第22話 淡い初恋2




 今まで想像したこともなかった上流階級の暮らしを垣間見て、一人慄くコーリー。しかしそれはまだ序の口だと思い知らされたのは、夕食の時だった。


「本日の前菜は鴨の肉を使ったパテ・ド・カンパーニュと大根カラフルサラダ、スープは濃厚海老のビスク、メインディッシュは魚料理ならヒラメのソテーマスタードソース、肉料理なら鶏もも肉のコンフィがご用意できております」

「んー、じゃあ私のメインはヒラメにしてちょうだい。コーリーとユージィンは?」

「え? 私ですか? えーと、さっきからなんだか暗号文を聞いてるような気がするんですが……。あわわわわ……」

「少し落ち着け。さっきから庶民丸出しだぞ、コーリー」


 とりあえず居室を与えられ、ドミストリ家に厄介になることになったコーリーとユージィンは、夕食時に大食堂に招かれた。

 30人以上が座れるほど長いテーブルの上に用意されていたのは、今まで目にしたこともないような豪華な食事の数々。

 加えてここに案内される前に、上等の水色のドレスに着替えさせられた。

 手触りだけでもわかる。

 このドレス一着買うお金で、半年は楽々暮らせそうだ。


「マリアージュ様、すみません。色々気を使って頂いてありがたいのですが、私、こういう生活に慣れていなくて……」

「いいのよ、気持ちはわかるわ。私もね、たまには豪勢な食事じゃなくて、カップラーメンが食べたくなる時があるもの」

「か、かっぷらー……?」


 目を丸くするコーリーを見て、マリアージュはフフフと悪戯気に微笑む。


「コーリー、これから私の下で働くならば、私が口にする意味不明な独り言は極力流すようにしなさい。いちいち説明するのも面倒だから」

「は、はい、わかりました! 大変失礼致しました!」


 ゴチンとテーブルに額が当たるほど深く頭を下げるコーリー。

 そしてそれを見てまた笑うマリアージュ。

 そんな会話を交わしている内に、使用人達が前菜を運んできた。テーブルに並べられた沢山のナイフとフォークを見て、コーリーは再び固まってしまう。


「え、えーと、これ……」

「一品ごとにォークとナイフを端から取って使うんだよ。上流階級での食事のマナーだ」

「ユージィン、よくそんなこと知ってるね……」

「――常識だろ?」


 何事にも慌てるコーリーとは対照的に、ユージィンはあくまで冷静だった。ユージィンもまたドミストリ家で用意されたフォーマルウェアに身を包んでおり、それがまたよく似合ってる。同じ庶民街出身のはずなのに、天と地ほどの違いがここにあるのだ。


(はぁ~、ユージィンはなんでそんなに落ち着いていられるかなぁ? 私なんてさっきから場違い感がすごいのに……)


 ユージィンの真似をして何とかフォークとナイフで前菜を頬張るものの、緊張して料理の味などわからない。

 自分は本当にここでやっていけるんだろうか……と不安に思っていると、マリアージュが先回りして、コーリーに声をかけた。


「そんなに落ち込まなくて大丈夫よ。今日は初日だからこうして食事に付き合ってもらってるけど、堅苦しいのが嫌なら明日からはあなた達の部屋に個別に食事を用意させるわ。好き嫌いがあったら、今のうちにヨハンに伝えておいてちょうだい」

「え……」

「ふふ、たまにはこうしてみんなで食事するのも楽しいわね。話し相手がいると、食が進むわ」

「………」


 その言葉の端々から、コーリーはもしかしてマリアージュはいつも一人きりで食事をとっているのかもしれない……と思った。

 コーリーだって一人で食事する時くらいあるが、それは例えば試験前に教科書とにらめっこしながらサンドイッチを頬張ったり、学食でたまたま端の席しか空いていなかったり、そのレベルのお話だ。

 でもこんな広々とした食堂でこんな大きなテーブルに豪勢な食事を用意されながら、それを一人で食べる毎日は……少し寂しいかもしれない。

 その瞬間、コーリーはふとある疑問を覚え、思ったことをストレートに口にした。


「そう言えばマリアージュ様のご両親はご在宅なのでしょうか? 突然居候が二人も増えて、ご不興を買わなければいいのですが……」

「ああ、そのことね」


 コーリーの質問にマリアージュは微かに眉をひそめたが、すぐにいつもの笑顔に戻り、傍らに立つヨハンに向かってワイングラスを差し出す。


「別に気にしなくていいわ。父も、母も、私のすることに興味なんてないの」

「……え?」

「父のドミストリ公爵は仕事の虫で、あまりこの邸宅には帰ってこないわ。あなた達と偶然鉢合わせすることもないでしょう。逆に母は、究極の引き籠りでね」

「え? ………えぇ?」


 ヨハンが注ぎ足してくれたワインを飲みながら、マリアージュは何でもないことのようにうそぶく。


「母は極度の人見知りで、社交界にも滅多に顔を出さないわ。屋敷の東にある鳳の宮に年中引き籠って、娘の私にすら顔を見せないの。この前私が母と話したのは……いつだったかしら、ヨハン?」

「そうですね、確か半年ほど前だったかと」

「ええええ……」

 

