇ってもらっている。その給料が一般の賃金よりはるかに安いものだとしても。

 昔、父が「怪人とか地球人とか関係ない。みんな平等だよ。困った人がいたら助けてあげよう。優しさの輪が広がれば世界は平和になって幸せが満ちる」と言っていたのを思い出す。

 平等なんかじゃない、とソラは思い出の中の父に怒りをぶつける。誰だってこんな貧乏な半怪人は助けない。

「半怪人への差別はやめよう」とか「半怪人の子どもたちは被害者」などといったフレーズをよく聞くが、そんなものは偽善だ。

 父親自身、なにも悪いことをしてないのに正義の味方と称賛される地球防衛軍に捕まって戻ってこない。怪人という理由だけで父を捕らえた奴らが憎い。だが、母は奴らが取り締まるべき怪人に殺された。つまり怪人も憎い。そして自分はその憎むべき怪人の血が流れている。

 もう、なにを信じればいいのかわからない。


 いくつかのボトルから少量ずつ集めていき、ほぼ空だった店用のボトルに酒が満たされる。その琥珀色の酒から立ちのぼる香りは、仕事帰りの母の匂いを思い起こさせた。

 悲しみに心が揺れそうになったその時、店のドアが開いて春風のような空気がソラの頬を撫でた。


「こんにちは! 開店前のお忙しい時間にすみません。店長さんはいらっしゃいますか?」


 はつらつとした声で笑顔を向けながら入ってきたその女性は、この店にまったく似つかわしくなかった。

 細身のスーツを着こなし、清潔感のある薄化粧に、ショートカットの髪を片側だけ耳にかけている。眼力の強いきれ長の目と鼻筋が通った顔立ち、長身でモデルのようなスタイルの良さにソラは思わず見惚れてしまう。この辺りでは見かけない、仕事のできる大人の女性といった雰囲気を醸し出している。


「俺が店長だが。なにか用かい?」

「はい。本日は、弊社で取り扱う怪人保険のご案内に伺いました」

「怪人保険? なんだいそりゃ」


 店長は上から下まで値踏みするような視線を投げながら、パンフレットを受け取った。


「ここ最近とくにこの辺りでは、はぐれ怪人による被害が増えています。店舗や住居を破壊したり、人に危害を加えたりと、凶暴化が問題になっていますよね。そんな怪人によるすべての損害を補償する保険、それが怪人保険です」

「ああ、はぐれ怪人こわいよなぁ。もう少し早く来てくれたらなぁ。こいつの母親も数日前にはぐれ怪人に殺られちまったんだよ」

「お母さまが……。それはお辛いですね。お悔やみ申し上げます」

 

 女性は悲痛な面持ちでソラに向き直り頭を下げる。母以外からこんなに丁寧に接してもらったことがなかったのでソラはドギマギとして、うつむくことしかできなかった。


「人手不足のなか死んじまって、おまけにこんな使えない半怪人の娘をのこして。とんだ迷惑だぜ。ちゃんと保険かけてから死ねよって話だよなぁ」


 母の死を嘲る店長にたいして、ふつふつと怒りが湧いてくる。だが言い返すことのできない立場にソラは震えながら耐えるしかできなかった。


「……ロウ」


 それまでのトーンとちがい、低くぼそりと女性が呟いた。


「ん? なんかいったか?」

「いえ、なんでもありません」


 女性はにこりと笑顔を店長に向けるが、その瞳は笑っていない。

 店長には聞こえなかったようだが、地球人の十倍の聴力をもつソラには、さきほど女性が呟いた言葉がはっきりと聞こえていた。

「クソヤロウ」という言葉が。


「それにしても怪人保険、入ったほうがいいのかねぇ。ここにいる半怪人もいつ凶暴化するかわかんねぇしなぁ」


 ソラを見ながら嘲るような口調で「こわい、こわい」と腕をさする。


「それはまずないでしょう。半怪人のみなさんが凶暴化する確率は0.00001%にも満たないものだと防衛省も発表していますよね。ご存知ないですか?」

「ふん。知らないね。コイツが凶暴化しないっていうなら、そんな保険に入る必要はねぇな。まあ、アンタがどうしてもって頼むなら考えてやらないこともないが」


 店長が下卑た笑いを浮かべながら近づいて肩に手を置こうとした瞬間、女性は素早い身のこなしで店長をかわした。


「いえ。入りたいと自ら希望しないかたに無理強いはしません。それに、どうしてもあなたに入ってほしいわけでもないですし。それでは失礼します」


 店長は一瞬おどろいたように目を見開いたあと、顔を真っ赤にさせて怒鳴りつける。


「なんだぁ? その態度はっ! さっさと出ていけ!」


 手に持っていたパンフレットをグシャグシャと乱暴に丸めると女性めがけて投げつけた。が、またもやヒラリとかわされて悔しそうに地団駄を踏んでいる。

 来たときと同じように彼女がドアを開けると、春風が桜の花びらを運ぶように再びソラの頬をかるく撫でた。彼女はソラと目が合うと軽く会釈をして去っていった。




 夜になり、客とホステスたちの笑い声や歌声で店内は賑わいを見せている。その賑やかさから外れた厨房でソラはひとり、グラスを洗ったりつまみを作っている。

 出来上がったつまみをカウンター越しにホステスに渡そうとしたそのとき、ソラの耳に突如、爆発音のようなものが聞こえた。それから瓦礫が崩れるような音、人々の叫ぶ声。外でなにか危険なことが起きている、と確信するのに時間はかからなかった。


