プロローグ 歌舞伎町の沖田くん3

そう自分を叱咤しても、体の重心はすっかりつま先からかかとに移動してしまったようで、前に出られない。おじさんの拳が固く握られているのが、やけにはっきりと見える。


「よしなよ。怖がってるだろう」


沖田くんが、私の前に立ってくれた。


「なんだお前、ふざけるなよ。さっき合意しただろ。まさかここにきて、本当にやめるってんじゃないだろうな」


「あんた、必死すぎだよ。女子相手に正気なくすようなことじゃないだろう。性欲のせいで暴力沙汰起こして、家庭も仕事もなくしてもいいのかよ」


「なんだそれは。お前ほんとに、ほんとにやらせないつもりか。いや、最初からつつもたせの……」


沖田くんが、犬歯を出して歯ぎしりする。


「ああ、嫌だ嫌だ。本当に嫌になった。あんたとは、金もらっても無理。あと、言っとくけどおれはこの子なんて知らないよ。知ってるやつにおれが似てるみたいだけど、ただの通りすがりだな。ま、一応駅まで送るわ。じゃあな、おじさん。悪かったね」


沖田くんが私の手を引いた。痛いくらいに強く。


「おき――」


「ほら、いくぞ」


私たちはその場を離れた。ほとんど駆け足で、JRの新宿駅へ向かう。いくつか角を曲がって、あっという間にホテルはほかの建物の陰で見えなくなった。


ゲームセンターの横を通り過ぎた時、沖田くんが「あ」と声を出した。


「そういえばおれ、最初に思いっきり衿ノ宮の名前読んでたな。とってつけたように他人の振りしたけど、失敗した」


私もさっきうっかり、沖田くんの名前を呼んでしまっていた。今になって、いけないことだったのだろうかと冷や汗が流れてくる。


「おれと関係があると思われたら、あんな頭おかしい親爺、あとあとなにかあるかもしれないからな。通りすがりってことにしておけば、衿ノ宮は安全かなって。……じゃなくて」


沖田くんが、手首を放して、私と向き合う。


目元まである、少し癖のついた黒髪の向こうから、沖田くんの瞳が透けた。硬質そうな、でも青く濡れているような眼。この距離で、こんなにまっすぐ見るのは初めてだった。身長差があるので、顎を上げてしまう。無防備になった喉元を、ぬるい風がなでた。


「……衿ノ宮は、買い物? それにしては変なところにいたな」


「あ、ええとね、買い物は終わって、たまたま歩いてただけ。沖田くんは……」


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