19.問題発生

 石造りの建屋の扉を開け、そっと中へと入り、長い廊下を進む。

 ほんの少し歩いた先で、待ち受けていた人物に声をかけられた補佐官は、思わず眉間に皺が寄った。


「レイチェル! 待ってたのよ!」

「キャサリン様……。何故ここに?」


 嬉しそうに駆け寄ってきたキャサリンに、今日は会議はなかった筈だと、補佐官、レイチェルは怪訝な表情をした。


「だって、レイチェルが今日会いに行くって言ってたから、居ても立っても居られなくて! で、どうだった?」


 その最後の言葉尻に、レイチェルはアンジュの言葉を思い出す。だからか、すんなりと返事が出来た。


「会えませんでした」

「え? 会えなかったの? どうして?」

「よくよく考えれば、彼女の顔も職場も知りませんし、あの街に行ったところで 、名前だけで見つけるのは無理でした」


 実際、名前だけで見つけてしまったレイチェルは、本当に運が良かったとしか言いようがない。

 たまたまアンジュが休日で、街に出ていたことも幸いした。

 街に着いてすぐ、近くにいた人に声をかけ、『アンジュ・ベント』の名を出したら、ちょうど前方を歩いていたのだから。


「そっかあ。実はあの後、有力な情報を得たのよ。彼女、アンジュ・ベントは『あの病院』に勤めてるんですって」

「あの病院?」

「ほら、ダンジョン近くのあの有名な病院。名前が無いのよね、あの病院。地元の人たちはただ病院としか呼ばないみたいだし」


 その事実に、レイチェルは目を瞑る。あの病院は軍では一目置かれている存在だ。医院長は元々軍医、婦長は元魔導士だった筈だと、レイチェルは記憶を引っ張り出す。そして一年前のスタンピートのことを思い出した。

 あの病院の医院長と婦長、看護師達が森へ入り、沢山の兵の命を救ったことを。

 そんな恩人に、啖呵を切ったばかりか、魔法攻撃まで仕掛けてしまったことに、レイチェルは大いに慌てた。


「だから、あの病院を訪ねれば、会えると思うんだ! ね、それで、今度はいつ行く?」


 無邪気にそう言ったキャサリンに、レイチェルは目を眇めた。

 そのことに気付きもせず、キャサリンは口を尖らせて拗ねたような声で言い募る。


「というか、どうして休日に行かないの? 今日が休日だったら、これから行けたのに」


 その言葉に、レイチェルは魔導部隊の先輩たちの忠告を思い出していた。


 『あんな女のために、わざわざ休日を使って会いに行くのはバカらしい』

 『あんな女の口車に乗せられて、休日を潰すとか、バカなのか』

 『自分で行けって言ってやれよ』


 などなど、何故か先輩方はキャサリンのことを『あの女』と呼び、嫌悪していた。それは偏に魔導部隊と衛生部隊の仲が悪いせいだと思っていたレイチェルだったが、第三者であるアンジュの言葉で気づき始めていた。

 キャサリンはいつも言う。

 『あたしたち衛生部隊がいなければ、我が軍は立ちいかない』

 それは衛生部隊の治癒魔法のおかげで、兵士たちの死亡率が減ったためだ。だがそれに意を唱えるのが魔導部隊だ。実際、三年前までは衛生部隊は存在しなかった。それまでは魔導部隊が衛生部隊の役割も担っていたからだ。今でもその役割は魔導部隊に残っている。そして、衛生部隊よりも遥かに魔導部隊の方が治癒においても活躍していた。


「休日だったら、ここであたしに会えなかったと思いますけど?」

「宿舎で待ってればいい話だわ」

「いつ戻るのかもわからないのにですか?」

「休日なんだから、時間を決めて行けばいいじゃない。その方があたしも楽だったし」

「待っているくらいなら、自分で行けばいいのでは? 遠目から見るくらいなら、勇気がなくたってできるでしょうし」


 いつもならば、キャサリンの言う事に反論せずにすぐさま同意するはずのレイチェルが、今日は随分と反発することに、キャサリンは思わず首を傾げた。

 それでも自分の意見を通したいキャサリンは、レイチェルの機嫌を取るように追い縋る。


「もう、どうしたの、レイチェル? 随分と機嫌が悪いじゃない。情報が少なかったことは謝るわ。だからそんな冷たいこと言わないでよう」


 急に猫撫で声で甘えたように言うキャサリンに、今まで感じたことのない嫌悪がレイチェルを襲う。何故彼女のことを、あれほどまでに尊敬していたのかと、レイチェルは自分自身のことなのに、分からなくなってしまっていた。