「店長、外の様子がおかしいです! この場所は危険かもしれません」

「危険だって? まさかさっそくはぐれ怪人でも暴れてるってかぁ?」


 ざわつく店内で神経質そうな客がドアを開けると、そこにはまるで別世界のような光景が広がっていた。

 店の向かいに立つビルに、大きな丸い穴があいていた。信じられないことに、とてもきれいな正円だった。そして、驚くことにその丸い穴は、奥のビル、さらにその奥の店舗を貫通し、まるでトンネルのように見えた。

 あちこちで火の手があがり、怒号が飛び交い、わけもわからず逃げまどう人たちの姿も見える。

 その光景を見た店長をはじめ、客やホステスたちが悲鳴を上げて一斉に出口へ殺到し逃げていく。

 厨房にいたソラも少し遅れて外へ出る。店の外にあるのはまさに地獄だった。ケガをして動けない人々のうめき声。助けを求める手を払って逃げる者たち。

 やはりこの世界では、優しさの輪なんてどうやったって生まれやしない。父のいったことは綺麗ごとでしかない。

 誰もが自分の身を守ることでいっぱいで、他者を踏みにじってでも生き延びようとする地獄の世界だ。

 幼い姿のソラがそう父に反論する。だけどそれでも、と父は優しくソラを抱きしめた。その温もりはたしかに今もソラの心を癒やすのだ。


 ソラは助けを求める人に走り寄って抱き上げると、安全と思われる場所へ移動させる。小さい体ながら地球人より筋力のあるソラにとって、大人ひとりを抱き上げることはたやすかった。

 まわりに火の手があがっていない、比較的被害の少ない建物のそばにケガ人を集めていく。こんな状況で本当にそこが安全かはわからなかったが、少なくとも火のそばにいるよりはいいはずだ。

 服を割いてケガ人たちの止血をしたり、簡単な手当てをしているソラの後ろでまたも大きな爆発音がした。

 振り返ると頭に大きな一本角を生やした一つ目の怪人が立っていた。信じられないことに、さきほどまでソラが働いていたあの店が跡形もなく消え、丸い空洞がただそこに存在していた。

 獲物を探すように怪人がまだ無傷のビルの方を向く。一つ目が大きく見開かれ、輝きを増したかと思った瞬間、光線を放ちそばにある建物に穴をあけた。


「ひっ……! 一つ目の鬼だっ」


 手当をするケガ人たちから怯えたような声があがる。

 血のように真っ赤に染まった肌、盛り上がった筋肉、二メートルはありそうな大きな巨体、ギョロリとした一つ目は空想上の鬼にそっくりであった。

 血走った一つ目がこちらを見据え、やがてゆっくりと近づいてくる。

 脳裏に「死」という文字がよぎる。目の前に迫る圧倒的な暴力の塊。

 経験したことのない恐怖にガチガチと歯が音を立てて震える。

  怪人が再びその目を大きく見開いた。輝きを増しはじめたそのとき。


「ガアアァァァァッ!」


 突然、怪人がもんどりうって倒れこんだ。そして顔を手で覆い、痛みをこらえきれない様子で叫び続けている。よく見ると瞳の中心になにがが刺さり、青い血を流していた。

 そしていつの間にか、怪人とソラたちの間にスラリと背の高い人が立っていた。黒縁メガネで上下グレーのスウェットを着て、ボサボサの短い髪には寝癖がつき、しきりにその部分を撫でている。


「まさか、ここまで派手に暴れまわるとはね。アンタは山奥でおとなしく暮らしてるはずじゃなかったか?」

 

 その人は怪人に向かって話しかけた。パッと見て男性だと思っていたが、どうやら女性のようだった。そしてその気の強そうな声は、聞き覚えのあるものだった。


「怪人保険のお姉さん?」

「きみは……。ああ、あのクソヤロウの店の子か」


 店に営業に来たときのイメージとの違いに驚く。が、それ以上に驚くのは彼女が怪人を攻撃し、苦しませているという事実だった。


「おっと、あまり苦しませすぎてもかわいそうだ。アイツを始末する。あんたらには刺激が強すぎるかもしれないから、目をつむってな」


 彼女はそういうと怪人に近づいていく。目をつむれといわれてもソラは彼女から目を離すことはできなかった。あの凶暴な怪人を半怪人の自分よりも非力なはずの地球人が簡単に始末するだなんて信じられなかった。

