第27話 祭の夜の惨劇




 パーム祭のクライマックスを飾るのは、大広場で行われる大衆ダンスだ。

 広場には1000以上のランタンが掲げられ、まるで昼間のような明るさ。

 さらに中央に巨大な篝火が焚かれ、炎の周りを廻りながら大勢で踊るのだ。

 もちろんステップは自己流でよし。とにかく楽しむのが一番の目的。

 マリアージュも踊りの輪に飛びこみ、王宮仕込みの軽快なステップを披露した。


「ちょ、マリアージュ様、あんまり俺から離れないで下さい! こんな人込みで迷子になったらどうするんです!?」

「だったらちゃんとついてくるのね、ユージィン。ちょっとやそっとのことじゃ私は止められなくてよ?」

「あー、もうこのお嬢様はっ!」

「アハハ! せっかくだからユージィンも楽しもうよ!」

 

 マリアージュのお守りに苦心するユージィンと、二人についていくコーリー。

 微笑ましい光景を、広場を巡回する衛兵隊も温かく見つめている。


「やけに楽しそうじゃねぇか、ユージィンの奴。ああしてると年相応に見えるねぇ……」


 ユージィンの苦労も知らず、アルフは豪快に笑った。

 音楽隊の奏でるメロディーはさらに盛り上がり、あちらこちらで乾杯の音頭が響きだす。

 雑踏と騒音が入り乱れる中、大広場は熱狂の渦に包まれた。

 一年に一度の祭りは、夜空に打ち上げられる派手な花火と共に終焉を迎えようとしていた。









「ドナ、悪いけどゴミを外に出しておいてくれないかい?」

「はーい」


 その頃、すっかり客足が引いた『踊る仔兎亭』では店仕舞いの準備が進んでいた。

 たくさんの椅子がテーブルの上に並べられ、店の主人とその妻は大量の食器を洗っている。

 今日出た生ごみをまとめるために、ドナはひとり狭い路地裏に出た。

 ここから離れた大広場の喧騒が微かに届き、密集した建物の隙間から花火が垣間見える。


「綺麗……」


 今日一日の疲れも忘れさせるような鮮やかな光彩に、ドナは目を細めた。

 すると次の瞬間、突然、ドンッ!という強い衝撃に襲われる。

 なぜか急激に腹部がカーッと熱くなって、一体何が起きたのかと視線を戻すと―――



 目の前には彼女を冥府へと誘う――死神がいた。





            ×   ×   ×





「もう帰ります! 今度こそ帰りますからね!」

「わかったわよ、ユージィン。さすがの私も踊り疲れたわ」


 大広場でのダンスを一通り楽しんだ後、マリアージュは心地よい疲労感に身を委ねていた。

 時刻はすでに21時を少し回ったところ。

 近くのテラスで暫し休憩し、馬車の手配が出来次第、帰宅の途につく予定だった。

 しかしそれを思い留まらせたのは、街角で起きたある喧噪。衛兵隊の隊士の怒鳴り声が、近くにいたマリアージュの元にも届いたのだ。


「アルフ隊長大変です! 踊る仔兎亭で事件発生です。すぐに来て下さい!」

「なんだとぉ!?」

「!」


 この声にアルフだけでなくマリアージュも素早く反応する。

 もはやパブロフの犬並みだ。

 寝た子を起こしたかのように席を立ち上がると、慌ててアルフの後を追う。


「私達も行くわよ、ユージィン、コーリー!」

「ええぇぇぇ……?」」

「ま、待って下さい、マリアージュ様ぁーー!」


 そのスピード、まさに疾風のアルフにも負けないほど速く。

 喧騒を切り裂くかのように、マリアージュは下町を駈け抜けた。








 踊る仔兎亭の前までやってくると、店の前には大勢の人だかりができていた。

 一般人が店内に入らないよう衛兵隊士が警護を固めており、隊長・アルフの到着と同時に初動捜査も始まったようだ。


「はいはい、悪いけど通して下さる?」

「こら、そこの女性!」


 マリアージュも事件現場に立ち入ろうとしたが、すぐに警護の者に止められる。力ずくで人波まで押し戻され、マリアージュは不満を露わにした。


「一体何があったんですの? それくらい教えてくれてもいいんじゃなくて?」

「だめだ、だめだ。まだ詳しいことは何もわかってない。とにかく店の前から離れろ!」


 現場を保存しようとする衛兵隊士の態度は頑なだ。

 マリアージュは腕を組んで仁王立ちすると、仕方なく伝家の宝刀を抜くことにした。


「あなた、私を誰だと思ってますの? 私はドミストリ公爵家のマリアージュ=ドミストリ。王太子の婚約者と言えば理解できますかしら!?」

「ええっ!? こ、公爵令嬢様!?」

「なんでそんなお偉い方が下町に!?」

「いいから何が起きているのか、逐一報告なさい!」


 マリアージュはこめかみに青筋を浮かべながら、居丈高に命令した。 

 背後ではユージィンとコーリーが困った顔で「あちゃー」と天を仰いでいる。

 マリアージュが公爵令嬢と大声で名乗ったことで、周りの見物客も潮が引くように彼女のそばから離れた。

 下町の人間からすれば、貴族に逆らっていいことなど一つもない。口答え一つで首を撥ねられても文句は言えないのだ。


「も、申し訳ありません! 先ほど踊る仔兎亭の店の裏で殺人事件が発生致しました。被害者はドナ=ラムリー、34歳女性であります!」

「う、嘘!? ドナが!?」

「………っ」

 

