第2話 九人の部下たち

「最悪だ最悪だ……」


 王宮からシュヴァルツ卿――ジークハルトが逃げ出して数刻後。

 彼は王都の一際薄暗い場所を深くローブを被り歩いていた。


 ここは「王都の影」と揶揄されるスラム街。癒着や賄賂に満ち溢れた王宮の一番の被害者たる場所。

 じめじめとしており、誰かの食べかすか散乱し、鼻が曲がるような悪臭に満ちていた。


「ジークハルト様」


 ぼやきながら歩くジークハルトの影から現れるように、一人の少女が姿を見せる。

 ジークハルトと同じ漆黒の髪を肩の上で綺麗に揃え、切れ長の目からは冷酷な印象を受ける。鋼のような鉄仮面の表情も、その印象を深くしていた。


「サリヤか」

「はい。王宮で何かありましたか。予定よりもお早いお帰りですが」


 少女――サリヤはなんの表情も読み取れない声色でそう言った。

 しかし、彼女との付き合いが長いジークハルトには、彼女の瞳から僅かな心配の色を読み取ることが出来た。


「……クビになった」

「は?」

「俺のような鼠野郎はもういらないようだ」


 ジークハルトの言葉で、サリヤの仮面が外れ唖然とした表情に変わる。

 だがそれも一瞬、すぐに元の無表情を繕う。

 最も、ジークハルトには彼女の分かりづらい顔から怒りの表情が見て取れたが。


「……馬鹿な王にも阿呆な貴族にも困ったものです。今までのジュラ王国はジークハルト様あってのものだというのに」

「……ま、あそこには馬鹿と阿呆しかいないってのは同意だ」


 ジークハルトもサリヤも、この国に愛国心はない。

 サリヤが頭を垂れる人物は自分の主たるジークハルトのみであるし、ジークハルトがジュラ王国に仕えていたのは祖父の代からこの国に仕えていただけのこと。

 もしかしたら心の淵には愛国心が僅かにあったかもしれないが、先程の死刑宣告でそれも跡形もなく消えただろう。


「それでな、俺は今指名手配の身だ」

「……どういうことです?」

「退職と同時に死刑も通告されてな。もうこの国にはいられない」

「あの蛆虫ども……。少々お待ちを、処してきます」

「待て待て待て」


 今度は誰でも理解できるほど分かりやすく顔を真っ赤にするサリヤを、ジークハルトは引き留める。


「死刑にされたのは俺だけだ。王や貴族たちは誰もお前たちの顔や名前すら知らない。だから――」


 お前たちはここで生きろ。そう言い終える前に、サリヤが口を開く。


「例えどこへでも、私は貴方様と共にあります」


 サリヤは毅然とした態度でそう言い放った。


「俺は死刑の身だ。俺と一緒にいればお前も危ないぞ?」

「承知の上です」

「きっとこの国には帰ってこない。一応、お前の故郷だろ?」

「確かにそうかもしれませんが、私がいるべき場所はジークハルト様がいる場所です」

「これから何が起きるか分からない。お前はそれでも――」

「ジークハルト様」

「……!」


 ジークハルトは気付いた。

 彫刻のような無表情のサリヤの目に僅かに涙が浮かんでいることを。


「……分かった。じゃあ、これからも俺に付いてきてくれるか、サリヤ」

「はい。喜んでお供いたします。我が主よ」


 両者は顔を見合わせ、まるで仲の良い友達のように笑い合うと、止まっていた足を再度動かし始めた。


「俺とお前はこの国から出ると決めたはいいものの……。あいつらにもこの話はしないとな」

「そうですね。恐らく、私と返答は同じだと思いますが」

「そうかぁ……? とりあえず、さっさとセーフルームに行くか」


 サリヤを引き連れたジークハルトは、スラム街の更に奥へと歩き続ける。

 幾度も曲がり、時には塀を乗り越え、最早光が届かないかと思われるその場所で、足を止める。

 そこにあったのはただの壁。だが、ジークハルトはそのある一点を不規則なリズムで叩く。


『あぁ~? 誰だ?』


 すると、陰の向こうから低い女性の声が返ってくる。

 その返事にサリヤは肩を竦め、ジークハルトは語気を少し荒げる。


「ディートリンデ。ここでは合言葉を使えと何度言ったら分かるんだ?」

『おぉ! ジーク様か。ちっと待っててくれ!』

「はぁ……」


 少しも反省の感情がこもっていない声と共に、扉の向こうからギギギと、何か重い物が引きずられるような音が鳴る。