 聞けば聞くほど、ドミストリ家の内情はひどいものだった。

 王家に匹敵するほどの権力を持ちながら、公爵夫妻とその娘に家族らしい交流はなく、それを語るマリアージュの口調もどこか冷めている。

 両親の他に3人の弟妹を持つコーリーからしてみれば、家族と半年以上会話がないなんてありえない話だ。


「そんなわけで鳳の宮には近づかないほうが無難ね。あそこのメイド達は母に似て、神経質な者が多いから」

「は、はぁ……」

「ったく、こんな両親だからこそマリアージュはわがまま放題の悪女になっちゃうのよね……」

「え?」

「何でもないわ、こっちの話」


 ワインで少し酔っているのか、マリアージュはいつもと比べて饒舌だった。

 コーリーはただただその内容に驚き、相槌を打つことしかできない。

 そしてスープ、メインディッシュ、デザートが運ばれ食べ終わる頃には、コーリーは人生の中で一番お腹いっぱいになっていた。

 締めのコーヒーを飲んだ後ようやく食卓を離れ、マリアージュに礼を言ってから自分の部屋に戻ることにした。

















「はぁ~、なんだか思ったより上流階級ってしがらみが多いんだねぇ……」

「………」


 割り当てられた部屋に戻る途中、コーリーはユージィンと長い廊下を歩きながら、先ほどの会話を思い出していた。

 公爵家のお嬢様は何となく無条件で幸せな人生を送っていると思っていた。

 けれど聞く限りマリアージュの両親の間に愛情はなく、娘に対してもさほど興味はなさそうだ。


「……ドミストリ公爵夫妻が政略結婚なのは、割と有名な話だよ」

「え、そうなの!?」


 これまでほとんど口を利かなかったユージィンが、ぼそり、と呟く。

 廊下のランプに照らされる横顔は、どこか苦しげにも見えた。


「子供も確かマリアージュ様一人だけだったと記憶してる。ま、皮肉な話だよな。政略結婚で生まれた子供が、今度は王太子との政略結婚を強いられてるんだから」

「……でも確か、ほんの少し前までマリアージュ様はルーク殿下に夢中だったって話を聞いたよ?」

「………」

「でも今は好きというより、すごく嫌いというか……マリアージュ様の方から殿下を避けてるようにも見えるけど、なんでなんだろう?」

「俺が知るわけない」


 ユージィンは、ハァ、と一つため息をつくと、脇目も降らずまっすぐに自分の部屋へと戻っていった。突然目の前でバタンとドアが閉められ、コーリーはなんだか突き放されたような気分になる。


「な、何よ。そんないきなり不機嫌にならなくても……」


 閉められたドアの前で、コーリーはツンッと唇を尖らせた。

 隙間風に吹かれたような寂しさが背筋を這って、急に心細くなる。


「最近マリアージュ様の話題になると、いつもこうだよね、ユージィン……」


 気心知れたはずの幼馴染の微妙な変化に、コーリーはもちろん気づいていた。

 もう一度振り返ってユージィンの部屋のドアが開かないことを確認してから、仕方なく自分の部屋へと戻る。


(あのデニスの事件以来、ユージィンは少し変わった。前のユージィンだったら、何があっても絶対メメーリヤ分院を選んだりしなかったもの……)


 なんだかすべてが面倒くさくなったコーリーは、ドレス姿のままベッドの上に寝っ転がる。

 表向き、ユージィンは気楽に仕事をするため、幼馴染のコーリーを助けるためにメメーリヤ分院を希望したということになっている。

 でも本当はメメーリヤ分院に来る前、元の就職先だった第一魔道士団から必死に説得されたのだ。


 ユージィンの才能が魔道士団には必要だと。

 そのために信じられないほど高額の給与も出すと。

 それほどまでに魔道士としての実力を買われながら、それでもユージィンは魔道士団の勧誘に最後まで首を縦に振らなかった。

 ――頑なまでに。


 そんな幼馴染の変化にコーリーは驚き、でも心のどこかで納得していたのだ。


(今日の食事の時も、ずっとちらちらとマリアージュ様を盗み見てたよね、ユージィン。バレバレなんですけど……)


 ユージィンに起きた心の変化の意味を、コーリーはしっかりと認識している。

 まだ本人に自覚はなくても、傍から見ていればわかるのだ。

 貧しい下町で出会ってから約15年、自分達はまるで実の兄妹のように育ってきたから。


(なんだろ、少し息苦しい。ユージィンの恋、できれば応援してあげたいけど……)


 コーリーは重い瞼を閉じながら、長い長いため息をついた。

 ユージィンとマリアージュ。

 コーリーはどちらのことも大好きだ。

 けれど二人の恋を応援した先にどんな未来が待っているのか。

 それを想像すると、なぜか呼吸ができなくなってしまう。


「はぁ、今日はやっぱり食べ過ぎたかな。なんだか苦しくて動けない……」


 ベッドの上で仰向けになりながら、コーリーは目尻に浮かび始めていた涙を慌てて拭いとる。

 




 ――淡い初恋。


 幸せと呼ぶにはあまりにも、不安定な甘酸っぱい想い。


 だけど誰もがその不安定な想いの欠片を必死に拾い集めて――眠れぬ夜を過ごすのだ。






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