「仕事がありますので、これで失礼します」

「ちょっと、レイチェル!」


 キャサリンを無視して、レイチェルは歩き出す。ここより先は、魔導部隊の隊員以外は立ち入れない。

追い縋るわけにもいかないキャサリンは、大声で引き止めようとするも、レイチェルは構わず廊下の角を曲がって行った。

 そして今度は、違う人物に出会す。


「珍しいこともあるものだ。あれ程盲信していた相手を、袖にするなんてな」


 クレア・オールディス。ジェイクの双子の妹の一人で、レイチェルの直属の上司だ。

 可愛らしい顔をしているジェイクとは対象的に、キツめの美人といったクレアは、軍服も相まって、男装の麗人ような印象を受ける。話し方もそのことを意識しているのか、女性らしくはない。


「……クレア副隊長。お聞きになっていたのですか?」

「まあ最後の方からだがな…というか、聞こえてきたという方が正しいのかもな」


 確かに入口付近とはいえ、長い石造りの廊下だ。声はかなり響く。それでもここで立ち止まっていたのであれば、聞き耳を立てていたのと同義だろうともレイチェルは思った。


「それで、どういった心境の変化だ?」

「……色々と思うことがありまして……」


 クレアはキャサリンのことを気に入っている。だから自分が今、咎められていることに気づき、レイチェルは思わず顔を伏せてしまった。

 そんなレイチェルの心情を知ってか知らずか、ゆっくりと廊下の奥へと歩き出したクレアの後ろを、レイチェルもついていく。


「色々……か。それはアンジュ・ベントに会ったから、という認識でいいのか?」

「……はい」

「ほう。噂通り、彼女は凄い人物らしいな」

「は?」


 今までの会話でどう凄いことがあったのかと、レイチェルは首を傾げた。


「それは……どうでしょう? 正直、性格は最悪でしたし」

「そうなのか? うーん、でも、レイチェルの盲信を解いたというだけでも、称賛に値するのだが」


 二度も盲信と言われて、レイチェルは思わず怪訝な表情をした。今までクレアだけは、レイチェルのことに口出しをしなかったからだ。それはクレアがキャサリンを気に入っているからに他ならない。それなのに、クレアの口ぶりはどうだろう。まるで他の隊員と同じように、キャサリンに対して思うところがあるように、レイチェルには感じられた。


「副隊長は、キャサリン様を、兄であるオールディス隊長の伴侶にと望んでいると聞きましたが、違うんですか?」

「ほう? それは初耳だな。私はそんなことを言った覚えはないよ。むしろあの女が義姉になるなど、御免被りたいね」


 その言葉に、レイチェルは驚きの余り、立ち止まる。

 キャサリンの話では、副隊長という立場で、一人の魔導士を優遇することはできないだろうから、この話は絶対に漏らすなと言われていた。

 その理由がたった今分かったレイチェルは、確認のために口を開く。


「その……キャサリン様が副隊長からそう言われていると伺っていたのですが……」


 恐る恐るレイチェルがそう問うと、怖いほどの笑顔をクレアが向けてきた。


「あの女と直接会話を交わしたことなどないよ。虫唾が走るからね」


 それほどまでにクレアが嫌悪しているとは知らず、レイチェルはグッと喉の奥を鳴らした。

 『騙されていた?』

 そう思いつつも、まだ心のどこかで、キャサリンを慕う気持ちが拭えなかった。

 そんなレイチェルの心情を見透かして、クレアが尋ねる。


「何故そこまで彼女のことを盲信しているのか、聞きたいと思っていた。教えてくれるか?」


 今まで散々口にしてきた言葉は、先輩魔導士たちにことごとく否定されてきた。今ここで、クレア副隊長に否定されてしまえば、自分が間違っていたのだと認めざるを得なくなる。

 アンジュ・ベントにも指摘され、自分が信じていたものが壊れてしまいそうで、レイチェルは意地になってしまっていた。


「キャサリン様率いる衛生部隊のお陰で、兵士の生存率は随分と上がりました。それにキャサリン様の回復魔法は本当に素晴らしく、類を見ないものだと聞いています。とても慈悲深く、優しいキャサリン様を尊敬するのは当然のことだと思います」

