第6話

オレは夢を見た。

元カノにキスされる夢。

暖かくて柔らかい唇の感触が妙にリアルで口元が熱っぽい。

体中が凄く酒臭くて拒絶しようとしたが、彼女は強引にベッドへ押し倒した。

どういう訳か上着を脱いでズボンのファスナーをゆっくり開ける。

馬乗りにされたオレは一切身動きが取れない。

このままではどう足搔いてもされるがまま。

多少身の危険を感じたが、不思議と嫌な気分にはならなかった。むしろ、こういう雰囲気は久しぶりで素直に嬉しくなった。

どうせやるならシラフの時が良かったが、今日の所はこれでいい。

再度、唇に柔らかい感触。

今度は舌まで入れてきた。

刺激が強すぎて今にも失神しそう。成長した胸を押し付けられ、あらゆる欲望と感情が交差し暴走する。


「ゴメン……なさい……」


興奮が最高潮に達した最中。何故か謝られた。

何度も何度も、自分を悔いるように謝られた。


「ハルト……」


目頭を赤くしてすすり泣く声。息も絶え絶えにオレの名前を静かに呼ぶ。


「許して……」


とうとう意識が限界を迎えた。視界が徐々に白く染まっていき、彼女の艶めかしい息遣いが遠くなる。

夢というのは薄情だ。ちょうど良い所でオレの頭はシャットダウンした。


■■■


「——はっ⁉」


窓の外で鳴く雲雀。

雲間から眩い光が差し込む早朝。

勢い良くベッドから上体を起し、重たい瞼をこれでもかと擦る。


「いつの間に寝てた、オレ……?」


慌てて昨日のことを振り返ろうとするが、頭痛と耳鳴りが酷くて脳が正常に働かない。

お酒を飲んで一途が酔い始めた所まで正確に覚えている。しかし、それ以降の記憶がすっぽり消えていて気持ち悪い。


「一途、まだ寝てる?」


辺りをキョロキョロ見渡し、彼女を探す。だが、どこにも気配がない。


「もしかして、もう帰っちゃった……?」


机の上にあったはずの空き缶やピザの残骸が見当たらない。代わりに大きな袋が二つ。ベッド横に置かれてあった。


「あれ、一人で片付けたのかよ……」


あんなに酔ってたくせにこういう所は律儀だ。

見てくれがヤンキーのせいで勘違いされやすいけど、彼女は誰よりも清楚で真面目な女の子。たとえ気心が知れた仲でも細かい気遣いは欠かせない。だからこそ、オレ達の関係が拗れてしまったのかもしれない。


「——ん?」


もう一度、机の上に視線を移すと大皿が二つに茶碗が一つ。ご飯らしきものが並べられてあった。

オレはベッドから立ち上がり、ご飯の正体を確かめる。


「赤鮭と玉子焼きに、ウィンナーと白ご飯……」


これはひょっとして朝ご飯なのだろうか。どれも熱々で作りたてだ。

ご飯の横にメモ帳から切り離したであろう紙きれが置かれてあった。


『今日は部屋泊めてくれてありがとう。久しぶりにメチャクチャ笑わせてもらった。でも、もう私とは会わないで欲しい。さよなら——』


と、よく分からない内容が書かれた置き手紙だった。

メチャクチャ笑ったくせにもう会いたくないとか矛盾してないか……?

胸の奥がモヤモヤする中、お礼として作ってくれた彼女の朝ご飯を美味しく平らげた。


■■■


登校日に二日酔いは辛い。昨晩は少々はしゃぎ過ぎた。

今日のスケジュールは昼から英語系が二連チャン。四回生になってもゼミ以外の講義に出向かないといけない現状。しかもほとんどの人が三回生のうちに取り終えている必修科目。昨年までの自分が恨めしい。

吐き気を堪えながら講義室に到着した。


「オレの席はどこだ?」


少人数制とあって座る席は予め決まってある。前に貼り出された席順表を見て、指定された席に着いた。


「はぁ……」


やる事がなく無心にひたすら前を見詰ていると、隣の方から小さな溜息が聞こえてきた。オレは何の気なしに、隣に目をやる。


「「あっ……」」


お互いの顔を見るや否や、間抜けに声が重なる。

なんと隣の席に座っていたのはふてぶてしく足を組む一途だった。


「おお、一途じゃん‼昨夜ぶり‼」

「……」

「もう朝には居なかったけど、何時に帰ったの?」

「……」

「朝ご飯ありがとな。美味しかったぜ」

「……」

「つか、昨日と同じ服じゃん。着替えないと酒臭くなるぞ」

「……」


何を言っても聞く耳を持たず。見事にシカトされた。

頬杖をついて他所を見詰める。


「オレの声聞こえてるよね?」

「……」

「これはもしかしてオレがいつの間にか幽霊になっちゃったパターン⁉既に昨晩の時点でオレは死んでて誰にも姿形を認識されてない。隣の人間に声すら届けられないパターン⁉」

