第10話 法医術士・マリアージュの誕生2



 王立医術院メメーリヤ分院は、本院からやや離れた林の中にある。

 白い壁に囲まれた二階建ての建物は、ドミストリ公爵の本邸に比べれば、犬小屋のごとき狭さ。

 しかし中の施設に限って言えば、解剖可能な研究室が3つ用意され、遺体安置所には氷属性の魔法を利用した冷房設備が完備されているという周到さである。

 それら全ては王太子・ルークの計らいによって準備されたものであり――逆に彼の掌の上でいいように転がされているような気がして、マリアージュは日々屈辱を感じながら過ごしていた。


 そのメメーリヤ分院を、今、訪ねる人影がある。

 分院が開設されて以降『変人公爵令嬢』の噂がまことしやかに流れるようになり、ここに近づく奇特な者はほとんどいない。その奇特な一人が――


「ごきげんよう、マリアージュ様。その後何かご不便を感じてはおりませんかな?」

「まぁ、エフィム卿」


 王宮不舞踏会殺人事件でマリアージュに快く協力してくれた医術院院長――エフィムだった。

 マリアージュは笑顔で彼を執務室に迎え入れ、丁重にもてなす。


「それにしてもあのみすぼらしかった部屋が、見違えましたなぁ」

「フフフ、職場環境の改善は、仕事のストレスや疲れを大幅に軽減するという研究結果がありますのよ」


 マリアージュはエフィムを自分の向かいの席に案内しつつ、悪戯気にウィンクした。

 マリアージュの執務室はドミストリ家から運んだ家具で豪奢に飾られている。どうせ勤めているのは自分一人だけなのだからと……好き勝手やりたい放題である。


「この度は我が医術院への入局、心より御礼申し上げる。ご挨拶が遅くなって申し訳ない」

「よろしいんですのよ。多忙を極めるエフィム卿ですもの。むしろこんな末端の者にまで気を遣って下さり恐縮ですわ」

「………」


 マリアージュが苦笑すると同時に、エフィムは興味深げに白いひげを撫でた。それから人好きする笑顔を浮かべ、うんうんと頷く。


「いやはや、失礼ながらマリアージュ様は噂で聞いていた人物像と少し違うようですな」

「え?」

「失礼ながらお目にかかる以前は、誰よりも誇り高いが故に、近寄りがたい人物だと耳にしておりました」

「ホホホ、はっきり言ってよろしいんですのよ。以前は高飛車でわがままな公爵令嬢だった……と」


 マリアージュは自虐を込めて、含み笑った。

 実際思い返しても、自分はゲームの設定どおりの嫌な女だったと思う。

 事件に巻き込まれたのは不本意だが、前世の記憶を取り戻せたのは不幸中の幸いだった。おかげで、これからの人生を軌道修正できる。


「それら全てメメーリヤ様のご加護という訳ですかな」

「ええ、できれば永遠に続いてほしいご加護ですわね。ただし他の者には、気味悪がられるかもしれませんけど」

「そのことですが」


 メイドが運んできた紅茶に口をつけつつ、エフィムは相好を崩す。


「先ほど、レギウスから渡されたあなたの実験報告書に目を通しました。昆虫の生態から遺体の腐敗進行状況を推測するとは面白い。実に画期的な実験です」

「………! お褒めにあずかり光栄ですわ!」

 

 マリアージュは思わず大きく身を乗り出した。

 あの実験の意義をわかってくれる医術士はとても貴重だ。

 さすがエフィム。さすが長く医術院の長を務めるだけはある。

 孤高の戦いを覚悟していたものの、理解者が現れれば、やはり素直に嬉しい。


「ですがあいにくと、わしらの常識の中に『死体を診察する医術士』という概念はない。メメーリヤ分院に配属されたあなたの仕事が、本当の意味で評価されるのはずっとずっと先の未来になりましょう」

「評価? そんなもの別に欲しくはありませんわ。それよりも殺された被害者の無念が、杜撰な捜査によって闇に葬られてしまうことのほうが、よっぽど恐怖ではありませんこと?」

