第23話 詩織の逆襲

 懸命な捜索にもかかわらず、学園長の行方はいっこうにわからなかった。一方、魔法が嘘だと見破られても、詩織がおとなしくなることもなかった。いつものように歩と七恵が図書館に向かうと彼女が待ち伏せていた。


「この前の嘘はばれちゃったけど、私、本当の魔法が使えるのよ」


 彼女は臆することなく告げた。


「私をカエルにでも変えてみる?」


 歩は応じたが、七恵は無視して図書館に向かった。


「まったく、あの子ったら……」詩織は七恵の背中を見送り、歩に向く。「……今度はインチキじゃないの。お姉さまを過去に送るわ」


 挑戦的な言い方だった。


「学園長が使った魔法ね?」


 朋恵にそれをかけられた経験があったので、歩は魔法そのものを否定はしなかった。詩織の魔力が本物で、現在と過去を自由に行き来したり、人魚の記憶を共有できたりするのではないか? それなら彼女が魔法に自信を持っていることもうなずける。しかし、彼女はあの美しい人魚に似ているとはいえ尻尾もなく、人魚そのものではない。魔力を操れるとは思えなかった。


「そうよ。同じもの」


 詩織が断じ、寮に向かって歩き出す。歩は彼女を追った。


「それを使って、詩織さんは過去や未来を行き来しているの?」


「私自身が移動するなんて無理です。それに結界が弱まっている今でしかできないことです」


「結界? そういえば学園長もそんなことを言っていたわね」


「学園の教師たちが毎日祈りをささげているの。この学園に邪気が入って、子供たちを傷つけないように」


「邪気というと、鬼や悪霊みたいなもの?」


「はい。邪心を抱いた人間も邪気です」


「この中は聖なる場所なのね」


 性別をごまかす程度のことは問題じゃないらしい。……歩はほっとする。


「でも、今は違う」


「どうして?」


「力の強い学園長がいないからです。だから弱い邪気でも入れてしまうし、逆に私でも、結界を突破して過去に行くことができる」


 詩織の理屈なら、学園長がいた学園内で、詩織がその魔法を成功させたことはないのだろう。本当に彼女は魔法が使えるのだろうか? 注目を集めたいだけの見栄っ張りなのだろうか?


「本当の七恵を知っている?」


 歩は、詩織が誰かを呼び捨てにしたのをはじめて聞いた。


「七恵さんの過去なら、学園長に見せられたわよ」


「それは偽物だと思うわ。学園長は七恵を恐れていたから」


 詩織の言動に疑問を覚えた。自ら学園長の愛弟子と言いながら、ずいぶん上から物を言う。


「そんな風には見えなかったけど」


「人の心と姿は異なるものよ」


「それはそうだけど、どう違っているの?」


「知りたい?」


「もちろん」


 彼女の瞳が光った。


「驚かないでね。それでお姉さまが七恵を嫌いになっても、私の責任ではないわよ」


 その陰険な言い方が、彼女らしい、と感じた。


 詩織の部屋に入るのは4度目だった。2人は詩織のベッドに並んで座る。


「目を閉じて」


 言われるままに歩は目を閉じた。


 詩織に手を握られ、静かな呪文に包まれる。それは学園長のものとよく似ていた。彼女の体温と呪文の単調な響きが歩を過去に導いた。


※   ※   ※


 鼻孔をすすけた煙の臭いがくすぐる。眼を開けると、掘っ立て小屋の茅葺屋根が見える。炉の火がちょろちょろと燃えていて、すすけた臭いはそこから立ち昇っていた。


 歩は、実際はもうひとりの自分が、炉に薪を足して鹿の毛皮の寝床に戻った。そこには妻にしたばかりの詩織が安らかな表情で寝ていた。


 胸が疼き、本能のままに彼女を抱き寄せる。欲望は感染し、詩織が歩に足をからめた……。


 その日、から武器を持った男たちがやってきて、集落の広場に村人を集めて祭りを行った。大きな火が焚かれ、贅沢な食べ物が振舞われた。


「海は広いぞ。逢隈川の何百倍も広い。そこにすむ亀や蟹は川に住むものよりも何百倍も大きい。海の中で暮らす犬もいるし、人魚も住んでいる」


 男たちは西の海を渡り、異国と交易するのだと自慢した。


 数日後、の男たちが集落を去るとき、村人は峠まで見送りに行った。歩は行かなかった。流木を集めるために逢隈川の河原に向かった。詩織に少しでも楽な生活をさせたかったからだ。


 太陽が傾き、そろそろ家に帰ろうとした時のことだった。流れの音に混じって細い女性の声がした。


「お待ちください」


 振り返ると、流れの中に自分を見つめる顔がある。瞳に妖しい魅力のある女性だった。彼女は裸の上半身をあらわにし、細い右手をあげた。視線を交えると、彼女は喜色を浮かべて岸辺に寄った。


 歩は、気づいたときには流れに腰までつかっていた。そうして女性の腰から下が魚の形をしているのに気づいた。


「人魚か?」


「お願いがあってまいりました」


 人魚は真剣な顔をしていた。それが七恵と瓜二つだった。


「困りごとか?」


「あなたの精をいただきたく……」


「なぜ俺に」


「あなたが私の愛する男だからです」


「今日、会ったばかりだろう?」


 不審感を覚え、川を離れようと背を向けた。


「私の愛が受け入れられないのですか! 何年も、あなたを探していたというのに……」


 感情の高ぶった攻撃的な声が追ってくる。そこに、ひどく切実なものを感じた。振り返ると、かつて見たこともないほどよく光る金属があった。人魚が手にした短刀だった。


 人魚が髪を振り乱し、歯をむき、短刀を振りかざした。


 ――ズン――


 短刀が、胸に深く没していく。それを他人事のように見つめる自分がいた。


「イヤー」


 叫んだのは岸辺に立った詩織だった。一部始終を目撃し、腰を抜かしていた。


「幸福をむさぼる乙女……。呪われるがよい」


 人魚は、詩織に呪いの言葉をあびせて水中に没した。沈んだ川面に波紋が広がる。それを認めると、歩の意識は闇に沈んだ。そして無限の宇宙と一体化した。


※   ※   ※


 歩の頭を膝に乗せ、念を送り込むために自分の額をつけていた詩織が頭を上げた。彼女の魂は秘めた異能によって、自分が信じたいものを歩に見せていた。


「アユミは私のもの。アユミの全てが私のもの……」


 最初は宣言するように、そしていつくしむように穏やかに言った。


 執念は倒錯した愛に変わっていたのだ。それを彼女自身、よく理解していた。

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