「……」


少しふざけてみるが、全く反応しない。話しかけなんなオーラが凄い。

ここまで意地を張るなら仕方ない。周りの目も気になるが強硬手段に出よう。

オレはゆっくり手を伸ばし、一途の肩にチョンと触れた。


「ひっ⁉」


脇腹を触れられた瞬間、ビクッと背筋が伸びる。ついでに可愛いらしい声が漏れ出た。


「アンタ、マジ何してんの‼急に体触ってこないで。キショイ、ヘンタイ、チカン野郎‼」

「ゴメン、ゴメン。そんなプンプン怒らないで」


一途はリンゴよりも顔を真っ赤にして、羞恥を堪えるように唇を強く嚙み締める。

派手に取り乱し、危うく椅子から転げ落ちそうになっていた。


「でも元はと言えば、オレのことシカトする一途が悪いじゃん。メッチャ酷くない⁉」

「あの置き手紙、ちゃんと読んだ?」

「読んだよ」

「私に話し掛けるなと忠告したよね?」

「うん」

「忠告守って」

「イヤ」

「は?」

「イヤ」


二度強く否定してやった。

一途は険のある表情で赤く染まった目を鋭く細める。


「私に二度と関わらないで」

「どうして?」

「アンタのこと嫌いだから」

「ウソつき」

「ウソなんかじゃない。ガチで嫌い」

「じゃあ、どういう所が嫌い?」

「全部」

「アバウトだな」

「これ以上、口を開くな。イライラする」


今日はやけにツンケンしている。一途も二日酔いで機嫌が悪いのかもしれない。青白い顔を見た感じ明らかに本調子ではなさそうだ。


「つか、これってペア学習中心の講義だよね?」

「うん」

「この席だとペア相手がアンタになるんだけど……」

「おお、やったー!」

「チッ……‼」


聞こえよがしに大きく舌打ち。長い脚が貧乏ゆすりを始める。ガタガタと机が悲鳴を上げて痛そう。


■■■


講義が始まって五分後。早速、ペア学習の時間に入った。

周りがガヤガヤと騒ぎ始める中、オレ達のペアだけ沈黙を守ったまま正面を向き合っていた。


「——今日色々訊きたいことがある」

「講義中に私語は厳禁。早くジョンとポールの会話始めるよ」


教科者を指差して、話題を逸らす。

今はジョンとポールの会話なんかどうでもいい。

教科書には一切目もくれず、一途の顔を真っ直ぐ見詰める。


「昨晩、オレとイチャイチャしたか?」

「は?」

「イチャイチャというなんというか……オレとセックスしたよな?」

「はぁぁぁぁあ⁉」


いきなり過激かつ偏差値の低い発言。堂々とデリカシーの欠片もない質問を直球で投げてしまった。

当然、一途は激しく動揺し、思わず大きな声が漏れ出る。


「ゴメン。実は今日、お前とエッチする夢を見ちゃったんだけど、それが妙にリアルで気持ち良かったんだ。だから、もしかしてと思って……」

「サイテー。生理的にムリ。半径五メートル以内に近づいて来ないで。シャラップ‼」

「ゴ、ゴメン‼」


これは流石にふざけ過ぎた。たとえ元カノ相手とはいえ、発言には気を付けないといけない。

一途は即座に早口で罵倒し汚物を見るような目でオレから距離を取った。


「その反応を見る限り、オレのとんだ勘違いだったみたい。今のは忘れて」

「う、うん……」


なんとなく歯切れ悪いの返事。一瞬、目が不審に泳いだ。

一途の小さな動揺に少し違和感を覚えるが、これ以上問い質しても禅問答が繰り返されるだけだ。大人しく引き下がった。

またも束の間の沈黙が訪れる。


「——もう一つ質問いい?」

「なに?」

「この大学に入学してきたのは何故?」


昨日、最初に訊き忘れていたこと。

彼女は高校を卒業するまで大学に進学せず社会人になることを希望していたと風の噂で聞いていた。実際に働き先は卒業する前に決まっていたらしい。なのに、どうしてわざわざ一年遅れでうちの大学に進学してきたのだろうか。ちょっと気になる。


