幼馴染の犬(物理)になっていた件について

桜木 澪

第一章 柴犬 春樹の章

第1話 突然の出来事(1)


 土曜日。

 午後八時。


 ようやく仕事が終わった。

 明日は休みだ。やっとの休みだ。

 どうして、こうも一週間は長いのだろうか。


「はぁ・・・・・・」

 電車の改札口に向かう歩道。

 春樹は気が抜けたようにため息をついた。

 その吐息は白く、季節は冬だということを改めて実感する。

「もう冬か・・・・・・」

 北海道の十二月上旬はもうすでに冬だ。

 むしろ、十一月から冬と言っても過言じゃない。それほど北国の冬は冷たく寒い。


 改札口を通り、階段を上がってホームへ辿り着いた。

 それと同時に目の前の電車は発車してしまう。


「あー。えー、まじか・・・・・・」

 春樹は口を半開きにして、進む電車を見つめていた。


 タイミングを逃す。

 いつものことだ。電車に限ったことじゃない。


 現に今日の朝だって、会社のビルのエレベーターは目の前で閉まるし、休憩中にコーヒーを飲もうとしても自動販売機の十円玉が不足して手持ちの小銭じゃ買えなかった。


 案外、人生と言うのはそんなものなんだろうな・・・・・・。

 春樹は今日一日起きたことを振り返っていた。


 というより、急行が行ってしまったということは、次に来るのは――各駅停車か。

 春樹は電子時刻表を見て、次の電車は十分後に来ることを知る。


 十分。

 いつもより時間差があった。

 春樹は今日が休日であることを思い出す。


「まあー、今日に限ったことじゃないよなー」

 電子時刻表を眺めながら、春樹は運が無いことをしみじみ痛感する。

 目線を下に落としていく中、ふと壁に貼られた広告が目に入った。

「あなたはクリスマス、誰と過ごしますか・・・・・・?」

 白い背景の中、黒字で書かれた言葉を春樹は音読する。

 今思うと、その広告は毎年そこに掲示されていたような気がした。

 どうして、こんなに大きい広告なのに気づかなかったのだろうか。


 普通は気づくだろう。

 普段見ている光景なのに気づかないわけがない。

 春樹は客観的にそう思った。


 クリスマス。

 その行事を考えると、サンタの格好をした幼馴染を思い出す。


 去年のクリスマスのこと。

 急遽、彼女に呼ばれて彼女の家に行くと、彼女はそんな格好をしていた。


 着た理由は特になかったらしいけど、あの帽子にミニスカートの姿は不思議と似合っていたような記憶がある。


 本当は彼氏に見せようとしたけど、

 彼氏が忙しくて仕方なく幼馴染の俺に見せた。


 事の背景はそんな感じだろうか。

 まあ、そうだとしても彼女の可愛らしい姿を見られるのは嬉しかった。


「あいつは今年もサンタの格好をするのかな・・・・・・?」

 春樹は想像したのか、笑みを浮かべて呟いた。

 どうしてだろうか、考えるだけで愛おしく感じる。不思議な気持ちだった。


 電車を待つ中、自然と自分の右手に持つ封筒が目に入る。


「にしても――」

 この封筒は春樹の上司である風間が春樹に預けたものだった。

 風間は春樹が勤める商社、グレイス商事札幌支店第一営業部の部長である。

 営業部の新人である春樹にとっては逆らえない相手だった。


 圧のある眼差しと威風堂々とした立ち振る舞い。

 実に部長らしい雰囲気があり、日々の言動も重みのある。

 そんな風間を春樹は尊敬していた。

 

 風間が珍しく書類を預けてきたのは二時間前、

 春樹が退勤する数分前のことだった。


「んー、少しは俺も信頼されてきたのかな?」

 今までとは違う態度だった。

 つまり、何かしらの変化があったということである。


 春樹がグレイス商事に入社して三年目。

 現在、春樹の後輩は一人もいない。

 だが、毎年新卒社員は入社してくる。

 

 ――そう。新人は一年以内で辞めていくのだ。

 

 先月辞めた新人は春樹にこう言った。

「よく、続けられますね」

 なんだか軽蔑したような顔で言われた記憶が春樹にはあった。


 別に自分は世間で言う『会社の犬』というやつでもないし、

 今後『会社の犬』になるつもりもない。

 会社に対する姿勢は新人の彼と変わらないはずだ。


 会社の言うことは忠実に従う。

 まるで、飼い主の指示に従う忠実な犬のように。

 春樹は想像して、自分は犬にはなりたくない、そう思った。


「まあ、人それぞれだもんなぁ・・・・・・」

 春樹は唸るように呟いた。

 

 適材適所。

 そんな四字熟語があるように、ただ彼らは合わなかっただけなのだ。


 この会社に。ピースのように。

 ただこの会社と言う型にはまらなかっただけ。

 ただ、それだけのことなのだ。

 

 特に辞める彼らが気に病むことはないことだろう。

 春樹はそう思っていた。


 別に彼らも俺もこの会社がすべてではない。

 他の会社など幾らでもあるのだ。


 そう思う春樹も、さて自分はどうなのか、と考えてみる。


「んー、わからんな・・・・・・」

 良きも悪きも、その判断ができるような手応えはまだ感じない。

 ただ上司に書類を預けられると言う初めての仕事は自然と嬉しかった。


「休み明け。また、頑張ろう――」

 この喜びを糧に。来週も頑張ろう。

 それだけで頑張れる気がした。


 春樹は先頭で電車を待ちながら、天井を見上げて一息つく。


 ふと後ろを向くといつもよりも混んでいた。

 会社員が多い時間帯の割には、若い女性が多いように見える。

 各自紙袋を持っていて、その右下に何やらロゴが彫られていた。


 怪しまれないようにちらちらと見てみると、

 そのロゴは大人気アイドルグループのロゴだった。

 ということは、今日はコンサートかイベントか何かだったのだろうか。


 コンサートに行ったことが無い春樹にとって、

 そのコンサート帰りの彼女たちは微笑ましく見えた。

 きっと、感動や感激がまだ残っている。そんな状況だろう。


 そのうち、ライブとやらに行ってみようかな。

 自分の中で何かが変わるかもしれない。


 春樹は気分を変えるように大きく息を吐いた。


 白い吐息。

 やはり、この地の冬は寒い。


 しばらくして、電車がやってくる。


 さあ、これから電車に乗って、帰りにコンビニよって、今日の夜は何を食べよう。


 そう言えば、冷蔵庫に消費期限が今日までのミックスサラダがあった気がする。

 買うのはメインだけにしよう。

 春樹はそんなことを考えていた。


 そんな時だった。


 突然、背中を強く押される。

 押されるというよりも、これは突き飛ばす勢いだ。


 ――えっ?


 突き飛ばされた春樹の身体は勢いよく線路へと飛び出す。


 慌てる余裕さえなく、

 春樹は静止したような世界で自分がいたはずの場所を見ていた。


 黒い服を着た人物。

 空に舞う自分が持っていたはずの封筒。


 その光景は春樹の目に確かに焼付いた。

 警笛を鳴らし、電車のライトが春樹を照らす。


 ――あ、死んだ。


 春樹は咄嗟に死を悟った――。



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