 ジークハルトとサリヤが待っていると、壁から人が一人通れるほどの隠し扉が現れた。


「よっ! 待ってたぜ、ジーク様!」


 先ほどと同じ声と一緒に姿を現したのは、長身の女性だった。

 燃えるような赤く長い髪を無造作に腰まで伸ばし、天真爛漫という言葉をそのまま形にしたと思えるほど活発な表情。

 腰に二振りの長剣を差す女性――ディートリンデは人懐っこい笑顔でジークハルトとサリヤを出迎えた。


「ディートリンデ、お前な……」

「早く会いたかったぜ、ジーク様! 城での仕事はもう終わったのか?」

「…………」


 小言の一つでも言おうとしたジークハルトだったが、犬の尻尾があればぶんぶんと振っていそうなディートリンデの様子に、思わず毒気を抜かれてしまう。


「はぁ、もういい……。お前たちに話がある。行くぞ」

「おう!」


 ディートリンデに先導される形で、ジークハルトは扉の中へ入る。

 尻目にサリヤが隠し扉を閉める姿を確認し、奥へと歩みを進めた。

 そこは薄暗い部屋だった。短い廊下をみしりみしりと嫌な音を立てつつ歩くと、少し開けた場所に出る。


 部屋の四隅におかれた松明のお陰で廊下と比べ明るい部屋に入ったジークハルトの視界に真っ先に映ったのは、白い煙だ。

 二十年程前から他国からジュラ王国に伝わった嗜好品、煙草のものだった。

 煙が目に染みる程吸うのはどうにかしてくれと文句の一つも言いたくなったジークハルトだが、自分も愛煙家である手前口を閉ざす。


 部屋の真ん中に置かれるのは長方形の長机。灰皿と酒、盤上遊戯が並ぶその机の周りには十脚の椅子。

 その内七脚の椅子は、全て埋まっていた。

 椅子に座る者は全員女性だが、人族、獣人、ダークエルフ、魔族など様々だった。


 彼女たちは部屋に入ってくるジークハルトを視認すると、思い思いに口を開く。


「あ、おかえり。ジーク君」


 銀髪の髪に犬のような耳と尻尾を持つ犬人と呼ばれる少女。

 彼女は小さい身体に纏う鎧を揺らしながら、ジークハルトの帰還を喜ぶ。


「ご苦労様でしたわね」


 貴族令嬢もかくやといった艶やかな金髪を巻き、上品な顔を持つ美少女。

 彼女はちらちらと横目でジークハルトを見つつ、髪を無造作に弄んでいた。


「…………」


 長い耳に、褐色の肌、無造作に伸びた白い髪。

 ダークエルフと呼ばれる彼女は、無表情に僅かな喜色を滲ませ部屋に入ったジークハルトを見つめていた。


「ジークハルト様、おかえりなさい。お腹は空いていませんか?」


 紫色の髪から、竜のような角が見えている。背中と腰には爬虫類のような翼と尻尾を持つ竜人族と呼ばれる女性。

 豊かな双丘を持ち、包容力と慈愛に満ちた彼女は、料理器具を両手にジークハルトを出迎える。


「おかえり~。待ってたよ」


 緑色の髪を肩の少し下まで伸ばした、少年のような活発さも表情に混じる女性。

 松明によって明るいはずの部屋にいるにも関わらず、彼女の顔ははっきりと見えない。


「あぁ、神よ。本日もかの者が無事であること、感謝いたします」


 美しい金髪を持ち、聖職者のような服に身を包んだ聖女という言葉が浮かぶ糸目の女性。

 彼女は手を組み、己が信仰する神に感謝を述べる。


「帰ったか。よい時宜に帰ってきたの。魔道具の事で聞きたいことがあるんじゃが」


 紺色の髪を持つ、長身の女性。そのこめかみからは羊のように前に突き出す角が見えている。

 古めかしい言葉を使う彼女は、ガラクタにも思えるなにかを持って、視線を交わさずにジークハルトを呼びつける。


 容姿も言葉も、種族も別々な彼女たちだが、皆が皆端正な美しい顔を持つという点では一致していた。

 そして、全員がジークハルトの帰還を歓迎していることも。


 本来であれば全員に返事を返すジークハルトだが、今日は違った。


「座れ、サリヤ、ディートリンデ」

「はっ」

「お、おう。なんかあったのか?」

「今から説明する」


 いつものジークハルトと違う雰囲気に、騒がしかった七人も黙り彼を注目する。

 全員の視線が集まったタイミングで、ジークハルトは口を開いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る