「なるほど。根本から間違えているのか」

「え?」

「あの程度の回復魔法なら、魔導部隊の新人でも難なく使える。それどころか、もっと精度の高い回復魔法だって使えるよ」

「そんなはずはありません。基本的に魔法は一人、一つの属性しか使えないのですから。攻撃魔法しか使えない魔導部隊の隊員は、何とかそれを打破しようと日々努力をして、漸く回復魔法を使える者が出てきたと聞いています。だから新人魔導士が回復魔法を使うなど、あり得ないことです」

「それ、誰が言っていたんだ?」

「は? 誰って、研修の際にそう教わりましたが……」


 魔導部隊へ入隊する際、必ず一年間の研修を行うことになっている。その研修では軍の規律や心構え、実践訓練などの教育を行うのだが、レイチェルの話を聞き、クレアはそこに作為的な何かを感じ取り、呟いた。


「ほう。これはいよいよ、きな臭いな」

「どういう意味でしょうか?」

「では聞くが、レイチェル。アンジュ・ベントに会いに行くのに、馬を使って行ったのか?」

「え? いえ、転移魔法で行きました」

「ではさっきレイチェルが言った、魔法は一人一つの属性しか使えないといった言葉に矛盾が生じる」

「基本的にはそうですが、訓練次第では他の魔法も使えるようになります」

「ではレイチェル、転移魔法を習得するのに、どれほどの時間を費やした?」


 レイチェルは思わず目を瞠る。訓練次第などと自分で言っておいて、その実、所見で使えたことに疑問すら抱かなかった自身に違和感を覚えた。


「……その……すぐにできました」

「そう、魔力量さえ豊富にあれば、誰だって使えるんだ。全属性の魔法が難無くな」


 クレアの言葉に、レイチェルは少し混乱し始める。

 頭では解っているのに、それを否定したいという『想い』が胸に渦巻く。

 そのせいか、上手くクレアの言うことが呑み込めず、返事も出来ずにいた。


「回復と治癒魔法もそうだ。魔力量でその効力が変わってくる。一般人よりほんの少しばかり魔力量が多いというだけの衛生部隊の隊員より、魔導部隊の隊員の治癒魔法の方が優れているのは必然なのだよ」


 呆然自失で立ち止まっていたレイチェルを促し、歩き始めたクレアは、副隊長の執務室である扉の前に着き、入室する。

 室内には三人ほど、年配の男性隊員がいた。立ったままの状態で書類を覗き込み、険しい表情をしている。


「どうした? 何かあったのか?」


 隊員が、勝手に執務室に入って来ることは日常茶飯事なので特に気にしないクレアだったが、隊員たちの表情に、何か問題が起きたのだろうとすぐに声をかけた。


「はい。先程、とある街から連絡がありました」


 隊員の一人がそう口にすると、他の隊員たちがレイチェルへと視線を向けた。

 その視線に、呆けていたレイチェルは、ハッと我に返った。そしてその視線の意味に気づく。

 大概こういう場合は、大事な話なのでレイチェルには外で待機、という合図だ。


「昼休憩もそろそろ終わりますので、あたしは仕事に戻ります」


 そう言って出ていこうとするレイチェルを、隊員の一人が呼び止めた。


「レイチェル、お前に関する話だ。ここにいろ」

「私に関すること……ですか?」


 心当たりのないレイチェルは首を傾げた。


「それで? どんな連絡だ」


 クレアが話の続きを促すと、隊員たちが渋面になる。余程言いにくいのか、クレアから視線を外してから話し始めた。


「魔導部隊の隊員が、一般市民に魔法を放ったとの通報です」


 その言葉を聞き、クレアが勢い良く、レイチェルへと顔を向けた。

 そのことに、レイチェル自身はそれが何か?という表情でクレアを見返す。そのレイチェルの態度に、クレアはホッと息を吐き出した。だがそれも束の間、隊員の報告に顔を顰めることになる。