「ほぅほぅ……」


 マリアージュの語る言葉に、エフィムの笑みはますます深くなる。顔中に刻まれた皺は老人のそれだが、キラキラと輝き始めた瞳は少年のようでもあった。


「立派なお心がけです。マリアージュ様、あなたは今までの医術士とは違う、型破りな医術士となられるのでしょう。名づけるならば―――そう、”法医術士”」

「”法医術士”――」


 現代の日本の名称とは違うが――自分が目指す理想は、結局はそこに落ち着くのだろう。

 マリアージュは鼻息荒く、ドンッと胸を張ってみせた。


「上等ですわ。誰に奇人変人扱いされようと、私はこの道を究めてみせます!」

「うむ、心強いお言葉じゃ。そこで一つ提案なのですが」


 今度はエフィムがぱちんと悪戯気にウィンクし、内緒話をするかのように人差し指を前に差し出す。


「我が国で初めての法医術士となられるマリアージュ様に、一人助手をつけようと思うのですが……いかがかな?」

「助手? そんな物好きがどこにいるのです?」


 マリアージュは首を傾げた。

 確かに遺体の解剖をするにあたって、人員が確保できるならありがたい。でも誰が喜んで解剖の手伝いをなどするだろうか。

 法医学が常識であった日本でさえ、法医学を専攻する学生や技師は極端に少なかった。この異世界では……言わずもがな。

 エフィムの気遣いはありがたいが、上の命令でいやいや働く助手ならば、むしろいないほうがせいせいする。


「それはホレ、目の前に」

「目の前?」

「そう、目の前」

「………………」


 にこにこにこ。


 エフィムの言わんとしていることを数秒遅れで理解し、マリアージュは思わず奇声を上げた。


「え……えぇえええーーーーーっ!? も、もしかしてエフィム卿、あなたですか!?」

「ピンポーン。正解じゃ」


 語尾に♪をつけ、エフィムはマリアージュの助手に自ら立候補した。さすがのマリアージュも驚きを隠せず、だらだらと冷や汗を流す。


「ですがエフィム卿は医術院の院長というお立場にあり……」

「あ、それね。さっき辞めてきた♪」

「はぁ!? 辞めてきた!?」


 まるでラーメン屋からの帰りだとでもいう風に、エフィムの言葉尻は軽かった。治癒士には劣るとは言え、医術院の長となれば聖騎士と並ぶほど名誉ある役職だ。それなのに……。


「いやぁ、この老いぼれもそろそろ後進に道を譲る年ですしなぁ。新しい院長には、パエス家のシバルリー卿を推薦しておきました」

「は、はぁ……」

「そんな訳でして、後腐れなくマリアージュ様の助手ができるというものです。このような非力な年寄りにどれくらいの手助けができるかはわかりませぬが……」


 不意に声を潜ませ、エフィムはマリアージュの耳元で囁く。


「ですが【元医術院・院長】の肩書は、今後何かのお役に立てるやもしれませんぞ?」

「……っ!」


 ――言われてみれば確かに!!!

 

 エフィムの甘い誘惑に、マリアージュは呆気なくよろめいた。

 【元・医術院院長】の肩書があれば、今後司法解剖することがあっても本院の許可を得られやすいだろう。

 また後進に道を譲ったとは言え、長年院長を務めてきたエフィムの発言力は強く、様々なケースで大きな影響を及ぼすに違いない。

 

 ―――THE・権力。

 

 エフィムの持つ武器は、後ろ盾も実績もないメメーリヤ分院にとって、あまりにも魅力的だ。マリアージュは、思わずごくりと生唾を飲み込む。


「ほ、本当によろしいんですの? 私にしてみれば願ったり叶ったりですけど、こんな末端の組織に与して、エフィム卿に一体何の得が……」

「得ならば山のようにありますぞ。この年になって今まで知らなかった『遺体の診療法』を、新しく学ぶことができるのですからな!」

「!」


 知的好奇心に突き動かされただろうエフィムは、ふぉっふぉっふぉっと高らかに笑ってみせた。

 孫どころか曾孫ほど年の違う小娘に本気で弟子入りしようとする真摯な姿に、マリアージュは感動すら覚えてしまう。


「……感謝します。卿のお申し出、ありがたく受け入れさせて頂きますわ」

「なんのなんの。礼を言うのはこちらのほうです。法医術に関しては全くの素人ゆえ、どうかご教授下され」


 二人は大きく頷くと、固く手と手を握り合った。

 異世界でたった一人孤独な戦いを強いられるか……と思いきや、天はマリアージュを見捨てなかった。


 エフィム=アーメント。


 慧眼の士である老人の存在あってこそ、”法医術士・マリアージュ=ドミストリ”は誕生したのだ。


「ではこれから老骨に鞭打って、法医術を究めましょう。――あ、儂が怪しい事件や事故で死んだ時は、ぜひともマリアージュ様に解剖をお願い致しますぞ♪」


 おちゃめなブラックジョークをかっ飛ばす彼は、これ以後文字通りマリアージュの右腕となる。

 そして二人の関係はいつしかルークが嫉妬するほど強い絆に成長し、難事件を解決する原動力となるのだった。




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