第35話 封印されしもの

 酒蔵だと思って入った場所はどうも様子がおかしい。

 

 大きな酒樽は並んでいるのだが、建物の突き当りに祭壇のようなものがあり、その裏側が青白く光っている。

 姫花はその光に吸い込まれるようにして歩いていた。

 

(姫様、その先に行ってはなりません! 姫様!)

 

 蒼葉は姫花の足元をぐるぐる回る。

 いつもなら狸の声が聞こえているかのように答えてくれる姫花だが、今は蒼葉の存在にすら気づいていないようだ。


 真っすぐ光の方を見つめる彼女の目は、空から降ってきた黒い塊のように真っ黒で生気がない。


(早く止めないと!)


 姫花がいくら痩せていても、狸の力で引き留めるのは難しい。

 蒼葉は人になろうと辺りを見回すが、酒蔵の中は綺麗に掃除されており、服に変えるための木の葉はおろか塵一つ落ちていない。


(むむむ、人の姿で全裸になるのはちょっとな……)


 躊躇っている間にも姫花は前に進んでいた。あと数歩進んだら、彼女は光に飲み込まれてしまう。


 光の先がどうなっているのか全く分からず恐ろしいが、妖の封印を解いたのであろう行雲や惣田の気配が酒蔵にない。


 ということは、行雲たちもあの光の向こうにいるのだろうか。

 もしそうでなかったとしても姫花を一人行かせることはできないと、蒼葉は意を決して彼女とともに光の中に飛び込んだ。



 

(ここは……)

 

 眩い光に包まれたかと思いきや、次の瞬間蒼葉は暗闇の中に放り出されていた。


 暗い森の中、木々に囲まれた空間にぼろぼろの小さな祠が建っている。


 見覚えがあるのは以前、行雲が山の妖と戦った時の場所と同じだからだろう。

 蒼葉は歩みを止めない姫花に続いて、恐る恐る祠の裏に足を踏み入れた。


 前回は気づかなかったが、祠の裏側になんとか人一人が通ることのできる獣道がある。 

 そしてその先にはおぞましい邪気を放つ、真っ黒な池があった。


 恐らくここは神域のような特別な場所だ。  

 ――どす黒い池に横たわる大きな泥の塊は、最早神と呼ぶに値する存在ではなさそうだが。


(堕ちた龍。恐らくこれは龍神様……だったもの)


 泥のような見た目からは分からないが、溢れ出る凄まじい妖気と、大きく長い図体からそうでないかと思う。


 以前山で出会った妖は完全体ではなく、堕ちた龍の一部だったに違いない。


 圧倒的な格上を前に狸の毛はぶわりと逆立ち、足は勝手にガクガク震える。

 龍は神に等しく、妖の中でも最上位の存在である。化け狸など全く相手にならない。


 泥の塊が蒼葉に対して攻撃を仕掛けてくる様子がないのは、相手にする必要のない下等な妖だと思われているからだろう。


(旦那様! 惣田さん!!)


 真っ黒な池のほとりに軍服姿の男が二人転がっている。

 妖にやられてしまったのか彼らはぴくりとも動かず、少し離れたとこからでは生きているのかさえ分からなかった。


(ど、どうしよう。どうすれば……)


 すぐにでも彼らの安否を確かめに行きたいが、泥の塊を刺激してしまったら蒼葉は一撃でやられてしまう。


 正面きって戦うことなどできるはずがない。しかし、相手はあまりに邪悪で話で解決できるとも思えない。


 恐怖で足がすくんでしまった蒼葉に対し、姫花はどんどん池の方へと近づいていく。

 

『ヨメ……ヨメカ……ツイニ、ヨメガキタ』


 泥の塊は地響きのような声とともに、頭らしき部位をむくりと持ち上げた。


(嫁? 姫様のこと?)


 龍神だったものはずっとお嫁さんを求めていたのだろうか。


 何故泥のようになってしまったのか、何故封印されてしまったのか、姫花こそが本当に求めている花嫁なのか、蒼葉の頭に次々疑問が浮かぶ。


『ツイニ……ヨメ……オオオオオオオ!!』


 泥の塊にぱっくり穴が開き、姫花を丸ごと飲み込もうとする。


 蒼葉は慌てて近くにあった葉っぱを使って人に化け、恐怖に震える声で叫んだ。


「龍神様! あなたの嫁はこっちです!!」


 泥の塊はぴたりと動きを止めた。


「ほら。私の方が可愛くて健康で、丸々していて素敵じゃないですか?」


 そう付け加えると、姫花を喰らおうとしていた頭の部分はゆっくり蒼葉に向かって伸びてくる。


 へどろのような塊からはむせかえるような腐臭がして、蒼葉は思わず息を止めた。


『ヨメ……コッチ、ホンモノ……』

「そうです! 私を食べさせてあげますので、他の人たちは解放してください」


 一か八かの賭けだった。

 化け狸であることに気づかれてしまえば、いっかんの終わりである。


 姫花と行雲を家族のもとへ帰してあげたい。耕雨とも約束した。だから、どうか――。


『……ホンモノ、ヨメ……オオ、オオオ!!』


 雄叫びを聞いた次の瞬間、蒼葉は臭く、冷たく、ねっとりしたものに包まれる。

 息ができず、徐々に意識が遠のいた。

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