「その人物の特徴として、若い女性で背は高め、赤毛で髪を後ろで一つに束ねていた、とのことです」


 クレアが厳しい表情で、レイチェルを睨む。報告の特徴にあった人物が、レイチェルの容姿に一致していたからだ。

それなのに、当のレイチェルはさして気にした様子もなく、キョトンとしている。その態度に、クレアが苛立たしげに問いかけた。


「レイチェル、心当たりはあるのか」

「え? あ、はい。あります。ですが、それがどうかしましたか?」


 責めるようなクレアの問いかけに、レイチェルは不満げにそう答えた。


「どうかしたかだと! 自分が何をしたのか、分かってないのか!」


 いきなり声を張り上げたクレアに、レイチェルは戸惑った。


「一般人に魔法を放ったなど、流石に庇いきれんぞ」

「え? あの? どういう意味でしょう? 私たち魔導士は、魔法使用に関して制限はないはずです。それが街中であろうと、人に向けたものであっても、お咎めはないと教わりましたが……」


 レイチェルの発言に、執務室内の空気が張り詰めた。


「お前、何を言ってるんだ?」


 隊員の一人が、信じられないものを見るような目で、レイチェルに問いかける。


「教わったといったが、まさかそれも研修の時にか?」


 慎重にそう聞いてきたクレアに、先程の怒りは収まっているようにレイチェルには見えた。それに少しばかり安堵して小さく頷く。


「そうか……。だが、それが言い訳として通用しないことは確かだ」

「あ、あの、一般人に魔法を使用することは、禁止されているということなんでしょうか?」

「当然だ」

「……当然? それは軍に所属している者は、皆知っているということですか?」

「勿論だ。それどころか、国民全員、子供でも知っていることだ」

「そんな……で、ですが、キャサリン様は知らなかったようですよ? 私に魔法で彼女を脅せばいいと言ったのはキャサリン様ですし」

「ほう? その辺りのことは、もっとじっくりと詳しく聴くことにしよう」


 腕を組んで、大きく息を吐き出したクレアは、次いで首を振った。


「あー、副隊長……。まさかとは思いますが、レイチェルが魔法を放った相手って、オールディス隊長の想い人じゃないですよね?」


 一人の隊員が、恐る恐るクレアに聞いた。その問いに、クレアはギュッと眉間に力を入れ、答える。


「そのまさかだろうよ」


 レイチェルがわざわざ昼休憩中に転移魔法で会いに行っていたのは、兄の想い人のはずだと、廊下での会話でクレアはそう結論付けた。


「あー、……それって、流石に拙いんじゃ」

「拙いどころじゃない。下手したら国外追放だ」


 クレアは額を手で押さえ、首を振る。


「しかもその道中で報復される可能性が高いだろうな」


 年配の先輩魔道士の言葉に、レイチェルが顔を真っ青にして震え上がった。


「逃げるなよ、レイチェル。それは悪手だ。逃げれば余計に立場は悪くなる」

「はは……。逃げても逃げなくても一緒だろうけどな」


 そう言った隊員たちの顔色も、酷く悪い。


「っていうか、レイチェル。相手が隊長の想い人だって分かっていて、何故そんなことをしたんだ? あの隊長に目をつけられて、無事でいられるとか、本気で思ってたのか?」

「それは……」


 レイチェルは青い顔を、クレアへと向けた。だがクレアは厳しい表情を返すのみだった。

 そのことに、レイチェルは言い訳を必死に探す。


「クレア副隊長が、キャサリン様のことを気に入っていると聞いていたので……。それに、隊長は副隊長にはとても甘いので、間に入ってくれれば問題ないと」

「ほう。あの女がそう言っていたのか?」

「はい……」


 確かにそう言っていた。だが、クレアの厳しい表情を見る限り、間に入ったところでどうにもならないのではと、レイチェルは思った。


「手はある。だが、どこまで通用するかは分からない」


 クレアが苦々しく言う。それでも可能性は低いと、隊員の一人が口を開いた。


「あの女に騙されたと言ったところで、言った言ってないの水掛け論になるだけだ。研修中の教育だって、同じことだ。今年の新人はレイチェルだけだ。一対一で教育を受けていたなら、レイチェルの思い違い、解釈の違いだと跳ね除けられてしまう」


 高い魔力量を持って生まれる者は、とても少ない。そして今年の魔導部隊への入隊はレイチェル一人だけだった。もし他の新人がいれば、証言に信憑性を持たせることが出来ただろうが、レイチェル一人だけが訴えたところで、揉み消されるのがおちだと、隊員たちは言う。

