シロクロ

がみ

Prologue

執行人

 薄暗い空間に煌びやかな照明が所々を照らし、周囲の様子は見えづらい。その視覚情報に反して大音量の音楽が耳をつんざいた。赤色のソファーがテーブルを囲うように配置され、半個室の島が暗闇の奥までいくつも続いている。


 露出度の高い服装の女と、ビジネスマンのものではない派手なスーツやアクセサリーを身につけた男が隣り合って座り、お酒を飲む。たった一本のボトルで数百万円が動くこともある世界で、惜しみもなく注文を繰り返す者は盲目に応援する人をトップに昇らせるために必死の思いだ。女は話術と美貌で男を虜にし、男は洗脳されたように酒を飲み続ける。


 しかし、中には違う目的でこの場所に居座る者がいる。



 「ちょっと高い酒入れちゃうおうかな」



 青いスーツを身に纏い、金のネックレスと腕時計をつけた茶髪の若い男が隣に座る露出度の高いドレス姿の女の耳元で囁いた。彼の隣には、もうひとりスーツ姿の若い男がいて、その反対側には別の女がいる。



 「いいんですかー? 嬉しいですー!」


 「その代わり、この後いいよね?」


 「いいですよ。一緒に楽しみましょう」



 女は近くにいたウェイターに男から受けた注文を伝えた。その一本で数十万円はするであろうボトルを入れてもらうためなら、客の要望に応えることもいとわない。そして得たお金でまた、別の男に貢ぐ者もいる。


 煌びやかなこの空間のいる人間はみな、決して綺麗な人ばかりではない。



 「ちょっと、お邪魔しますね」



 ボトルが入って盛り上がろうとしているテーブルにひとりの男が突然乱入した。そっと女の隣に座った男は、顔が見えないように左半分が白、右半分が黒で真ん中で色がグラデーションに混ざる仮面を被っていた。



 「なんだよお前?」


 「ちょっとお兄さんに用があってね。名前はレンくんだっけ? それと、下っ端のタクくん。お話を」


 「ふざけんな。今いいところなんだよ」


 「この後、この綺麗なお姉さん連れて仲よくするのか。いやー、羨ましい。でもねお姉さん、こいつやめといた方がいいよ? ぼったくりのバー連れて行かれて逆に金取られて、払えなかったら別の店で働かせるようなクズだから」



 男の言葉に反応した女は先ほどまで羨望の眼差しで見ていた隣のレンを軽蔑するような目で見た。その態度の変わりように乱入した男は笑う。女を挟んで偉そうに足を組んでいる彼は殺意を込めた目で笑う仮面の男を睨みつけた。



 「てめえ、俺に喧嘩売ってんのか?」


 「事実を伝えただけ。それじゃ、お邪魔しました」



 最後に嘲笑を残した男はソファを離れ、足早に店の出口に向かった。その背中を見失わないうちに、ふたりの男は立ち上がる。



 「さっきのボトルはキャンセル」


 「ちょっと! どういうこと?」


 「うるせえ、放せ!」



 態度が豹変したレンが袖を掴んだ女を振り払った。その怒号に周囲の客の注目が集まり、ふたりは逃げるように店から出た。


 目的はあの男。絶対に逃すわけにいかない。夜の街を歩くその背中を見つけると、目的の男はすっと細い路地に入った。


 一方的に喧嘩だけ売って逃げるつもりらしい。そんな腰抜けなら最初から喧嘩など売ってくるな。



 「おい、やっちまえ」


 「はい」



 仮面の男の背後まで近づいたとき、彼は振り返ってこちらを見た。仮面越しにもわかる。笑っているその顔を、こちらに向けて。



 「あんたらやりすぎやわ。いくつも依頼があったおかげで、こっちは儲かって感謝してるけど」


 「何を言ってやがる。おい、やれ」



 レンが一緒にいるタクに指示を出すと、タクはじりじりと歩みを進める。挑発を繰り返した男はその姿を微動だにせず見ているだけだった。


 瞬きの刹那、殴りかかったタクは壁に頭をぶつけ地面に転がった。



 「うわ、今のは痛そうやなー」


 「お前、何もんだよ!」



 怯えた表情で逃走する態勢になっているレンが問いかけた。下っ端がやられて逃げようなんて、卑怯にも程がある。



 「ってか、レンくんはタクくんより強いんやないの?」



 男はマスクの下で口角を上げたまま、逃げ出したレンの背中に飛び蹴りをお見舞いした。体勢を崩した彼は、無駄に派手な青いスーツを汚れた地面に擦り付けて転がった。高級な腕時計にも傷がついたようだ。



 「あ、ごめん。そこまで派手に転けるとは思わんかった」



 まだ意識があるレンは、完全に追い詰められた小動物の眼差しでこちらを見ていた。その瞳に戦意はすでになく、命乞いをするように口をぱくぱくさせる。


 そんな目で見られるとこちらが悪者みたいになるから気分はよくない。でも、これまで被害者に与えた苦痛の分少しばかりは苦しんでもらわないと。


 男は警棒を取り出して、男の首を殴った。痛みはあるだろうが、すぐに気絶できて必要以上に苦しむことはない。



 「さて、あとは任せようっと」



 男は警棒を収納して細い路地から出た。そこはすでに表の世界で、一歩踏み込んだら悪が眠っていることなど誰も気づかない。


 もう少ししたら、警察が来る。本来なら感謝状をもらってもいいくらいの働きだと思うのだが、それは体裁上できないだろうし、報酬があるだけよしとしよう。


 これで執行人としての任務は完了だ。


 大きく背伸びをした男は仮面を外して駆け足で夜の街を駆け抜けた。もうひとつの仕事の出勤時間が近づいている。


 遅刻したらあの人はうるさいから、絶対に間に合わせないと。

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