万者とよろず部

桜木 澪

序章


 ――君は天才だ。

 

 満ち足りた様な声。

 男性は小学生である少年に言った。


 初めてのこともやれば出来る。

 しかし、ただ出来るのでは無かった。


 一流。彼の数時間は長年やって来た者に勝るほどだった。

 付け焼刃。そう言われると、そうかもしれない。

 それでも彼は数時間でそれほどの実力を見せた。

 容量が良い。物事の仕組み、理を理解しているからこその成せる技。


 やがて、大人たちは少年に様々なことを覚えさせた。


 芸術。書道、華道、茶道。

 スポーツ。野球、テニス、弓道。

 音楽。ピアノ、ギター、バイオリン。


 やはり、どれも出来た。

 出来てしまう。大人が望むレベルまでに。


 芸術であれば、鉛筆一つでムンクの叫びを書けてしまうほど。

 ある日、少年はある部屋へと呼ばれた。

 部屋の壁には幾つもの絵画があり、その中心には鉛筆と白紙のみが置いてある机。 

 少年は机の椅子に座ると、鉛筆を手に取った。


 好きに書いてよい――。

 大人の一言。


 始めは落書き程度に白紙に絵を描いていく。

 少年はしばらく書いているうちに、戸惑うこと無く筆を動かしていた。

 まるで、流れに沿う様に。


 六時間が経った頃には、壁に掛けてあったムンクの叫びを模写していた。


 絵画を白黒コピーした様な線画。

 その絵に大人たちは言葉にならない恐怖を覚えた。


 スポーツであれば、一日で弓道の的を当てられるほど。


 またある日、少年はある大学の弓道場へと呼ばれた。

 弓を引き、矢をあの遠くの的に当ててみてくれ。

 簡単だよ、そんな言い方で大人は言った。


 弓を持つ前、しばらく少年は弓道場で弓を引く生徒たちを眺めていた。


 彼らの姿勢、呼吸、力の加減。

 それらを目で記憶し、自身の感覚をイメージして行く。


 そして、袴に着替え、弓を持った。

 思ったよりも、弓は重い。

 手にある重さと弦の張りを自身の身体に覚えさせる。


 生徒から矢を貰い、矢を弦に当てるとゆっくりと引いた。


 弦の張り。引く右手の感覚。

 標準の定まらない矢の行方。

 五感で感じる情報を少年は冷静に整理していた。


 自身の姿勢。客観的に自身がどんな姿勢かを推測する。

 この張り具合。この姿勢。少年は大きく息を吸った。


 そして、数メートルの的を目掛け、弓を引いた。


 トンっ――。


 矢は的の中心から下に当たった。

 第一矢にして、少年は数メートル先の的に当てたのだ。

 その光景に、見ていた生徒たちと教員たちは言葉を失う。


 力加減は良かった。もう少し矢の向きを上向きにした方が良いのかも。

 目の前の光景に、少年はすぐさま改善点を考える。


 呆然とする生徒から、矢をもう一本貰い、もう一度弓を引いた。


 さっきよりも上向きに。なおかつ、矢は水平に。

 次第に少年の視線は的に向かって細くなっていった。思考を研ぎ澄ませる様に。


 息を吐くのと同時に弓を引くと、矢は見事に的の中心部へと当たる。


 生徒たちの言葉にならない歓声が道場に響いた。


 しかし、少年は喜んだ表情をしていない。

 むしろ、あっさりとした顔をしていた。


 ああ、こうやってやるのか。

 経験を得たと言う感心に近い感覚だった。


 それから良くも悪くも、少年は何でも出来る様になった。

 

 あらゆる事象。森羅万象を掴む者。

 大人たちは彼を期待し、こう呼んだ。


 万者(ばんしゃ)――と。

 

 それから、二年。少年は様々な景色を見て、経験をした。


 そんなある日、少年に転機が訪れる。


 それなりになったのだ――。

 プロからすれば、アマチュア、悪く言えば素人の様だった。


 次第にどれも質が落ちていく。

 出来か不出来で言えば、出来だと断言出来ないほど。


 理由はわからない。結果そうなった事実。

 それだけがそこにはあった。


 興味が無くなったのか。

 気がつけば、少年に期待した大人たちはいなくなる。


 環境の変化に少年は困惑し、恐怖した。


 出来なくなった戸惑い。

 期待されなくなる不安。

 得たものを失う恐怖。


 少年はそのすべてを経験することになった。


 一年後。

 少年、倉石雅人(くらいしまさと)は普通の中学生になっていた。

 

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