 そこまで聞いて、レイチェルは小さく呟いた。


「何のために……そんなことを?」

「確かにな。個人的にレイチェルに恨みがあるのか?」

「え!」


 思いもよらなかったことをクレアに言われ、レイチェルが狼狽える。だが、思い当たる節はない。


「ただのやっかみとか?」


 隊員の一人が顎に手を当て、首を捻りながら言う。それに賛同するように、クレアは頷いた。


「なるほど。そちらの線が濃厚だな。何せ、新人教育の総括は、あの女の父親だからな」

「だからといって、ここまでやるか? 教官まで巻き込んで。それに、安直すぎるんじゃないか? こんなことをすれば、真っ先に疑われるのはあの女と父親だ」

「証拠がなければ、何とでもできる」


 結局のところ、レイチェルの運命はジェイクの心次第かもしれないと、クレアは結論付けた。


「レイチェル。取り敢えずアンジュ・ベントに謝罪をして来い」

「おいおい、副隊長。想い人の彼女に隊長を宥めてもらおうって魂胆かい?」

「いくらなんでも無理だろう。それに相手だって、魔法を向けられて生きた心地はしなかったろうし、許すどころか、神経を逆撫でする可能性もある」


 確かにそうかもしれないと、全員が頷いた。実際、魔導部隊の制服を着ている時点で『敵わない』相手だと認識出来る。

その魔法に特化した隊員が魔法を放ったのだ。一体どれほどの恐怖を味わったのだろうかと、アンジュ・ベントに対して、同情を禁じえない。

 そしてクレアは、廊下で話したアンジュ・ベントの性格の面にも不安が残った。


「ああ、そうか。レイチェルの話だと、アンジュ・ベントは随分と性格が悪いらしいしな」


 クレアの発言に年配の隊員たちがギョッとする。


「え! そうなのか?」

「それって、隊長は騙されてるってことか?」

「あの隊長が騙されるって……」


 隊員たちの様子に、レイチェルは慌てて口を挟んだ。


「あ、あの! 違うんです! 多分、そういうんじゃないんです。あたしが一方的に彼女を嫌っていたので、そう見えたといいますか……でも、キャサリン様のことに気づかせてくれたのも彼女ですし、隊長と別れがっていましたし……」

「「「別れがっていた!!」」」


 年配の隊員たちの声が被った。

 クレアだけは両親から事情を聞いて知っていたので驚くことはなかったが。


「おいおい、別れがってるって、どういうことだよ!」

「万が一、隊長が失恋でもしてみろ、俺たちはきっと憂さ晴らしに付き合わされて、毎日地獄の訓練が待っているぞ!」

「勘弁してくれ」


 顔を真っ青にして項垂れる隊員たちに、流石にクレアも黙っているのは酷だろうと事情を話した。


「まあ、あれだ。平民がいきなり貴族になるということに怖気づいているだけで、彼女自身、兄を嫌っているわけではないようだ。それに、既に外堀は埋めてある。アンジュ・ベントには悪いが、兄と結婚することは決定事項だ」


 慰めたつもりのクレアだったが、隊員たちの表情は晴れない。それどころかクレアに対し、嫌悪の目を向けた。


「なんだ、その目は?」

「いえ。平民の権利を行使されたら、どうなさるのかと思いましてね」

「それも手を打ってある」


 きっぱりと言い切ったクレアに、反論する者はいなかった。結局のところ、権力には勝てないのだと、理解したからだ。

 だがクレアにとって、この発言は違う意味を持っていた。

 貴族としての責務を押し付けず、社交もしなくていいように、根回しは大体済んでいた。それに最悪、兄が平民になる方法もあるとクレアは一人頷いた。


 その発言が後に大きな問題になるのだが、クレアは知る由もない。


「あの、あたし、謝ってきます」


 絶望に染まった表情で、レイチェルが声を上げた。その場にいる全員がレイチェルへと顔を向ける。


「まあ、行くだけ行ってこい。だが、逃げるなよ」

「はい」


 年配の隊員がそう言えば、レイチェルは神妙に頷いた。


「時間は稼いでおく。覚悟だけはしておけ」


 クレアが力なく零す。その言葉にレイチェルは身体を震わせる。それでも、謝罪に行かなければと、挫けそうになる心を叱咤し、転移魔法を発動させた。



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