第二章 言葉に頼らないアドバンテージ #1

 部活の昼休み、僕は学校の屋上、不良みたいに柵に背を預けて座り込み、パンを食べていた。濃厚なバターの風味とフルーツの酸味香る、母がちゃんとしたパン屋で買ってきたパンだ。これもきっちり父の分もある。捨ててしまえれば楽なのに、僕にはそんな胸くそ悪いことできなかった。

「こんなところにいた」

 振り返って、僕はぎょっとした。トロンボーン平林が上ってくるところだった。この校舎の屋上は、階段で繋がっておらず、上がるには点検用のハシゴを使うしかない。

「よくわかったね」

「去年の学校合宿で先輩がたむろしてたな~、って思ってさ」

 僕も同じ発想でこの場所に思い至ったのだ。

「呉は?」

「ピアノ弾いてる」

 音大受験にはメインの楽器以外に、ピアノの技術もある程度必要らしい。なんて大変なんだと思うけど、ユーフォニウム呉は自分の夢のために頼れるものには頼りまくっていて、そういう意味では恵まれている。

 平林は僕の目の前で弁当を広げながら、言った。

「なんか伊庭、最近ぼーっとしてるな」

「……そう?」

「あまりにもそうすぎるだろ。こんなとこでひとりでメシ食ってるし。安藤が部活来なくなったあたりからだ」

 思ったよりもしっかり観察されてて、僕は恥ずかしくなる。

 平林の言うとおり、数日前から安藤は部活に顔を見せていない。無断欠席だった。以前から休みがちではあったので、この夏で辞めるんじゃないかという的を射た噂が出始めている。

 この欠席が、僕が先日、たまたま排水口から覗き見してしまった一幕が影響しているのかはわからない。あの母親の言うとおりにしたのか、トランペットをボコボコにして呵責に苛まれているのか、他の要因があるのか。

 他にもいろいろある。母の病状は相変わらずだし、僕のソロはフラフラしてるし、黒野のことを考えてしまう。僕はCPU稼働率は常に九割を超していた。

「……もしかしてさ」

 物思いに耽りながら、パックのミルキーな飲み物を飲んでいる僕に、平林が大真面目な顔をして言った。

「安藤とお前って付き合ってた?」

「は? どこに目ついてる?」

「態度変わりすぎだろこえーよ」

 うっかりそれ用の人格がでてしまった。平林はすすっと僕から距離を取る。

「いや、一年の時、お前らすげー仲良かったじゃん。でも、コンクールの曲決めあたりから見るからに空気悪くなってさ」

「それが別れたからって? 違うよ、単にコンクール曲のことで安藤とモメたからだよ」

「え? ソロの件ってみんな納得してたんじゃないのか?」

「安藤はしてなかった。先輩がやるべきだって。僕があの曲をゴリ押しで通したっていうのも、気に入らなかったみたい」

 僕と安藤の対立は水面下に行われていたので、お隣のトロンボーンにも漏れていなかったようだ。平林はぼりぼりと頭を掻く。

「それは知らなかった……でも、確かに伊庭の推しっぷりは凄かったよな。唾飛ばして喋ってたところ、今でも覚えてる。しかも、自分で選んで自分でソロにまでなるなんて、あの曲にそんな思い入れがあったのか?」

「……まあ、個人的にちょっと因縁があって。難易度もちょうど良さそうだったし」

 僕がそう言うと、ふーん、と返すだけで、平林はそれ以上突っ込んでこなかった。

「しかし、安藤が来ないとペットの音がアンバランスなこと」

「うん、僕がファーストになっちゃったから……」

 大体の楽器はその中で三パートに分かれ、高音部からファースト、セカンド、サードと呼ぶ。

 今年のトランペットの配分はファーストが先輩ふたりと僕三人、セカンド安藤一人、サードは一年二人だったのが、安藤が来なくなってから一年生が臨時でセカンドを担い、下パートが一人ずつになってしまっていた。主旋ばかりが大きい、頭でっかちな編成だ。

「セカンドも技量いるから、経験あって音量も出せる安藤がいいよな」

「……うん」

 僕はうなずく。これが全部僕のせいなら、なんとか安藤と和解の道を辿ろうとするところだが、半分は僕と無関係なところに原因がある。それがどうにかならない限り、安藤は戻らないだろう。

「どうにかしたい、けどなあ……」

「まあ、県大勝ち抜けなんて想像つかないし、なるようになるでいいんじゃないか」

 平林はエンジョイ勢なので呑気に言う。全国も視野にいれている呉とは天地の差だ。

「そうだけど……」

 一方、僕は歯切れ悪く答えた

 確かに、僕も県大で終わりだと思っている。でも、だからこそ、悔いのないような最大限のパフォーマンスをしたいと思っていた。それは安藤のスタンスと似ているようで違う。先輩のソロを推したように、安藤が全体のクオリティを考えるのと違って、僕には図太いエゴがある。

 僕は、僕のエゴのために、安藤に戻ってきて欲しいと思っていた。

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