遺す人と待つ人のいる倖せ

 令和五年。四月上旬の隅田公園。偶然だがわたしはその界隈を歩いていた。
 文中の描写どおりに桜はすでに散っていたが、大勢の人が隅田川のほとりを散策しており、遊歩道には家族連れもカップルもいた。
 この物語の登場人物とすれ違っていたかもしれない。

 作中の人物は過去の作品に出てきたあの人や、あの人だ。すぐに分かった。
 詳しくは、「『一蓮托生』シリーズ」の覚書」に一覧があるので、そちらで確認できる。
 終戦から再起していった人々の血脈が、一部を失いながらも、令和にまで繋がっているのだ。

 隅田川沿いを歩く時、この川や言問橋が昭和二十年のあの夜、どんな状況であったのかを想像せずにはいられない。
 焼け焦げた桜の木々には火災旋風で巻き上げられた人々の衣類がたくさん引っかかったまま四月になっても揺れていたことや、もう少し先に行くと近くの工場の寮の女工さんたちが煙にまかれて折り重なって死んでおり、死を覚悟していたものか、彼女たちの全員がもんぺの下にとっておきの晴れ着を身につけていたこと等を、想い出さずにはいられない。
 その頃はまだあの無粋な高架道路もなく、大川の流れに沿って黒い瓦屋根が静かに河岸に並んでいただろう。
 あの空襲からまだ百年も経っていないとは、愕くべきことだ。
 そしてあの戦争を知る人たちはまだ辛うじてご存命で、本編の康史郞のように、令和五年のわたしたちとすれ違っている。
 失った人々や、かつての町や祭りの面影とともに、あの戦争を知る人たちは隅田川のほとりを歩いている。
 そしてそんな康史郞もこの世の者ではなくなっていくのだ。著者と読者に見送られながら。

 あの物語を彩ったあの人や、あの人は、もうとっくの昔に亡くなっている。
 知り合いの消息や訃報をきくようにして大田さんの『一蓮托生シリーズ』をわたしは読むのだが、そこにて終わりではなく、彼らの遺伝子は、はるか遠い未来の宇宙で元気いっぱい声を上げていたりする。
 しかし未来の彼らはもう、雨漏りのするバラックや、地を這うようにして生きていた人たちの戦後史を詳しく知ることはないだろう。

 眼の届く範囲での、ゆかりのある人々の幸福を確認してから、最後のひとりである彼は逝った。
 散ってゆく桜の花びらは大河の流れに浮かび、いつかの夜の死者たちに続くようにして色褪せて消えてゆく。
 その先にはわたしたちのよく知るあの人たちが、小さな光明となり、彼を迎えて薄暮に咲いていることだろう。
 これが焼け跡から始まったあの物語の、倖せな終わり方なのだ。