第30話


 母親に帰るのが遅くなると連絡を入れれば、叶ちゃんの家?と返事がくる。

 きっと家族にとって、夢実は叶と一緒にいるのが当たり前になっているのだ。


 以前まではその相手は撫子だったけれど、今はあの子と一緒にいる時間が一番長い。


 しかし、今日は違うのだ。

 放課後になって待ち合わせ場所へ向かえば、すでに大崎ココナの姿がある。


 マスクをつけて変装しているけれど、スタイルが良いために一般人ではないのがひとめでわかる。


 「ココナさん」


 名前を呼べば、ココナがパッと顔を上げる。

 マスクをしているけれど、目尻が下がっていて笑っているのが伝わってきた。


 練習生としては後から入ってきた彼女だけど、年が近いということもあって親しくしていたのだ。

 久しぶりに顔を見合わせて、懐かしさとともに時の流れを感じる。


 2人で訪れたのは駅前のカフェで、夢実は甘いカフェラテを、ココナはアイスココアを注文する。


 「この前はすみませんでした。せっかく誘ってくれたのに……」

 「いいの気にしないで?それより久しぶりに夢実ちゃんに会えて嬉しい」


 優しい言葉にホッと胸を撫で下ろす。

 レッスンが忙しかったため、彼女が練習生を辞めてからはどんどん接点がなくなっていったのだ。


 時間が経った今も、変わらずに接してくれるココナの存在に癒されてしまう。

 

 「ココナさんも大活躍ですよね。この前も青年誌の雑誌の表紙に載ってました」

 「知ってくれてたの嬉しい!ひさしぶりに撫子ちゃんにも会いたいし、今度よかったら4人で会わない?」

 「4人って、あとひとりは叶ちゃんですか?」


 そうそう、とココナが頷いてみせる。


 「彼女持ちをデートに誘うのは悪いから、だったら4人で遊んだら楽しくない?」


 すぐに二つ返事はせずに、「叶ちゃんに聞いてみます」と答える。


 ココナや撫子は楽しいだろうけど、彼女たちと接点がない叶はどう思うだろう。


 見知らぬ人と遊んで楽しいと思うかどうかは人それぞれなため、勝手に決めるべきではないと考えたのだ。


 



 一年も会っていなかったなんて感じられないほど、ココナとは楽しいひと時を過ごすことが出来た。


 明るい性格の彼女は話がうまく、話していて面白いのだ。

 彼女と別れてからはまっすぐに家に帰らずに、一度叶の住むマンションへ。


 動画をチェックして欲しいと言われて、ここまで足を運んだのだ。


 エントランスについてから、普段だったら気にしないのにも関わらず、手鏡で前髪を直していた。


 手櫛で整えていれば、低い声で名前を呼ばれて顔を上げる。


 「あれ、天口さんだ。偶然ですね」


 また彼か、と胸が嫌な音を立てていた。

 どうしてここにいるのかと、絶対に聞かない方が良いことを尋ねたくなる。


 あのシトラスの香りが鼻腔をくすぐって、顔を顰めてしまいそうになった。


 叶の部屋で嗅いだときは、良い香りだと思ったくせに。


 「……目白さんはここに住んでるんですか?」

 「あんまり広めないでくださいね。まあ週刊誌とかにはバレてるんですけど」

 「え……」

 「そういうものですから。じゃあ、これで」


 去っていく目白圭の背中を見送りながら、もしやと嫌な可能性を思い浮かべていた。


 そんなはずないと思いたいけれど、否定できない。


 芸能人同士の恋人が同じ部屋に住むのはリスクがある。

 デートなんてもってのほかで、同じマンションに住んでお家時間を楽しむカップルが多いのだ。


 「……ッそんなわけないよね」


 もし、叶が目白圭と付き合っていたとして。

 夢実はそのカモフラージュだとしたら。


 そんなはずない。

 叶はそんなことするような子じゃない。


 そうやって、必死にその可能性を否定しようとしている自分に戸惑っていた。





 こちらの心情なんて知らないあの子は、笑顔で夢実を迎え入れてくれる。

 だけど部屋に入ればあの香りがしていて、こちらの気持ちはさらにグチャグチャに掻き乱されるのだ。


 「夢実さん、今日は遅かったですね」

 「……ココナさんとお茶してたから」


 普段よりもぶっきらぼうに答えてしまう自分が嫌だ。


 そんなはずないと思いたいけれど、もしかしたらと考えて、冷静さを保てなかった。


 一瞬だけ、彼女の顔を見る。

 以前キスをした時あんなに怒っていたのは、目白圭と付き合っているからなのだろうか。


 二度目のキスをあちらからしてきたのも、実は慣れていたから、たいしたことなかった。

 そんなことを色々と考えてすぐに、叶は恋愛経験はないと言っていたことを思い出す。


 嘘をついてるなんて思いたくない。

 思いたくないけれど、気づけば口から嫌な言葉が飛び出していた。


 「……叶ちゃんって本当に恋愛経験ないの?」

 「どうしてですか?」

 「……この前キスした時、すごく自然だったから……」


 おかしそうに叶が笑ってみせる。


 「ドラマや映画でいずれはキスシーンを演じることもあるだろうからって、研究はしてました。角度とかどれくらいの力加減なのかって考えてましたよ」


 そういえば、そうだった。

 この子は天才女優で、演じようと思えばいくらでも夢実を騙せるだろう。


 だめだ、どんどん深みにハマっていく。


 「どうかしたんですか?」


 顔が近づけられたら、いやでもあの時のキスを思い出す。


 同時に目白圭の顔も脳裏に浮かんで、どうしてか泣きそうになるのだ。


 「……別になんでもないよ」

 「けど今日の夢実さんどこかおかしいです」

 「なんでもないってば」


 ぶっきらぼうに答れば、叶が眉間に皺を寄せた。


 「そんな態度だと困ります。これから恋人として撮影するんだから」

 「そうだよ、私たちって所詮ビジネスだから……」


 自分で言って、ハッとする。

 胸がジクジクと痛んで、結局は偽りの関係でしかない事実を思い知らされていた。


 「……仕事だと思って割り切ってください。何に不機嫌なのか分かりませんが、視聴者を第一に考えて」


 コクリと頷きながら、こういうところにプロ意識の差を感じていた。

 叶は誰もが認める天才女優だった。


 その覚悟と意識の差をまざまざと見せつけられたような気がしたのだ。


 「あ……」


 自分で言って後悔をするなんてバカみたいだと思いながら、どうして叶までそんなに悲しそうな顔をしているのだろうと不思議だった。

 

 だけどきっとそれも気のせいだろうと、見て見ぬふりをして別の話題を持ち出していた。

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