第3話 すろーらいふは前途多難

 百鬼家に嫁いできて早々、旦那様に拒絶された蒼葉だったが気づいてしまった。蒼葉がここへ来たのは、旦那様に愛されるためではない。


 蒼葉の目的は命の恩人である姫花の身代わりになること。そして、食事に困らない安全な場所で『すろーらいふ』を送ることである。


 旦那様に結婚する気があろうと、なかろうと、この家に居座ってしまえばこっちのものだ。


 蒼葉は扇家が用意してくれた嫁入り荷物のうち、身の回りの品を入れた革製の旅行鞄を持って洋館の扉をくぐる。


「出迎えが遅くなりすみません! 蒼葉様、お鞄をお持ちします」


 とぐろを巻いた階段から、おさげ髪の若い少女が下りてきた。この家の使用人なのだろう。彼女の白い前掛け姿に、蒼葉は『かふぇー』で仕事をしていた頃を思い出す。


「はじめまして、今日からお世話になる蒼葉です」


 嫁ぎ先では相手が誰であれ、進んで挨拶するよう教えられた蒼葉は深々と頭を下げた。

 少女もはっとして、同じように頭を下げる。


「住み込みで家事のお手伝いをしています、村木夏帆むらきかほと申します。今、お部屋に案内しますね」


 夏帆は人懐こい笑みを浮かべて言う。あの鬼ばば――いや、お義母様と一緒に住むことになると思うと少しばかり憂鬱だったが、このお手伝いさんとは良いお友達になれそうだ。


「こちらの洋館と昔ながらのお屋敷は一階部分で繋がっています。洋館の一階は主に応接間、二階に旦那様の書斎があり、三階には小さな部屋がいくつかあるという造りです」


 蒼葉は邸宅の説明を受けながら、ぐるぐるの階段を登る。


「お義母様と旦那様はお屋敷の方に住んでいるんですか?」

「はい。菖蒲あやめ様はあまり洋物がお好きではありませんので。行雲ゆくも様の部屋はどちらにもありますが、あまり家に帰って来ません」

「百鬼の家は林業を営んでいると聞きましたが、行雲様は軍人なのですよね?」


 蒼葉は不思議に思う。百鬼家は開国を商機に林業を拡大し、成功を収めた家だと姫花が言っていた。

 普通、人間は長子が家業を継ぐものだ。何故、百鬼行雲は百鬼家の次期当主と言いながら、全く関係ない仕事をしているのだろう。


「私も詳しくは知りませんが、先代――行雲様のお父様が亡くなられた後、行雲様はまだ小さかったので家業は先代の弟が継ぎ、行雲様は何故か自ら進んで軍に所属されたとか」


 夏帆は呆れたように「ただ、菖蒲様は行雲様に家業を継いでいただきたいと思っているようですね」とつけ加える。


「なるほど」


 蒼葉は何かを理解したように頷くが、実のところ何も分かっていない。新たに知ったのは、お義父様は既に亡くなっているということくらいだろうか。


「ここだけの話、菖蒲様に先代の話は厳禁です。というより、気を逆撫でるようなことは言わないこと。極力私語を慎み、従順に従うようにしてください」


 おさげ髪の少女は足を止めて振り向くと、小さな声で囁いた。


「は、はい!」

「貴女のように嫁いできた人間が何人もいなくなるのを見てきました」

「何人も……」


 ごくり、と唾液を飲み込む。旦那様が蒼葉に「またか」と言ったのは、これまで何人もの女性が嫁いできた背景があったためらしい。


 いなくなった女性たちはどこへ行ってしまったのだろう。蒼葉の背筋をぞくぞくと冷たいものが駆け抜ける。


「家事を手伝う女性も私が来た頃はもっとたくさんいたのですが、今では私だけです」


 夏帆は顔に落胆を滲ませたと思ったら、階段を登った先の扉を開けて、楽しそうな声で紹介する。


「こちらが蒼葉様のお部屋になります!」


 蒼葉も部屋を見た途端、興奮のあまり恐ろしい話は頭からすっぽり抜けてしまった。


「わぁーっ、素敵! 私、洋館に住めるのですね!」


 広い部屋ではないが、洋風の窓からは車が停まっている洋館の入り口や、池のある庭が見渡せる。

 床には真紅の絨毯が敷き詰められており、それだけでお金持ちになった気分だ。


「三階は上がるのが大変で、誰も住みたがらないんですよ。ここも元は使用人部屋の一つですし、私も隣の部屋にいます」

「外暮らしが長かったので、部屋がもらえるだけでも最高に嬉しいです!」

「え?」


 夏帆が首を傾げる様子を見て、蒼葉は失言に気づく。


(しまった! 今の私は姫様の代わりだったんだ)


 ついつい、狸目線で言葉を発していた。百鬼の家で暮らす以上、扇家の末娘の印象を崩さぬよう努めなければならない。


「えっと……外暮らしというのは比喩? とかいうやつです。近頃、大雨の被害で生活が苦しかったので」


 夏帆は目を大きく見開いて、それから嬉しそうに笑った。


「蒼葉様は面白い方ですね。今まで嫁いできた方は不満を述べるばかりでした。貴女なら菖蒲様とも上手くやっていけるかもしれません」

「そうですか? 頑張ります!」


 新しい環境での生活に不安はあるが、これまでもなんとか生きてきたので、どうにかなるだろう。


「夕食の準備が始まる前に、ささっと敷地の案内をさせてください」


 車に積んでいた小さな箪笥を担いだ運転手と階段ですれ違う。残りの荷物は彼が部屋まで運んでくれるとのことだったので、蒼葉は礼を言った。


「池の向こうの林と、林を挟んで向かいにある庭園や離れも百鬼の土地です。離れには行雲様の叔父にあたる百鬼耕雨なきりこう様がお住まいです」

「家業を継いだという先代の弟さんですね」

「はい。人当たりが良く優しい方ですよ」


 百鬼家の敷地は想像以上に広かった。屋敷の裏には家一つ分ほどの蔵が存在していたり、お社が存在したり、慣れるまでは迷子になりそうだ。


「あそこが炊事場です。――あ!」


 炊事場から飛び出してきた毛玉を前に、明るく温厚に思われた夏帆が豹変する。


 あの毛皮の色と動きは狸だ。化け狸ではない野生の狸だと思うが、蒼葉にとっては仲間である。


 その仲間に対し、夏帆は鬼の形相で「この食料泥棒!! 汚らわしい!!」と叫んで石を投げつけるではないか。


「か、夏帆さん?」

「済ません、取り乱しました。私、動物が死ぬほど嫌いなんです。なんか病気持ってそうですし」

「そ、そうなんですねぇ。確かに、ちょっと怖いですよね」


 貴女の豹変具合の方が遥かに怖いです、とは言えなかった。

 蒼葉は二つの顔を持つ夏帆に同調しながら、そっと頭と尻を触り、変化が解けていないかを確かめるのだった。

 

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