第2話 藁か靄か



 翌朝、いつも通り出社して席についたおれは昨夜の夢のことを思い出していた。

 やけに鮮明に思い出せる夢だった。

 夢のなかでも仕事をするとは、なんて殊勝なサラリーマンなんだと思われるかもしれないが、中身を聞けば評価は一気に逆転する内容だ。

 一刻でも早く忘れ去りたい話だったが、この時はどうしても内容が気になってしまった。

「ABC商事の見積・・・。」

 先日作成した見積書を開き、金額を確認する。

 ・・・夢の通りだった。

 金額が一桁少なく、このまま発注がきてしまえば会社に大きな損害を与えてしまう。

 体が強張って熱くなり、慌てて見積書を作り直した。




 もしかしたら手遅れかもしれないと嫌な汗をかきながらメールと電話で先方へ連絡を取ったが、丁寧に謝りながら懇願した甲斐もありなんとか事なきを得た。

 いわゆるヒヤリハットで何度も経験したことがある出来事だったが、その過程はなんとも不思議なもので奇妙な感覚に陥った。

 予知夢というやつだろうか。

 確かにあのまま気が付かずに放置していれば、もうじきABC商事から発注がきて金額訂正ができずに赤字で仕事をすることとなり、部長からは連日の大目玉、夜遅くまでその不始末の対応を迫られるのは必至だった。

 未来さえわかれば・・・。

 そう願ってやまなかったが、それがたまたま予知夢という形で現れたということか。

 そう思うと少しだけ高揚感を覚えた。

 昨夜はいつも以上に強く念じたこともあってか、自分にはその力があるんだという錯誤的な認知を一瞬持ってしまった。

 子ども時代に持ち合わせていた、一種の幼児的万能感が蘇った気分だ。

「・・・はあ。」

 そこまで考えて、ふと冷静になる。

 追い込まれた人間が、藁にもすがるような思いで行き着く最後の思考回路ではないか。

 本気を出せばどうにかなる。

 その気になれば未来がわかる。

 ・・・落ち着け。

 おれはそこまで窮地に立っていないはずだ。

 昨日は弱気になっていたが、ミスをして叱られるなんていつものことじゃないか。

 たまたまだ。

 たまたま嫌なことがあっていつも以上に強く未来が知りたいと念じて、たまたまその日の夜に夢を見て、たまたまそれが正夢となって、たまたまそれを覚えていたおれが事故を回避した。

 偶然に偶然が重なったら信じたくもなるだろうが、甘えは捨てろ。

 試しに、今夜も念じてみよう。

 それで証明すればいい、予知夢なんてあり得ないことを。





 もちろん、期待はしていた。

 甘えは捨てろなんて自分を律していたつもりではいたが、結局のところおれは昔から甘えてばかりのいい加減な男で、自分の脳が見せる夢想に救いを求めるようなどうしようもない甘ちゃんなのだ。

 そんな男が救われるわけもなく、結果とは努力や研鑽によってのみ導かれる現実なのだと、淡い期待を幾度となく打ち砕かれてきたではないか。

 希望と絶望を繰り返しつつもかろうじて生きていく。

 その覚悟が決まっていたはずだった。

 はずだったのだが・・・予知夢とはあまりにも、希望の光が強すぎた。

 もう一度、もう一度だけでも。

 そう考えて浅い眠りのなかおれが見た光景は・・・。

 ドンッ!

 と、鈍い音を立てて車に轢かれる自分の姿だった。

「・・・洒落にならないだろ。」

 さすがに飛び起きた。

 いや、まだ信じたわけではない。

 しかし仮に本当に予知夢だとするならば、おれは死ぬのか?

 鳥肌が立つ。

 これは高揚感からか、それとも得体の知れないこの不気味さからか。

 あるわけがないけど、一応試してみるかくらいの気持ちで藁に手を伸ばした程度の感覚だったが掴んだのは実体のない靄だった。

 なぜ実体がないのに掴めたと認識できているかはわからない。

 だが、直感的に感じた。

 今、この靄は確かにおれの手の中にある。

 そして確かめなければならない。

 この靄が、おれを引っ張ってくれる決して千切れない救いの糸なのか。

 はたまた限界を迎えた俺の脳が生み出したただ文字通りの空気なのか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る