「あなた、呪われましたね」

「え……呪……?」


 待っていた第一声が、そんなものだとは考えもしないから頭の中で滑っているのが分かる。のろい? 呪いって、あの忌々しい相手に捨て台詞で吐いたり噂話を周囲に広め徐々に精神を病ませたりする、あの?


「これだから人間は……。そういえば今朝も気付いていないようでしたね。あなたは視えるだけですか?」

「へっ?」


 呪いのろいと先ほどからなんだというのか。まどかは全く以って意味が分からないという顔をした。彼は呆れた様子でため息をついて、袂から黒くて丸いものを取り出した。折り畳みの鏡で、それをまどかに向けた。まどかが鏡とその人を交互に見る。


「首のところ、みえますか」

「え、あ、首……なにこれ」


 首をぐるっと一週している波のような赤黒い模様がまどかの首にあった。手を伸ばして指先で触れると、確かに痛みの走る位置が変色している。


「あなた、さっきのあの黒いものに呪いを貰ったんですよ」


 へえ、と納得しかけてぶんぶんと首を振った。呪いを受けるほどの理由に覚えがないからだ。そもそも現代において呪いなんてものが都市伝説で聞く以上に現実に侵食している訳がない、とさえ。

 彼は「でしょうね」とさっぱりした返事をしながら鏡を袂に仕舞う。


「あなた、普段から誰かに恨まれているのでは」


 唐突に言われて反射で、心当たりがない、と答えるも言った後から自信がなくなる。人間、生きている間ずっと正しく清いままでは生きていられない。誰かに嫌われたり恨みを買ったりすることも当然あるはずだ。

 もちろん、呪いや恨みを買う様な事をしているか、と問われるとおおっぴらに誰かを害することはしているつもりはないが、感情のある生き物だから相応に嫌だな、なんて融通の利かない人だ、と思ったことが無いとは言い切れない。そういうものの集まりがひとつの恨みになったとすれば。


「まあ、その辺りに私は関与しないつもりなので、ご自由に」

「え、解決とかしてくれるのでは!?」


 さらりと助けはしません、と言われたも同然で反射的に言葉が出た。ここは何か助けてくれる前振りだったでしょう。


「誰が」

「あなた?」

「初対面の、それも人間に? 親切にしてどんな利があります?」

「……あの、さっきから気になってたんですけど」


 ここにきてやはり言葉の選びと、言い方が気になってしまう。

 同時に視界の端でぴょこぴょこ一本足でケンケンしているような、青い存在も気になっていた。ちらっとみると、そこには少しどろっとしたものがついている青い傘が居た。跳ねまわる度にびちゃびちゃと落ちているが大きな水たまりも出来ている時点で気にしてはいけない。それにその水分の範囲が徐々に狭まっているように錯覚してしまった。


「あなたは人間ではいらっしゃらない?」

「人間だとおもいました?」


 ふふ、ととてもおかしいといった様子で上品に笑う。まどかの背にスッと冷たいものが這う。


「だったらいいな……って思ってたんです、けど。私、昔、おかしなものが見えて、ずっと隠して来てたから、ここにきてまたそういうものと関わることになるなんて」

「私たちは人間のすぐ傍にいますよ、たとえ視認できなくてもね」


 まどかのちょっとした私語りに深く興味を持つこともない様子で、彼は裾を払って立ち上がった。黒い水たまりの周りをぴょんぴょんしている傘に手を伸ばす。一人で跳ねていた傘は、その液体の踏みつけるように跳んで見えた。

 合図のようににっこり微笑むと、それ以上何も言わずに動き回っていた傘の柄をもって、傘についた汚れを払うように一度だけ振った。飛び散る雫はどうしてか床に落ちる間もなく空中で霧散してしまった。

 所作があまりになれすぎていたが、とても綺麗に見えた。見惚れていると、彼は傘の先をトントンと床に打ち付ける。

 傘の先が、その黒いものを吸い上げているように見えた。とても異質で不思議なことなのに、やはり先ほどの食べられかけたショックからか、なんでもないことのようにまどかは視ていた。

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