サザンクロスの花束を

かのえらな

第1章 蜜と撫子

第1話◆失恋と奮起

 「ごめん、好きな人できちゃってさ、私たち別れよ?」






 その言葉と小さくはにかんだ笑顔が、

まぶたの裏に焼き付いたまま、

朝を伝えるカーテン越しの光に、

かき消されては蘇る。


 最悪な目覚めに、意識は朦朧もうろうとしているのに関わらず、

鮮明にしつこく繰り返される彼女の声は、


床に落ちたアラームよりも、

ずっと頭の中に響いていた。



 まぶたを押しつぶそうと腕を押し当て、

ついで朝から逃げるように隠れても、

あの時の彼女の言葉だけは、どうにも頭から離れなかった。






◆◆◆◆◆




 大学生活も2年目、

通いなれたこの道はスマホを注視しながらでも

何となくでいてしまう。


 大学から近い、という理由だけで借りたアパートは、立地の良さもあり、

徒歩15分もあれば到着出来てしまうのは助かっている。


 おかげで遅刻もほとんどしてないのだから。


 ボロアパートということ以外は何も文句はない。



 自転車ならもっと早いのだが、

1年目に半年もたたずに盗まれた。


面倒臭がって鍵を掛けずに駐輪所に留めたのが失敗だった。

 

 田舎から上京してくるときに、

親に散々「盗難には気をつけろ」

と言われていた手前、


「さーせん!盗まれました!」


なんて言えるはずもなく、


渋々しぶしぶ徒歩で通学することになってしまっている。


しかし大学へのモチベーションがない今、

 いや、むしろマイナスで、行きたくない今は

気持ちの整理と切替の準備時間と思えてラッキーなのかもしれない。


 そう思える程に今は不幸アンラッキーなのであった。






 おもむろに取り出したスマホ画面には通知が2件。


 友人から昼ご飯の誘いと、Amazenの荷物お届け時間のお知らせ。


 友人には適当にスタンプを送ると、

腹立たしさにスマホを雑にポケットにねじ込む。


 先週までであれば、もう1人から必ず返信がきていたからだ。


 思い出すだけで少し足が重くなり、少しだけ早くなった。






 「あ、今日は二限目からだった・・・

はぁ、また早く来てしまった・・・」



 ぼーっと思いけている間に足は大学校内に、

けだるそうな体を運んでくれていた。


 いつもとかわらない大学は、

正門から中庭まで、沢山の人の出入りで賑わっている。


 教科書を両手に抱いて笑いあう女性達、

悪ふざけに肩を組む男達。



 「きっとみんな幸せなキャンパスライフ送ってるんだろうなあ」



 風船のようにどこへ向かうでもないぼやきは、

晴天の空に溶けていく。




≪パチンッ!≫




 瞬間風船の割ったような炸裂音が学内に響き、

辺りが一瞬静まり返る。


 そのは自らの頬を両手で、目一杯に叩いた音。


一瞬校内の注目を集めたような気もしたが、

そんなことはどうでもいい。



 「こんなんじゃダメだ!もっとシャキッとして次の恋!

どうせ女なんて星の数ほどいるんだ!」


 無気力な自分に喝を入れる。

ここ最近自分は落ち込みすぎていた。


 生活は乱れ、食欲不振、睡眠不足、

それらの症状は自分でも目に見えて実感するほどに。


 そのせいで頬の肉がだいぶ落ち、

顎の輪郭は以前よりずっと細くなり


 黒目は若者とは思えない程褪せている。


 このままでは精神的にも、

肉体的にも大変よろしくない。



 失恋は仕方ないこと、過ぎたこと。


 自分のキャンパスライフは始まったばかり、

これは序章に過ぎないのだ。




 気持ちの切り替えに成功し冷静になって考えてみると

友人にも気を使わせていたかもしれない。


 『そうだ、今からでも連絡して、今日はうまい飯屋にでも誘おう!』




 そうと決まればさっそく連絡を・・・




 「ん、確かこのポケットに・・・」




 ポケットにねじ込んだはずのスマホがない。


 逆ポケットも確認してみる。



―――ない。




 あるはずのない胸ポケットを探し、

両手で胸を押さえ慌てる不審者の動きをする自分の背中についに声がかかった。




「かーくん?」


 その声に体は先程までの慌ただしさを一瞬で失い、

絶対零度の瞬間凍結で体は凍り付く。


 そして日光によって解凍されていく半身でゆっくり振り返った。




 聞き覚えのある高くも甘ったるい声、

子供をあやすような優しい口調。


 振り返りざまに目に入るその体躯は華奢で小さく、

紺のキャロットスカートから覗く白くすらっと伸びた足は、

日の光を受けて真珠のような眩しさを放っていた。


 体勢は今さっきまでしゃがんでいたのだろう。


 前かがみに体を起こすさまから見える鎖骨と、

その奥に見えるあまりに巨大な2つみねは、

襟の広い純白のデコルテシャツが包み隠し、

男の下心を容易く引きずり出す。


 かがんだ際、頬に流れた細くススキのようなミルキーブロンドの髪を、

耳の後ろにかけなおしながら上目遣いでこちらに疑問の念を送っていた。


 「瑠璃音・・・ちゃん・・・」


 思わずゾンビの呻きのような声が漏れてしまう。



 1週間ぶりに聞いた声とその姿は、何一つ変わっていない。


 小さな顔に不釣り合いで、零れそうな大きな瞳。


優しくも子供のような笑顔はあまりに可憐で、

こちらを不思議そうに見つめる彼女。


別れた後、一日たりとも忘れることの出来なかった【元カノ】の姿だった

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