 隊士の口から知人の名前が出て、コーリーだけでなくユージィンの顔色も変わった。マリアージュはさらに声を低くして尋ねる。


「殺人事件……と断定しているということは、一目でそうとわかる現場って事かしら?」

「は、はい。被害者は刃物で全身をめった刺しにされており、絶命しているところを店主に発見されました」

「そ、んな……」


 想像するのもおぞましい報告を聞き、コーリーはとうとう地面に座り込んでしまった。

 いや、コーリーだけでなくドナの名前を耳にした誰もが小さな悲鳴を上げている。

 マリアージュは一歩も動けそうにない部下を見下ろして、一つため息をついた。


「コーリー、あなたはまだ現場を見るのは無理ね。ここで待ってなさい」

「マ、マリアージュ様……」

「ユージィン、あなたは」

「バカにしないでくれる? メメーリヤ分院に就職した時から、覚悟はできているよ」

「おや、頼もしいこと」


 二人は視線を合わせ頷き合うと、衛兵隊士の制止を振り切り、店内へと分け入った。


「ちょ、ちょっとお待ち下さい!」


 隊士の一人が慌てて追いかけてくるが、それを無視して店の中を突っ切る。

 先ほど賑わっていた店内に客の姿はすでになく、カウンター席の向こう側で店主とその妻が嗚咽していた。


「ちょっと失礼するわね」

「お、おい! 一般人が入って来るんじゃねえ!」


 そして何食わぬ顔で、犯行現場である裏路地に足を踏み入れた。

 突然現れたマリアージュに驚いてアルフが声を荒げるが、ユージィンが先回りして身分を明かす。


「アルフ、こちらはドミストリ公爵家の令嬢・マリアージュ=ドミストリ様だ。失礼がないように」

「はあ!? 嘘だろ? そんな話聞いてねぇ!」

「だから今、話している」


 状況説明はユージィンに任せ、マリアージュは常備している白手袋をはめながらドナの遺体へ近づいた。

 ドナは狭い裏路地に仰向けの状態で倒れており、全身は血で真っ赤に染まっている。


「ひどい有様ね……」


 ある程度死体を見慣れているマリアージュでさえ、思わず目を背けたくなるような残忍さだった。

 ドナの体には無数の刺し傷があり、裏路地の地面には文字通り血の池が出来ている。

 ただ一つ、奇妙な点もあった。ドナの遺体はなぜか、目を閉じているにも関わらず、口がぱっかりと開いていたのだ。


「死に際に何か叫ぼうとしていたのかしら? 誰かに助けを求めていたとか……」

「おい、公爵令嬢だか何だか知らないが、勝手に遺体に触るな!」


 ドナの遺体を検分しようと跪いた刹那、アルフに背後から肩を掴まれた。

 マリアージュはその手を勢いよくパンッと叩き落とす。


「痛いわね! 乱暴に触らないで下さる!?」

「公爵令嬢だか何だか知らないが、捜査の邪魔をするな!」

「邪魔なんかするつもりはなくてよ? むしろ協力しようって言ってんの。ありがたく思いなさい!」

「はぁ? ユージィンの知り合いだと思って下手に出てりゃ、このあま……」

「アルフ、少し落ち着いてくれ」


 今にも取っ組み合いを始めそうな二人の間に、ユージィンが慌てて入った。

 アルフという男、マリアージュの身分を聞いても一切怯まないし、遠慮の欠片もない。

 ある意味怖いもの知らずで、ある意味では愚か者だと言ってもいいだろう。


「隊長、この先の通りで目撃者の証言が得られました!」

「おう、よくやった」


 そこに別の衛兵隊士が小走りで近づいてきた。

 アルフはマリアージュに向かってシッシッと手で追い払う仕草をしながら、部下の報告を聞く。


「この裏路地で被害者の悲鳴がした直後、あっちの曲がり角を走り去る男の姿が目撃されています。確かにそれはフリッツだったと……」

「ちくしょう、あの男、とうとうやりやがったな!」


 アルフは盛大に舌打ちした後、大きく地団駄を踏んだ。

 フリッツの名を耳にしたマリアージュも、思わず眉を顰める。



「ドナ殺しの犯人はフリッツで間違いない。急いでパーム区全域に捜査網を敷け」



 そして真犯人判明と共に、祭りの終焉を告げるラストの花火が、ドンッという大音響と共に打ち上げられた。

 パラパラと夜空に散らばる無数の火花は、下町に潜む闇を強制的に浮かび上がらせるかのようだった。

 





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