第21話 犬……いや、狸です

(むむ……あそこの軒先に吊るされている提灯は妖の類ですね)


 蒼葉は古い家屋の前で立ち止まり、「ぎゅっ」と鳴いて行雲に知らせる。


 とうもろこしをお腹いっぱい食べたせいで鞄の中が窮屈に感じられ、蒼葉は犬のようにふんふん匂いを嗅ぎながら歓楽街の外れを歩いていた。


 すれ違う人々は不思議そうにこちらを見るが、軍服姿の行雲を恐れてか誰も話しかけてこない。


「提灯……付喪神の類か。邪悪な気配はあるか?」

(いえ。たぶん妖に成り立ての若造といったところですね。何かをしたとしても人を驚かすくらいでしょう)


 蒼葉は首を横に振って行雲に伝える。


 モノが長い年月をかけて妖になった場合、人間に強い恨みがある場合を除いては非常に大人しい。

 人に怪しまれ、不気味がられて壊されてはいけないからだろう。


「害がないならそのままで良い」


 行雲がそう言うので、蒼葉は再び歩きながら匂いを嗅ぎ始めた。


「なかなか見つからないな。もっと人を食っていそうな大きな妖を探してくれ。美しい女の姿をしているらしい」


 行雲はいつもより早口で、言葉に焦りが滲んでいるようだ。

 

(そうは言いましても……)


 化け狸は探知に特化した妖ではない。それに、妖の力を階級で表すとしたら化け狸は中の下といったところだろうか。


 気配がだだ漏れな妖なら簡単に察知できるが、上手に気配を消しているであろう妖を広範囲の中から探し出すことは困難を極める。


「こういう時こそ惣田がいれば……」


 行雲からついに漏れ出た一言に、蒼葉は不甲斐なく感じてしゅんとした。

 

 惣田という男は人間業とは思えないほど気配の消し方が上手い。きっと、同じくらい気配の察知にも長けているのだろう。


「若い女の方が良いのだろうか」

(え?)


 ぴたりと寄り添い歩く男女を視線で追いながら、行雲は言う。


「女の姿をした化け物に攫われたというのは浅名館せんめいかんの舞台女優だ。支配人と夜の裏道を歩いていたところ被害に遭った」

(女優さん。それはお綺麗な方だったのでしょうね)


 果たして女優を連れ去ったのは本当に妖なのだろうか。同行していたという男が妖のせいにしている可能性だってある。


(人間のちじょうのもつれ、とかいうやつのせいでは――ん?)


 行雲の視線が今度は狸姿の蒼葉に向けられている。嫌な予感がした。


「……ポン太、女に化けられるか?」

(化けられますけど、旦那様の前では化けられません!)


 蒼葉はぶんぶんと首を振る。「この役立たずが!」と言われるかと身構えたが、行雲は「冗談だ、危険だしな」と言って狸の頭を優しく撫でてくれた。


◇◆◇


 朝方まで歓楽街を彷徨い歩いたが結局目的の妖は見つからず、蒼葉はどんよりした気持ちで百鬼の屋敷に戻ってきた。

 

 行雲は決して役立たずの狸を責めなかったが、内心呆れているはずだ。

 溜め息をひとつして洋館三階の自室の扉を開ける。


「わ……わぁ……」


 室内の惨状を目の当たりにした蒼葉は思わず声を発した。


 扇家から持ってきた小さな箪笥の中身は床にひっくり返されており、お気に入りのふかふか『べっど』の上には土が盛られていた。


 部屋の中に入ってよく見ると、姫花の母が持たせてくれた着物は無惨にも鋭利な刃物で切り刻まれているうえ、これまた嫁入り道具として持ってきた鏡台の鏡は砕け散っている。


「これは酷い……」


 化け狸の蒼葉には大して必要ない嫁入り道具だったが、扇家の人が結納金の一部を使って揃えてくれたものなので悔しくて悲しい気持ちになる。


 更に『べっど』に盛られた土では、大きなミミズが蠢いていた。


(香水の残り香からして、たぶんレイさんの仕業だと思うけど、ここまでどうやって運んだんだろう)


 嫌がらせのために置いたのだろうが、残念ながら蒼葉には効かない。

 何故なら虫やミミズは狸の好物だ。美味しい人間食に慣れてしまった蒼葉は全く食べる気にならないが。


「散らかったものは明日片付けるとして、ひとまずべっどの上をどうにかしなくちゃ」 


 蒼葉は寝台に被せられた大きな布を、ミミズ入りの土を包むようにして剥いだ。


 それを風呂敷のように結んで、中身を庭まで捨てに行く。

 

(この布は明日洗濯すれば綺麗になるよね。一緒にレイさんのべっどの布も洗ってあげよう)


 蒼葉は狸姿に戻り、ずたぼろにされた着物の上で眠りについた。

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