第8話 もしかしたら絶体絶命

(もしかして、早速正体がバレた!?)


 何かを見透かしたように微笑む耕雨を前に、蒼葉は固まる。緊張して今にも口から心臓が飛び出しそうだ。


「ええっと……その……」

「扇家の末娘は確か姫花さんだったと思うけど」


 耕雨はさらりと言ってのける。


 百鬼側は噂に聞く「扇家の末娘」をご所望で、姫花の名前までは知らないだろうというのが扇家の見解だったが、どうやらそうでもなかったらしい。


「私は……そう、養女なんです! 扇家の末娘であることに間違いはありません」


 蒼葉は扇家の人たちと予め考えておいた言い訳を述べた。


 百鬼側の要望は「姫花」でなく「扇家の末娘」だ。蒼葉こそが今現在、扇家の末娘であるのならば、約束は守られる。


 姫花の母には「これは最終手段だから、不審に思われないよう振る舞うこと」と言われていたが、致し方ない。


「なるほどね。体の弱い娘を嫁にやるのを躊躇って、代わりに君を送り込んだというわけか」


 耕雨は顎に手をあて、小さく頷いた。

 身代わり花嫁が化け狸であること以外は全てお見通しのようだ。


 このままでは扇家の人たちが責められることになる。そうしたら、結納金は取り上げられるか、体の弱い姫花を無理やりここに連れて来るよう言われるかもしれない。


 蒼葉はさっと青ざめ、本日二回目の土下座をする。これで赦してもらえるのなら何度だって膝と頭を地につけよう。


「全部私が考えたことなんです! だから、扇家の人たちを悪く思わないでください!」


 ドキドキしながら相手の反応を窺っていると、耕雨は「そんな風に謝らなくてもいいよ」と言ってくれる。


「誰にも言わないから大丈夫。本当は申し訳なく思ってたんだ。扇家の末娘の話をうっかり義姉さんにしてしまったのは僕だから」

「良かったぁ……」


 蒼葉は顔を上げ、安堵の溜め息をついた。


 何でも、耕雨は扇家に出入りしている植木屋から、酒屋が経営難であることと、病弱な末娘の話を聞いたらしい。

 夕食どきに何気なく世間話をした翌週には、縁談がまとまっていたという。


(へー。そんなことがあったんだ)


 姫花は家に篭りきりの自分の存在をどこで知ったのかと不思議に思っていたので、いつか会えたら教えてあげたいものだ。


「義姉さんは――しっかりしてそうで意外と抜けてるところもあるから今のところ気づいてないみたいだし、何かあった時は僕がどうにかするよ」

「ありがとうございます!」

「……でも、君はこれで良かった?」


 耕雨は眉尻を少し下げて尋ねた。

 百鬼家の暮らしに満足している蒼葉には、何故彼がそこまで心配するのか分からない。


 けれど、彼は本当に心優しい人間なのだと獣の直感が告げている。


「勿論です。扇家に命を助けてもらった身なので役に立てて嬉しいです。それに、このお家は快適ですし、旦那様も動物想いの優しい人です!」


 蒼葉が笑顔ではきはき答えると、彼は一瞬目を見開き、それから再び笑顔を見せた。


「そうか。僕が不在の間、この家をよろしくね」


 そう言うと、耕雨は洋館を出て行こうとする。

 玄関の外からは、かたたん、かたたん、と自動車の動力音が聞こえてきた。


「あれ。荷物は大丈夫ですか!?」

「ああ。君と少し話したかっただけ。じゃあ行ってくるよ」

「行ってらっしゃい! お気をつけて!」


 蒼葉は慌てて見送りに出た。座席には既に大きな手提げ鞄が二つほど積まれている。

 耕雨が乗り込むと、運転手はすぐに車を走らせた。


(ふぅ……)


 車が見えなくなったところで蒼葉は思わず一息つく。まだ朝だというのに、どっと疲れが押し寄せてくる。


 良い天気だから狸姿になって日向ぼっこでもしようか。そんな考えが頭をよぎったその時、誰かが大きな声で名前を呼んだ。


「蒼葉様!!」


 驚き振り返ると、洋館の裏から両手に大きな籠を抱えた夏帆が現れた。


「探しましたよ! どこに行ってたんですか〜」

「そうだ、朝ごはん!!」


 蒼葉はハッとする。

 日向ぼっこなどしている暇はない。お義母様に自分が役に立つ嫁であると示さなければならないのだ。


「朝食の準備はもう終わりました。洗濯の手伝いをお願いします」

「はいっ!!」


 小走りに歩く忙しそうな夏帆の後を追いかけているうちに、ぐぅぐぅお腹が鳴り、蒼葉は重要なことに気づく。


 そういえば、朝ごはんを食べていない。


「あの……私の朝ごはんは……」

「残念ながら、先程菖蒲様が来て捨てられちゃいました」

「そんな! 何て勿体無いことを〜!」


 外には飢えた動物――いや、人間だってたくさんいるのに、食べ物を粗末にする者がいるとは。お金持ちの考えることは分からない。


「菖蒲様の言いつけを破って、朝食抜きだけで済んだのならついてますよ」

「そうですか……」

「昼ごはんは食べれるよう、頑張りましょう! 洗濯板を持ってくるので、ちょっとこれ、持っててください」


 夏帆の持っていた包みはどうやら洗濯物らしい。ずしりと重い塊を手に、蒼葉は名案を思いつく。


(そうだ。後でごみ捨て場所を聞こう)


 もしかしたら豪華な残飯にありつけるかもしれない。蒼葉は期待に胸を膨らませるのだった。

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