 倒れ込み、苦しそうに目を抑えている怪人の首になにかを巻き付けたかと思うとグッと両手を引いた。すると、それまで呻き続けていた怪人の声が消え、続けて首がゴロリと落ちた。


 怪人の首から勢いよく血しぶきが飛び、女性のスウェットを青く染める。彼女は「あーあ」とため息をつきながら、再びソラたちの方へと歩いてくる。

 そうして、身を寄せ合うケガ人たちのひとりに向かって笑顔を向けて話しかけた。

「山川さま、お怪我の程度はいかがでしょうか?」

「あっ、暮里くれさとさん?! え、ええ、足首のあたりを瓦礫に挟まれたせいで痛みますが……。この子が瓦礫を取り除いてくれたので助かりました」


 山川、と呼ばれた女性がソラに向かってありがとうとお礼の言葉を口にした。

まわりのケガ人たちも次々にソラに感謝の言葉を伝えてくれる。


「そうでしたか。それは良かったです。のちほど書類をお送りしますので、病院にかかられましたら、治療にかかった費用など記載してご返送ください。それでは失礼いたします」


 山川にそう告げると暮里と呼ばれた女性はそのまま立ち去ろうとする。スウェットに染みついた血を気にしながらソラの横を通り過ぎた彼女の後をあわてて追いかける。


「あのっ、すみません! 助けてくださってありがとうございました!」


 そう声をかけると、暮里はなんともめんどくさそうな顔で振り返った。


「別にきみのことを助けたわけじゃない。私は怪人保険を契約してくれた山川さまを助けに行っただけだ。きみたちは山川さまのオマケでたまたま助かった。だから礼は不要」

「オ、オマケ?」

「保険の契約者が万が一、怪人の攻撃で亡くなってしまったら多額の保険金を払わなければならない。そうならないように私は先ほどのように怪人を倒している」

「待ってください。それじゃ、もしあの場所に保険の契約者がいなかったら……」

「そう。私はわざわざ出向かなかった」


 冷たく言い放つ暮里にソラの心は失望と怒りで満たされていく。


「あなたほどの力があれば、多くの人を救えるのに?! どうしてそんな冷たいことをいうんですか!」


 怒りをぶつけると暮里は口を歪ませて小さく笑った。それからすぐ真顔になると鋭い視線をソラに向けた。


「助けを望まない人を救ったって、そんなのは正義の押しつけにしかならないだろう」

「命の危険がせまっているのに助けを望まない人はいないでしょう?」

「いるさ。現にきみのとこのクソ店長は保険を勧めても入らなかった。つまり怪人に襲われても構わないってことだろう?」

「そんな……。うまくいえないけど、その考えはおかしいと思います! わたしがあなたの立場なら、みんなを救いたい!」


 ソラが啖呵を切ると暮里は心底おかしそうに声をあげて笑った。


「私が助けない人々を救いたいというなら、やってみるといい。きみは半怪人だし、地球人よりも身体能力が上だろう。保険の契約者も増えて人手も足らなかったし、うちで働かないか?」


 怒りの感情をぶつけたのに暮里はそれを笑って受け流し、さらには雇うといいだした。突然の提案にソラは面食らったように言葉に詰まる。


「怪人と戦ったりするなんて無理です。身体能力が上っていっても地球人よりも少し力が強いとか、足が速いとかそんな程度ですし」

「上出来さ。それに、きみに戦闘は求めていない。そうだな、とりあえず最初は見習い期間ってことで時給二千円でどうだ?」

「時給が……二千円ですか……?!」

「ああ。もちろん慣れてきて仕事がこなせるようになればもっとアップする。週休二日、一日の実働時間は六時間ほどだ。悪い条件じゃないだろう?」


 悪いどころか、信じられないほどの好条件にソラはめまいを起こしかけた。

 半怪人でどこにも雇ってもらえないという弱みを握られ、いままで時給六百円という低賃金でさんざんこき使われていたのだから。

 こんな条件は喉から手が出るほど魅力的だった。だが、怪人の血を引く自分が怪人を倒す手助けをしていいのだろうか。

 それにこの暮里のこともいまいち信用できなかった。初めて見たときは仕事の出来そうな、美人で清潔感のある大人の女性だと思っていた。だが次にあったときはボサボサ頭で無愛想、怪人を簡単に倒すという得体のしれなさにソラは素直に「はい」ということができなかった。


「あの、具体的にどういった仕事をするのかわからないので、数日間だけでも見学させてもらえないでしょうか?」

「ふむ。まあ、いいだろう。この名刺の場所においで」


 差し出された名刺には「ローズ保険事務所 所長 暮里一織くれさといおり」と書かれていた。


「暮里一織だ。所長をしているが、人手が足りないので営業でも雑用でもなんでもやる。他に事務を担当するものと二人だけの小さな会社だよ」

「あ、えっと、谷中やなかソラです。よろしくお願いします」

「明日の十時に来てくれ。待ってるよ」


 じゃあ、と手を軽く振ると、そのまま夜に紛れるように彼女は去っていった。

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