「お母さんが大学に進学しろってうるさかったから」

「えっ、そうなの⁉あのお母さんが⁉」


一途のお母さんは基本的に放任主義。娘が選んだ人生に一々口出しするような人間ではない。

比較的おっとりとした性格で、娘の意見を一切否定せず親として尊重する人格者。そんな人が娘に大学進学を強制するなんて珍しい。


「“私のせいで娘を不幸にさせたくないから”とか言ってた」

「それってどういうこと?」

「知らない。私は別にお母さんのお世話で不幸になったとは思ってない」

「お世話……?」


ここでタイムアップ。話の途中で教授の終了の合図が遮る。

まったくタイミングが悪い。五分は短すぎる。


「続きはまた講義が終わったら話そう」

「イヤ。もう話さない」


オレの誘いを無下に拒否される。

こちらに背を向けて視線を逸らされた。


■■■


あれから講義中に何度かペア学習の時間があったが、何も喋らなかった。

一途は仏頂面で窓の外を見ていて、一向にオレと目線を合わせようとしない。全身から殺気を放ち、安易に近づくなと警告する。


「——なあ?」

「ん?」


講義が終わって立ち上がろうとした直後。一途が急にオレの服の裾を引っ張ってきた。


「やっと喋る気になったか?」

「別にそういうわけじゃないけど……私からも一つ訊きたいことがあって……」

「おお!なになに?」

「ちょっと顔近い。離れろ!」


一途からの質問なんてまたとない機会だ。思わず至近距離まで顔を近づけてしまう。


「今更かもしれないけど……」

「うん」

「……」

「どうした?」

「……」


オレの顔の圧が凄すぎて、一途が言いにくいそうに視線を左右に振って口籠る。徐々に頬が赤く染まり、所在なさげに自分の手元を見詰める。


「わ、わたしの……ど、どこに惚れたの?」


口元の筋肉が強張り舌足らずに訊いて来た。

オレの返答を聞くよりも先に、耳を真っ赤にして急に立ち上がった。


「やっぱ今のなし!こんな事訊くなんて普通にキモイよね」

「いや、待って‼」


慌てて逃げようとした一途だったが、オレが咄嗟に手を伸ばし彼女の手首をガッシリ掴む。


「人一倍嫉妬深くて、負けず嫌いで、ないものねだりしちゃう。そのくせ、何かと一人で背負いがち。あと、天邪鬼で変に意地っ張り。そういう所が全部愛しくてて、メチャクチャ惚れた」

「ええっと……。本人が言うのもおかしいけど、どこに惚れる要素があった?」

「だから全部」

「いやいや、どれも嫌われる要素しかないじゃん‼性格に難あり過ぎて引く。そんな面倒くさい女、よっぽど物好きなヤツじゃないと惚れないでしょ‼」

「そうか。じゃあ、オレはよっぽどの物好きだったのか。こりゃあビックリ。誇らしいわ!」

「はぁ……。頭ん中お花畑かよ」


一途はこめかみに指を当て、深く溜息をつく。

オレは何もおかしな事は言っていないはず。決して惚れ症で脳みそ空っぽのおめでたいヤツじゃない。


「虚勢を張り続ける姿を見ていると、なんか無性に守ってあげたくなる……庇護欲的なものがそそるというか、心配で目が離せないというか……」

「なにそれ。子供扱い?ずっとバカにしてたの?」

「いや、そういう事じゃなくて……なんというか……」

「もういい‼」


言葉選びというのは難しい。自分の気持ちを上手く説明できず、悪い方に勘違いされてしまった。

一途はオレの手を振り解き、講義室のドアを荒々しく開ける。


「一途‼」

「デカい声で私の名前呼ばないで」

「じゃあ、新島‼」

「苗字でも呼ぶな‼」


このまま勘違いされるのもイヤだが、オレもまだ一つ訊きたいことがある。

周りの目も気にせず再度、強引に呼び止める。


「一途はオレのどこに惚れて付き合ってくれたの?」

「へ?」

「ちゃんとオレにも教えて欲しい……」


元々、適当な成り行きで誕生したカップル。お互いハッキリと自分の気持ちを打ち明けたことがなかった。

だから、オレは知りたい。今更だけど、知りたい。


「——どんな事も全て受け止めてくれる包容力。でも、今はそういう所が苦手。とても怖い」


一途はそう言い残し、講義室を後にする。

後を追いかけようとしたが、足が速くてあっという間に見失った。


「惚れたのに怖いってどういうこと……?」


包容力というのは本来、安心できる要素なのでは?

現に彼女はそういう部分に惹かれて好きになった。なのに、どうして、何をキッカケに“安心”から“恐怖”へ——相容れない感情に移り変わってしまったのか。

考えても、考えても謎が深まるばかり。

感性が乏しいオレには理解できない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る